母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月26日 入院3日目

2006年09月26日 21時24分59秒 | Weblog
いつまでも仕事を休む訳にはいかない・・・だけど仕事に行く気分でも無いし・・・。
でも段取りくらいはしておかないと  と思い、朝仕事に向かう。
段取りを申し送りし、同僚に理由を話し、了承を得た。

横浜の叔母が泊まれるように、寄れるように に帰り、掃除をした。

入院生活に足りない物を買いながら、母の病院に向かう。
妹と連絡を取りながら、時間がお昼だったので、病院前のモスで待ち合わせをしたら、モスの駐車場に父の発見

駐車場代の節約 疑うことなく、店内に入り、喫煙ルームを見ると 父が手を振ってる なかなか3人で話す事が出来なかったので、40分くらいは話が出来た。

父は仕事に向かい、私と妹は病院内に入った。
病室の母は、鼻酸素をして、ベッド横にはポータブルトイレが置いてあった。
間もなく、横浜の叔母が病室に入ってきた。
お見舞いに来てくれたのだ
その間、看護婦さんが血圧測定に来た。
血圧 80-50。
低いので、定期的に血圧測定の器械を右腕に取り付けた。

私が会ったのは3年…いやもっと前かもしれない。
横浜の叔母も嫁が今月20日に帝王切開で出産しているので、孫1人を面倒見無ければならない、叔父さんだけでは手が足りないのだ、若ければ何とも無い事だが、もぅ叔父は75歳・叔母は70歳だからね・・・。
泊まる誘いと寄る誘いは掛けたのだが、明るいうちに帰りたいらしいので、○谷駅まで送った。
妹は 心臓エコーの検査まで病院に居てくれる。
車いすの移動ではなく、ベッドのまま移動したらしい。

血圧が低くなった為、利尿作用の注射を止め、24時間掛けて、血圧を上げる点滴を始めた。
看護婦さんはその都度 説明はしてくれない。

義理姉にし、その旨聞いた。
【身体がオシッコを出せない状態なのに、ムリに出すわけで、すると身体の中の血管は広がり、血圧が下がる 】と言うのだ。
鼻酸素に関しては【酸素は口から管を通してる訳じゃないから問題ない、臓器に良い酸素を送るために補助的にしている】と言う。
全体的には【検査段階であって、これからも体調の波は必ずあって、今の苦痛の状態をどの治療でどの薬で対処出来るかを検査・検討するわけだから、健康的な人でもいつどぅなるかは分からないけど、状態だけを聞く限りでは、今に何があるって訳じゃないと思うよ】 と言われた。

そりゃ~いつどぅなるか なんて誰にも分からない。
有る程度は覚悟はしているものの・・・やっぱりやりきれない気持ちだ。

横浜の叔母は 驚いていた。
『あんなに髪の毛白く目立っちゃって、痩せちゃって』
と駅まで送る間に言っていた。

父は出張予定を変更し、今日は帰宅するらしい。

母の状態:見た目しか分からないが、昨日迄あった手の浮腫みが取れた。 でも身体は辛そうに見える、身体を起こしても5分程度だったから。昨日は1時間近くは身体を起こしていられた。

女兄妹の中では一番若い母だから、叔母達が見たら驚くのは当然だと思う。
私が一緒に生活していて、母のお腹を見たとき、『これはやばい』と言うのは感じていた。
多分、告知していたなら、母に伝えることも出来ただろぅけど………。
何度も何度もあった・・・入院かな。って日。
でも翌日になると家に居られそうだったし。
ホントに体調の波があるんだよね~。
低迷しつつの波だけど。

母が言うにはTVで 自分に似た症状で臓器にタンパク質が付着しちゃう病気を放映していたという。
それがホントかウソかは 妹から聞いた(私自身聞いてない)母がカマを掛けているのかも知れないし。
私の意志としたら、吐き気・食べられる・トイレまで歩ける が出来れば、自宅に帰したい。
母は 本気かウソかは分からないが、病院は安心だから と言う。
確かに、ナースコールすれば看護婦さんも医師も常時いるし、食事も食べて良い物が出るのだから、これ程安心な所は無い。

明日は 昼頃から病院に行くつもりだ。子供達の下校時刻があるので間に合う様に帰ってこなくちゃだけど、1時間くらいは居たい。
誰か TVでこの放映を知っている人が居たら、本当にあったのか 教えて欲しいです