母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月7日

2006年09月07日 21時16分38秒 | Weblog
朝から 変な天気だ。
今にもが降りそうだ。
私は子供と一緒に 家を出て、朝の旗当番に出掛け、帰宅した。

父も母も起きて、居間に座っていたので、大丈夫だ と思い、いつも通り仕事に出掛けた。

昼間 父からメールが来た。
【昨夜も ばぁちゃんはもぅすぐ死ぬみたい な言葉ばかり、唇が黒ずんで見えるから心臓にもだいぶ負担が来て居るみたい、再入院をさせた方が良いみたい】
 とメールが来た。

私は、【入院はムリだよ、前回食事をわずかしか食べられない って言っても入院は出来なかったでしょ。もぅ家で出来るだけ過ごさせて下さい って意味だよ。】
と伝えた。

仕事を午後終え、帰宅すると、やはり玄関の鍵は掛かっている。
全く 外に出た気配は無いのだ。
せめて庭に出て、花や草を触る事くらいはして欲しいのだが・・・。
布団を一日中敷き、横になっているだけだ。

言いたくないが、母に 夕食とか別にする? 別にするなら自分がやらなきゃ って必要性が出てくるから少しは動く気力が出てくるかなぁ。 と思ったが
そんな話をしている合間も、母はずっと座っていたが下を向いていた。
頭を持ち上げる事も辛いのかなぁ? と思ってしまう程だ。

平均して 父が出掛けるのが9時半・私が午後まで仕事をやって帰宅するのは3時過ぎ。
だいたい5時間半母は一人である。
その間、夕食の1品くらいは出来るんじゃないか と思うのだが、
実際私は健康体なので理解しがたい。
でも、誰かが自分を必要としている と思えたら、生きる力に変わるんじゃないか って私は思っているのだ。

夕飯も小さいおにぎりを1つしか食べないし(おにぎりが食べたいと言うので、2つ作った)、早々に部屋に行ってしまった。
母には 父の夕飯をおぼんにのせて と伝えた。
それくらいは出来るだろぅ と思ったのだ。
だが、私達が入浴を終え、洗濯を終え、8時半には二階に上がろうと 母の部屋を見たとき、
母は【電気消して】と言った。
寝てしまうらしい
それでも、どぅしても 母に生きる力 に替えて欲しい一心で 私は
【じぃちゃんの御飯してないけど、ママやろぅか?】
と聞いたら
母は【御飯はやるから】 と言って寝てしまった。
父には さっきメールしておいた。@おぼんの事
御飯と言っても、おぼんに お茶碗と箸とおかずのお皿等を乗せるだけだ。
おかずも作ってあるし。

どぅしたら 生きる力に変わるんだろぅ。
どぅしたら 母の充実した毎日が送れるんだろぅ。
どぅしたら 母が悔いることが無い人生を送れるんだろぅ。
私は 母にムチを打っているだけなのかなぁ?

明日のパートは 機械の点検作業が終わらなくて、朝会社に電話してからの判断だ。
もしかしたら 休みかなぁ~

ともかく、母が何をしたい ってのが、無いのが困る。