母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月20日

2006年09月20日 22時37分35秒 | Weblog
今朝は7時に飛び起きた。
なんと 携帯の目覚ましをセットするのを忘れたらしく、全く鳴らず
目覚まし時計は 3:42で電池切れ

急いで子供達を起こし、パンを食べさせている間に、髪の毛を縛り、と・・・流れ作業以上の動きだった
無事に子供を送り出した後、ゴミ出し(瓶の日)を済ませ、家に入ると、
居間に母が座ってた。
これまた 結構驚くんだなぁ~
だって、じ~っと下を向き座っているんだもん

母は どぅしても病院に行きたいと言う。
昨日の話では、月曜になっていたのだが、やはり不安なんだろぅ。
寝ていた父を起こし、父と私の時間調整を始める。
取りあえず、私は仕事に向けて家を出ることに、そして段取りだけを申し送りをし、帰ってくる事に、父は母を病院に連れて行き、母を1人にしないよう極力配慮した。
良心が出発したのは、9時。
私が会社を出たのは 9:30.
まぁ殆ど一人になる時間は少なかったと思う。

MRIを撮り、異常は見られない。
と言う医師の診断報告を受けた。
が、実際の状況は全く闇の中だ。
私と母で医師の話を聞いたが、告知しない以上視神経に異常が有っても言えないだろぅし。
薬も出ず、出すならば、ビタミン剤(今現在病院から飲んでいる薬の中に入ってる)と言うことで、何も処方されなかった。

帰宅し、昼食を食べ、母の用事(銀行廻り)を済ませた。
それから、父のコーヒーが無くなったし、父のクリーニングも出来上がってる ので、それも買わなくてはならない。
午後から仕事に行こうと思ったが、結構な仕事量
パパのコンビニ用事も頼まれたし

これなら午後も仕事に行っていた方が まだ楽だ

夕食は 赤飯を炊いた。
慌ただしい1日だったが、前から母は 赤飯のおにぎりがあれば・・・ って言ってた、
買うのは簡単だが、ある程度の量を作っておけば、冷凍保存もだし。
取りあえず 3合炊いた。
母の食欲は相変わらず無く、赤飯少量とサイコロステーキ3つ しか食べない。
今日は少し暖かかった陽気なので、ざるうどん も作ったが 全く食べなかった

食後の後は 入浴。
入浴の後は すぐに横になる毎日だ。
私は洗濯を済ませ、8時半に二階に上がった。
父は遅くなるので、先に寝ているように伝えて
とメールが入ったので、母に伝え、父の夕飯は居間のテーブルに置いた。

根本的な治療は無いが、対処法くらいはあっても良いのになぁ・・
目眩・物が二重に見える・手のしびれ・手足の冷え。
昨日から、随分足が浮腫んでいる。
徐々に、悪くなっているのが 目に見えて分かるようになってきてしまった。
もぅ 外には一人では出ることは出来ないと思う、出たい気持ちはあるだろぅけど、
実際目が不自由だし。
一人で出ると言うよりも、殆ど外には出なくなるだろぅ。

夜10時半 パパからメールが・・・
現場の人達と どんちゃん騒ぎしたらしく、会計不足
急いでコンビニに行ってきたよ。
玄関には父の靴があったから、帰ってきた様子。

今日こそ、ちゃんと目覚まし鳴るように チェックして寝ます。