母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月19日

2006年09月19日 22時52分08秒 | Weblog
今日は 父が代休で休みだ。
子供を送り出した後、母だけが、居間に出てきた。
朝食後、私は仕事に出掛けた。
久々に晴れたので、 6人分の布団を干した。

12時 昼間仕事を終え、帰ってくると 両親は出掛けていた。
洗濯はいつもの倍以上あったので、この晴天は助かったぁ~
父からメールが有り、昼食は とんでん で食べた。
母は ひつまぶし を頼んだが、少ししか食べることが出来なかった。
当人は 満腹 と言うが・・・。

その後、私は子供が帰ってくるので
両親は、母のメガネを購入に出掛けた。
そこで店員さんに 眼科へ行くよう勧められた。
メガネは作らず帰宅、あれこれ父と3人で話をしたが、取りあえず 近くの眼科へ行った。

老眼では無いことは分かっていたし、病気の症状だと言う事も分かってた。
だが、店員さんに眼科へ行くよう勧められただけで、自分は脳腫瘍だと妄想し落ち込んでしまう母には、とてもじゃないが、宣告出来ない。
だが、病気を隠す事も限界がある。

近くで母の目を見たが、白っぽいのである。
一瞬、【これが母?】と言う疑いが持たれた。

腎臓内科でも受診している病院の脳外科に紹介状が出された。
行くにも 脳外科の先生は大丈夫なのだろぅか・・・。
告知しない事を了承してくれているのだろぅか・・・。
と、心配な一面もある。が、1つ1つの症状が出るたびに、【これが告知のチャンス?】
と思ったりもする。

脳外科には 父が25日に一緒に行く事になった。
22日の金曜は 運動会の代休だが、今日母の眼科の送迎に次女を付き合わせてしまい、
遊びに行く事を22日にずらしたのだ。
それだけではない、1年生になってからも 母が寝ていたのでウチに遊びに来ることは断ったし。
子供達には 我慢させていることが多い。
なので、22日は 子供達の約束は果たしたいのだ。
父が行くことが一番良いと思うが。

今日は一日中出掛けていた状態。
母も相当疲れた様に見える。
足はパンパンに浮腫んでいた。
冷えも酷かった。
右側ばかりが、症状出ている気がする。
右足・右手・右目。

父に告知を勧めたが、父は告知しない と言う。
ただでさえ、脳腫瘍騒ぎなのに、告知をしたら・・・全く想像出来ないし、自殺しかねない。