母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月29日 入院6日目

2006年09月29日 23時11分33秒 | Weblog
今日は どぅしても仕事に行かなくてはならない。
さっさと仕事を終わらせ、気に掛かっていた事を終わらせる予定。

いろんな書類の整理だ。
全てが両親経済の物なので、全く分からない所からのスタートなのでかなりの時間を要してしまった。

病院に行くと、横須賀の叔父(母の兄妹:母は四女・二女の旦那さん)が来てくれていたのだ。
昨日の夜は、その叔父の息子夫婦が来てくれたらしい。

義母・義理姉2人 も来てくれたらしいのだが、私はその書類に追われ・・・平日しか出来ない(相手先が業務していない為)、病院になかなか迎えず、2時半に病院到着した。

それまでは、朝は父・昼からは妹・妹と私は交代した。
妹は 私の家(実家)に居てくれ、子供達の帰りを待っている と言う具合だ。

血圧は116 等である。
15分ごとに測定するのだが、低い時でも98。
利尿の注射を3時半頃した。

ベッドの背もたれに力を借りてだが、座っている事は出来る。
暫く、叔父達と話していたらしい。

歯磨き をしたい   と言うので、コップとペットボトル・歯ブラシを使う。
歩くことが出来ないので、ベッドの上での歯磨き。

妹が実家に居て、子供達を見ているので、心配は無かったのだが、
長女の鼻風邪が気になるので、念のため 掛かり付けの病院を受診し、風邪薬を貰った。
これから先、透析が始まると、透析中のリスクを聞いているので、家族も息が抜けない。
子供が熱を出したら それだけでも動くに動けなくなるのは私だ

パパも 明日の夜 出張先から帰ってくる。
帰ってくると言っても、自分の乗用車を取りに帰ってくるのだ。
ちょっと電車が不便な土地なので、いざって時に帰ってこられないからだ。
また出張先に戻ってしまうのだが・・・
それは仕事だから仕方がない。 

母の状態は、入院時より回復している。だが、それは今だけだと医師に言われている。
透析が始まったら 覚悟はしなければならないらしいが・・・
納得出来る事ではないし、受け入れるのにはムリがある。

明日と明後日は ブログ更新は難しいです

9月28日 入院5日目

2006年09月28日 23時23分02秒 | Weblog
今日は 次女の遠足
外も良い秋晴れ
お弁当を作り、いつものように子供を送り出し、片づけをした。
本当なら 仕事に行くのだが、母に頼まれていた銀行廻りをする。
これが大変で
人の書いた家計簿って書き方が違うから、かなりの時間が掛かってしまった
未だ【終了】ってなってないし
明日には【終了】って言いたいな

母は 血圧96・や100(共に上)になりつつある。
若干の前後はある。
午後昼食後 利尿の注射をする。
夕方私が帰ったのは 15:30 その間 1回しかトイレしなかったが、量はあったらしい。(看護婦さん情報)

面会時間に、母から見て姪が来てくれた。
私より何歳上だったっけなぁ~

その後、母の姉 が来てくれた。
甥も一緒だ。
甥は私と同級生。
う~~~ん 同級生だが、やっぱり若さを感じた瞬間だったよ
そりゃ・・・こっちは小学5年・1年の子がいるんだし、もぅ【おばちゃん化】してるよね
母は何度も 私達に向かって【もぅダメだから来てくれたんでしょ】
と言う。
常識的に考えても、大学病院で中間発表(母には中間報告だが、家族には最終)の後に、一時帰宅をし、その一週間後退院・仕事も辞め、家に居る生活・誰も何も強制しない家事・休日になる度に外食・外出。
今まで一緒に住んでいたけど、家族旅行ってしてないんだ~。
まぁ母が勤めていたって事も有り、母はデパート勤務だったから どぅしてもパパや私達子供と予定が合わなかったのだ。

この入院する迄の期間 あらゆる事を あらゆる人が母の為に尽くしてきたんだとおもう。

この入院まで 特定疾患の手続きは一切しなかった。
病院側からも不思議がられた。 既にやっていると思っていたらしい。
だけど、母にバレる事が最大の壁だったので、踏み切れず、医療費は自己負担だったのだ
だが、今日保健所に行き、申請の手続きを終わらせた。
しか~~~し、受給者証 と言うものは これが厄介で 役所仕事だから遅い!!!!
受給者証発行が11月28日以降だと言うのだ
提出日から認定されるらしいが、11月28日以前の会計は 一時自己負担になり、
還付されるらしいが、これもお役所仕事で手続きが長いのだ。
だから お役所は だらけているって言われるのさ!
そんなんまってられるわけないじゃん
それでも提出はしてきたけど

今日は 血圧も100あったせいか、天気のせいか、外の景色がはっきり見えた と母が言う。
ベッドを起こし 面会時間の2時間半は背もたれにもたれてはいたが、起こしていられた。
昨日は全く起こせる状態では無かったのだ。
日によって体調の波が 激しくなっている。
今日は気分は良かったのだが、食欲はほとんど無く、朝も昼も半分しか食べてない。
アイスが食べたい と言うので看護婦さんの許可を得て、Haagen-Dazsの小さいカップ半分食べた。
アイスが食べたい と家に居るときから 言っていたが、吐き気があったので、私はダメだと母に言っていたのだ。 このまま食べられないんじゃないか って思っていたので、食べることが出来て良かった。

明日は仕事にも顔をだすつもりだ。
月の締め日なので、データの抜き忘れがあるかだけでもチェックしなくてはならない。
母が一回目に吐いた時から、【やばい】と思っていたので、有る程度の準備は終わらせてあるので、2時間有れば仕事は終わらせることが出来る。
それから、郵便局で 両親経済 を済ませ、病院に行く予定だ。

病院からの洗濯物を夜終わらせたが、乾かないだろぅし・・・。
着替えは有るから大丈夫だけど

このログを見ているかは 分からないが、この場を借りて、遠い中各家庭事情もあるのに、
母の為に逢いに来てくれてありがとうございました。
多分今は不安な気持ちで母は夜を過ごしていると思うけど、いつか 逢えて良かった って思う時が有ると思うし、不安だけど、逢っていた ひととき って楽しかったと思うし。
至らない娘で もっとこれしてあげてよ って思う事って有ると思うけどごめんなさい。
精一杯 日々 身体が動ける限界で 母の事は2月の入院からずっとやってきてます。
これからも 時間を作りながら 頑張ります。

長女が鼻風邪をひいてしまい、週末に差し掛かるので、念のため 明日小児科に連れて行きます

長女に夕飯の時に ちょっと話しました。
ママ【ごめんね~今までこんなお弁当なんて買ったことないもんね・・・でも今は病院行ったりだから、落ち着いたらまたちゃんと作るから】
って長女に言ったら
長女【わかってるから】
って涙ぐんでた。
やっぱり あの子はわかっていたんだなぁ~。 それは自然に分かることだけど。
でも、バカ親だから・・・もぅちょっと遅く自然に分からせてあげたかった。
母が私達を全身全霊で守りたい って気持ちと同じに、憎まれ口を行っても、守れることは守ってあげたい。

・・・やっぱり書き始めが
2006-09-28 22:28:55

9月27日 入院4日目

2006年09月27日 21時42分44秒 | Weblog
母は依然入院のまま。
私はいつものように起き、子供達を起こし、朝食・・・・
母が入院していても、いつもと変わらない。
(そんなもんなのかなぁ・・・(-。-) ボソッ

長女は鼻風邪らしい・次女は相変わらずベッタリモード
私の目がどぅしても行き届かないからかなぁ~」\(TT。)ハンセイ・・・

いつも通りの生活を と自分の気持ちと格闘しつつ、寝室から出てこない父に声を掛け、仕事に出掛ける。
仕事を申し送りをし、
あらゆる用事を済ませ、母の待つ病院に向かう。

ナースステーションを通り過ぎるとき、担当の看護婦さんに呼び止められ、
『今なら先生が居ますので、明日のお話しを今日しますか?』
と言われ、
あらあら・・・    と言う間に、個室に。

【人工透析をしたいが、血圧が低すぎる(現在、血圧上げる薬を導入し80の時ある)、だが透析をしないと尿毒症になる。来週にはどっちにしても人工透析のタイムリミット。 急遽透析をする場合も可能性的にはある。腹水を少しでも抜くと血圧は低下する。透析をしたとしても、心臓にかなり付着を認められているので、10月が限度】
と最悪な話をされた。

先生も完敗 だと言ってた。
だが、出来るだけの事を精一杯尽くしますから。
と言ってくれた。

父にも話しないと・・・。
パパにも話さないと・・・妹にも・・・・。

横須賀の叔父とは 私は会えなかった(先生と話をしていたから)。
夜電話で その話は伝えた。
母は6人兄妹なので 叔父が連絡をとるらしい。

なかなか このブログ書き終わらない
だって、あちこちから掛かってくるんだよ・・・。

横浜の叔父からもあった。

これから先 どんな事になってしまうのか・・・。

母が気に掛かっている事…あと何があるんだろ。
兄妹の繋がり・あとは…やっぱり父の事なのかなぁ~

救いは 前にも書いたが、
【強い娘と、優しい娘の両方を育て、良い旦那さんにも恵まれて、子育ては間違ってないし、娘達の心配は何にも無い、じぃちゃんも優しくしてくれるし、何の不自由も無く幸せだよ。これで私が健康だったら何の心配も・最高の幸せなんだけどね】
と言ってた。

横浜の叔父(母の弟)も明後日か明々後日に病院に行く と言ってた。

今日は医師に 特定疾患の申請用紙を渡した。
始めての申告だ。今まで母に分かってしまうので申請してなかったのだ。
早急に書いてくれるらしい。

バカみたいに 明日先生と外来にて話をする予定だったから、子供の行事(遠足)←ホントに遠足。もあって、病院には来れない って母に言ってたんだよね~。
失敗したよ


これ・・書き始めたのが
2006-09-27 19:48:36
って出てる。
今時計見たら、夜9時39分だし
二時間の間に、何件からあったんだろ・・・もあちこちから。
もぅ 誰と何を何処まで話したんだか わかんなくなっちゃったよ

9月26日 入院3日目

2006年09月26日 21時24分59秒 | Weblog
いつまでも仕事を休む訳にはいかない・・・だけど仕事に行く気分でも無いし・・・。
でも段取りくらいはしておかないと  と思い、朝仕事に向かう。
段取りを申し送りし、同僚に理由を話し、了承を得た。

横浜の叔母が泊まれるように、寄れるように に帰り、掃除をした。

入院生活に足りない物を買いながら、母の病院に向かう。
妹と連絡を取りながら、時間がお昼だったので、病院前のモスで待ち合わせをしたら、モスの駐車場に父の発見

駐車場代の節約 疑うことなく、店内に入り、喫煙ルームを見ると 父が手を振ってる なかなか3人で話す事が出来なかったので、40分くらいは話が出来た。

父は仕事に向かい、私と妹は病院内に入った。
病室の母は、鼻酸素をして、ベッド横にはポータブルトイレが置いてあった。
間もなく、横浜の叔母が病室に入ってきた。
お見舞いに来てくれたのだ
その間、看護婦さんが血圧測定に来た。
血圧 80-50。
低いので、定期的に血圧測定の器械を右腕に取り付けた。

私が会ったのは3年…いやもっと前かもしれない。
横浜の叔母も嫁が今月20日に帝王切開で出産しているので、孫1人を面倒見無ければならない、叔父さんだけでは手が足りないのだ、若ければ何とも無い事だが、もぅ叔父は75歳・叔母は70歳だからね・・・。
泊まる誘いと寄る誘いは掛けたのだが、明るいうちに帰りたいらしいので、○谷駅まで送った。
妹は 心臓エコーの検査まで病院に居てくれる。
車いすの移動ではなく、ベッドのまま移動したらしい。

血圧が低くなった為、利尿作用の注射を止め、24時間掛けて、血圧を上げる点滴を始めた。
看護婦さんはその都度 説明はしてくれない。

義理姉にし、その旨聞いた。
【身体がオシッコを出せない状態なのに、ムリに出すわけで、すると身体の中の血管は広がり、血圧が下がる 】と言うのだ。
鼻酸素に関しては【酸素は口から管を通してる訳じゃないから問題ない、臓器に良い酸素を送るために補助的にしている】と言う。
全体的には【検査段階であって、これからも体調の波は必ずあって、今の苦痛の状態をどの治療でどの薬で対処出来るかを検査・検討するわけだから、健康的な人でもいつどぅなるかは分からないけど、状態だけを聞く限りでは、今に何があるって訳じゃないと思うよ】 と言われた。

そりゃ~いつどぅなるか なんて誰にも分からない。
有る程度は覚悟はしているものの・・・やっぱりやりきれない気持ちだ。

横浜の叔母は 驚いていた。
『あんなに髪の毛白く目立っちゃって、痩せちゃって』
と駅まで送る間に言っていた。

父は出張予定を変更し、今日は帰宅するらしい。

母の状態:見た目しか分からないが、昨日迄あった手の浮腫みが取れた。 でも身体は辛そうに見える、身体を起こしても5分程度だったから。昨日は1時間近くは身体を起こしていられた。

女兄妹の中では一番若い母だから、叔母達が見たら驚くのは当然だと思う。
私が一緒に生活していて、母のお腹を見たとき、『これはやばい』と言うのは感じていた。
多分、告知していたなら、母に伝えることも出来ただろぅけど………。
何度も何度もあった・・・入院かな。って日。
でも翌日になると家に居られそうだったし。
ホントに体調の波があるんだよね~。
低迷しつつの波だけど。

母が言うにはTVで 自分に似た症状で臓器にタンパク質が付着しちゃう病気を放映していたという。
それがホントかウソかは 妹から聞いた(私自身聞いてない)母がカマを掛けているのかも知れないし。
私の意志としたら、吐き気・食べられる・トイレまで歩ける が出来れば、自宅に帰したい。
母は 本気かウソかは分からないが、病院は安心だから と言う。
確かに、ナースコールすれば看護婦さんも医師も常時いるし、食事も食べて良い物が出るのだから、これ程安心な所は無い。

明日は 昼頃から病院に行くつもりだ。子供達の下校時刻があるので間に合う様に帰ってこなくちゃだけど、1時間くらいは居たい。
誰か TVでこの放映を知っている人が居たら、本当にあったのか 教えて欲しいです

9月5日 入院2日目

2006年09月25日 21時32分17秒 | Weblog
母が入院になっても いつもと同じ朝が来る。
ただ、おはよぅ と言うのが、1人減っているだけなのに、どぅも気持ちがシックリいかないって言うか・・
ゴミ出しを終え、今日は朝の学校の旗当番・市役所交差点で登校時刻に横断歩道の見張り番
運良くてるので、で向かった。

仕事に行かなくてはならないが、母が気になり、会社にし、休みを貰った。
面倒なことに 休暇理由なんて書くのだ
入院手続きは終わっているものの、それを理由にするしか無かった。

国の特定疾患なため、今まで申請を控えていた(受給者証が届いてしまうからだ)
受け入れがたいことでは有るが、申請書申し込みの様な物だけは 貰っておく事にした。
住民票や所得証明等 医師にも書いて貰う書類があった。
木曜の午前中に 外来にて 担当医と 母には内緒で話がある と言われたので、私が行く予定。
その時の医師との話によっては、この書類を書いて貰う事にする。

用紙を貰った後、母の入院する病院に向かった。
母は 吐き気も今日は無い様子だ。
昨夜出たお粥は2ぶ残し、吐くことも無かったらしい。
朝は またお粥。 だが、納豆までついたと言う。
【お粥に納豆だよ~ 絶対有り得ない!!!】
って私は思うが・・・・今の母にとっては何でも食べられれば良いかな
お昼前まで病室にいて、母は身体を起こして話す事が出来た。
歯ブラシ・クシ・・・・色々持ってきて欲しい物をメモに書き出した(母が)
それだけ前向きになったかな って思う。
午後からは 父が母の元に行く。

点滴4本・水分1リットル・食事3回しているが、 朝トイレに行ったきり、お小水が出てない(今日の午後4時迄)
それに 点滴を見る限りでは 水分しか入ってない様子。
腹水もそのまま何もしてないし。
体重は増加 昨日59キロだったのが、今日は61キロだ
それだけ代謝が悪いって事なのかな?

明日は心臓のエコーをやる予定。
コードが母の身体にあった。
心臓付近に テープで貼り付け、モニターで測定しているっぽい。

吐き気が止まれば、少し楽になるし。
でも、お小水が出ないのには 困った・・・。と言うか怖い。

義母から夕方電話があり、【今日大安だから行ってみようかと思う】と言う。
流石に、子供達が帰ってくる時間だったので、義母を病院には連れて行かれなかったが、どぅやって行ったのかなぁ・・・。

昨夜も父と話しして遅かったので、今日は早く寝ようと 早々に夕飯・入浴・洗濯を済ませ、風呂まで洗い 父がまだ帰ってこないので(木曜に一緒に話を聞くから仕事に行った)、
湯船にお湯は張った。
横浜の叔母から電話あった。
明日 10時47分って行ってたかなぁ~直通電車(○原止まり)に乗ると行ってた。
何処かのホテルに1泊して、明日と明後日の2日間 面会に行ってくれると言ってた。

母には、ちょうど 横浜の叔母から電話あって、入院した事話したら、タイミング悪く、横須賀の叔母からも電話あってさ~、となると、横須賀の叔父にも入院しているってことは バレルよね。

と伝えてある。

そぅやって相手のせいにする自分勝手さが・・・何だか廻りに迷惑ばかりで申し訳ない


明日は お小水出るんだろぅか・・・エコーもしなきゃならないのは分かるが、状態や時間観察すれば、何を先に見なきゃならないか位は分かるだろぅに
このまま、お小水が木曜の母に内緒の面談まで出なかったら、取り返し付かないでしょ  毒素が体中に回ってしまうじゃん。
夕方看護婦さんには お小水が出てない事は伝えた。
病院側の検査項目でも 1日のタンパク量を調べるため 尿は管理している。

知識が乏しいから、安易にそぅ思ってしまうのだ。

次女の親指に数日前から傷があり、どぅも化膿してしまった。
近くの皮膚科に行って 飲み薬と塗り薬を貰ってきた。
母を中心に動いていたので、何かが疎かになってしまう
(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)次女・・・・

パパに着替えを旅館宛に送らないと・・・。
週末に電車で出張先から帰宅し、自家用車でまた出張先に戻る予定。
いざって時に電車では時間が限られているし。


9月24日 救急外来受診⇒入院

2006年09月24日 21時49分11秒 | Weblog
始めに、以後は手が空いたときに不定期に書くことになるので、話が前後する可能性あり。

今朝起きると、両親はまだ寝室だ。
洗濯・子供達に朝食を食べさせたが、まだ起きてこない。
いつもなら 父だけでも起きてくる。
変だと思い、両親に声を掛けた。

母は昨日の夕飯の後、寝たはずなのだが、夜中12時に 無性にお粥が食べたくなったらしく、
父に作って貰って食べたらしい。
父からしてみたら、食欲が今まで無かったから 嬉しかったのだと思うし、夜中のお粥を食べさせず我慢させて、万一朝を迎えられなかったら・・・と考えた末の事だと思う。
だが、夜中3時に母は吐きだし、朝6時頃また吐き出したらしい。

母は病院を受診することを頑固に拒む。
父は黙って下を向いたままだ。
私は、病院受診を必死に勧めた。
母が家に居たい事は充分分かる。だが、トイレさえも一人で行けない程の体力(寝室の隣がトイレ)・食べても吐いてしまう吐き気・食欲無い  となると吐き気を抑え、少しでも食べられるようにならないと家で過ごすことはかなり難しい と母に訴え 1時間以上説得しやっと病院に行くことを承諾した。
母は病院に私と行くと思っていたらしいが、私が行く訳にいかない。
父に病院に行くよう伝えた。
救急外来だから 当然担当医では無い、もし…万が一、病名が明らかになったら困るから、病院に前もってで念を押さなければならない。
日曜なので子供達は、妹にして、急遽来て貰うことにした。
留守番出来ない年齢では無いが、前回救急病院(今回同様の病院)に行き入院になったときは、【入院しましょう】と医師から言われるまでに、6時間要したので、子供達だけで留守番させるわけに行かない。

入院が分かり、一旦帰宅し、妹にで入院支度をして貰っていたので、病状説明をし、入院荷物は、妹が帰りながら病院に置いてくる事になった。
子供達はかなり精神的ダメージが強く、長女は話したことはないがある程度分かる年頃だが、次女は理解しにくい年齢、私が帰って来るなりずっと私にくっついて歩くのだ。

子供の遠足の支度を日曜にしよう と言っていたので、それもやってあげないと 精神的ダメージが更に強くなってしまうので、病院は妹に任せ、遠足の支度をした。

母が知っている限りの情報は、足・手・顔の浮腫、手のしびれや 痛み・腹水(腹水は今日知った)・目の不自由さ(二重に見える)。

看護婦さんには 告知しない旨を重点的に話した。
トイレが間に合わないことも話したが、夕方私は家に帰ってきてしまったが トイレはやはり間に合わなかったらしい。

親戚にも入院した事は話をした(横浜・横須賀叔父・横須賀叔母)
母は兄妹が多く、誰が何番目なのか未だおぼえられない私だ
母が少しでも話が出来るうちに、会わせてあげたい。
いつどぅになるかは 全く想像もつかないが、ただ4月に入院したときも言われた【いつ何があるかは予想出来ません、症例が少ないのでこのまま退院出来るかは分かりません】と言われた。
それでも退院出来た。
だから、私は望みは捨ててない。
病院は病気を、その患者の気力であり生きる力と、薬で 病気を治すのだ。
決して悲観的にならず、前向きに、母の前だけではなく1日を過ごしていくつもりだ。

早速 横須賀の叔母が今週病院に行ってくれると話を聞いた。
私にとっても凄く元気の出る話である。
叔母は息子(私と同じ歳)と一緒に来てくれるそうだ。
息子さんだってあまり体調が良くないと母から聞いたんだけど、大丈夫なのかなぁ??
でもちょっと嬉しかった・・・外に出ようって気持ちが出てきたのかな って

さっき横須賀の叔父も電話をくれて、水曜に病院に行けるかもしれない と言ってくれた。
遠いのにもかかわらず、本当に 叔父にも叔母にも息子さんにも迷惑掛けてしまっている。


横浜の叔母も 火曜に病院に行ってくれる事になった。
パパにも伝え、義理の姉(看護婦さん)にも電話した。
私が凹んでいたらみんな家族も親戚も凹んじゃうもんね。
鬼ママは頑張るぞ~

自分勝手

2006年09月23日 23時37分22秒 | Weblog
有りとあらゆる事に対して、母を中心に・・と思うと、どぅしても周囲の状況が見えなくなるし、理解する余地が無くなってしまう。

お彼岸だと分かっていたし、義父のお墓参りにも母にいつも声を掛けているので、掛けなくては・・・・と思いつつも、出来ない
義母から朝、お墓参りのが有ったが、今日は母の頼まれごと(TVの移動・本探し)をしなくてはならなかったし、多分食事は【お粥】と言われると思っていたから、
炊いた白米からのお粥ではなく、どぅせ食べるならお米から作ったお粥を出来たてのうちに 食べて欲しかったので、義母の誘いは断るしか無かった。

一応、長男の嫁だし、お墓の一件では主導権がウチに無かったが
行くことに対しては全く抵抗は無かった。
義母はどぅやってお墓参りに行ったんだろ・・・
かなぁ~。

従兄弟にも私の一存でメールしてしまった
相手の状況も考えず…

多分母はもぅ廻りの事に関心は少ないと思う。
それだけ 頭の回転も弱っている。直接病気からでは無いと思うが、だるい=何もしたくない=何もしない=寝ていよう。 と言う日々なので、どぅしても頭の回転が悪くなるのだ。

私が自分勝手だと思われても構わない、鬼だろぅが何であろぅが構わない。
ただ、母の悔いだけは最小限にする事が私の役目。
どれだけ楽しい事をしようが、日々が充実していても 必ず悔いは残ってしまう。
が、少なくすること・日々何か刺激が有ること。
日々布団に横になっていたら、母の性格上【みんなに迷惑掛けちゃってる】とふさぎ込んでしまうからね~。

母の布団を干してあげたいが、いつも横になるので、布団も干せない
干せば、気持ちよく寝られるんじゃないか・・・・暖かく眠れるんじゃないか
と思うのだが、母を布団から出させ、ソファーに行かせることが これまた結構大変なのだ。
抱きかかえる訳ではないが、【横になっていたい・楽だから】と言われると、ある程度は強く言えるが、それでも動かない時は どぅにもならないからね~。
布団もそぅだが、母の部屋を掃除機かけたいが、なかなか・・・

布団にしても 部屋の掃除にしても、私の自己満足にしかなってないのは、分かる。
だが、何が出来るって……………いかに快適に過ごせるかって人それぞれで、
もぅ手当たり次第の状況。

私の自分勝手も どぅか 目をつぶってて下さいませ・・・・

9月23日

2006年09月23日 22時16分05秒 | Weblog
今朝は 8時起床。
母は起きていたが、布団に横になっていた。

朝食を聞くと、やっぱり お粥 が良いと言う
でも 食べないよりもはるかに良いので お粥を作った。
お茶碗で 半膳 のお粥を完食。

母は 顔が浮腫んでいる気がする と言う。
見た目 私には分からない。
何となくだが、手が大きくなった?? 指が太くなった?? 気がする。
と言うよりも、人の手ってあまりじっくり見たことも無いので、元からなのかもしれない。

お昼は やっぱりお粥だ
しかも、昨日も今日も食事は 母の布団の上での食事だ
お茶碗半膳のお粥を完食。

お通じが無い と言うので、少し固形物を食べるように勧めた。
11時頃 梨を半分食べた。

母に頼まれていた本を探しに、近くの百貨店の本屋に行ったが、3冊頼まれたうち、1冊しか取扱していなく、1冊しか買えなかった。
だが、あまり、本を買いたくない。
無いとは思うが、その本に病名が書かれていたら・・・と思ってしまうのだ。

夕飯は 普通の白米を半膳食べた。
食卓に 色々出したのだが、海苔の佃煮 を冷蔵庫から取り出したかったらしく
母は冷蔵庫の器を出そうとしたら、手が効かなかったらしく、器を落とし割ってしまった。

私がショックなのは、決して器を割ったことではない、手が効かない と言う事を器を割ったことによって母が再確認してしまう事だ。

気を取り直して、バカなふりをし、食卓に行き御飯を食べ始めた。
夕飯を無事に食べ終わり、母は入浴した。
シャンプーもしたらしい。

物が二重に見えるので、片目をふさぐ様に母に伝えた。
物が二重に見える=両眼視機能が衰えたのだと思う。

横浜の叔母から 母に電話が有った。
結構長話をしていた。
その後、母から呼ばれ、母の所に行くと、受話器を渡された。
叔母と話すが、母が隣に居るのであまり深刻な話をする事は出来なかった。

夜8:50 父からメールが入った。
9時の電車に乗ったらしい。
駅まで迎えに行かなくてはならない。

昨日よりも 身体を起こしている時間は増えた。
掃除をしている間ソファーに座っていたので、30分~40分は座っていたと思う。

明日は 車でスーパーへ買い物に行くのだが、母は行けるかなぁ・・・。
今日まで寝ていたから 難しいと思うが、誘ってみるつもりだ。

百貨店の食品街で、パイナップル入りのヨーグルトを発見した。
あまり見たことが無いパインのヨーグルトやゼリー。
ゼリーは見たこと有ったが、ナタデココが入っているので母は好きじゃないから素通りだったのだ。
試しに1つ買っておいた、すんなり食べられるように いつも梨を剥いてタッパーに入れておいたり、あんみつも器に入れておいたり、杏仁豆腐にパイン缶をたっぷり入れ冷蔵庫に入れておいたりしているが、ここ数日は全く食べていない。

お通じも出ないし、いつもゲップをしていたりする。
決して良い状態では無い。
体調に波はあるが、その波は徐々に降下しながらの波だ。

パパからメールで 親戚とかは来ないの?
と言われる。
これまた難しい話で、バタバタと親戚が来たら母も感づいてしまうだろぅし、今のほぼ寝たきり?? の様子を見られる事はイヤなのかも知れないし。
と返答した。
疲れてしまっても、会って話を出来る充実感も有ると思うから、母が行くことはムリなので、来て頂けるのであれば来て貰いたいっておもう。
母がちゃんと話を出来るうちに、まだ座って話が出来るうちに。

9月22日

2006年09月22日 21時58分18秒 | Weblog
今日は天気予報がハズレだ
と言うよりも、天気予報を見る時間ってのもあまりなく、いつの予報だったのかなぁ・・

朝7時 父を駅まで車で乗せていく。
今日は 出張だからだ。
予定を変更しようか と父も苦渋の選択。
出発時間ギリギリまで悩み、母の後押しもあり、出掛けた。

朝食は やっぱりお粥だ
お米カップ 3分の1 程度 おかずは 【まだ見たくない】 と言うのでお粥のみ。完食。

布団は敷きっぱなし、パジャマのまま の1日。

昼も やっぱりお粥。
鯛味噌 とお粥だ。

夜も 昼同様 お粥と鯛味噌。
栄養面を考えてしまうと 全く栄養なんて無い、カロリーなんて全く取れていないが、
食べられる事は良かった。

入浴は無し。
おしぼりを母に渡し、少しでもスッキリ出来るようにした。
足が寒いと言うので、ウォーマーをタンスの中から探した。

朝、母に内緒で、母の姉に電話をした。
私にとっては 叔母になる。
叔母はかなり驚いていた。
母の気晴らし と言ったら、叔母には申し訳ないが、もぅ旅行に行くことも出来ない体力、時々都内で待ち合わせしてランチしたりしたけど、とてもじゃないがムリだ。
ちょこっと電話で話したりする事が 生活の刺激になれば良いんだけど。
当然、私も少しでも母と話をする時間を設けたりしているが、いろんな人と思い出を作ることが、
【がんばろぅ】とか【生きたい】と思ってくれるんじゃないか って私は思うんだぁ~。

何が正解で 何が失敗 なのかは分からない。
ただ、その時 その瞬間 母の状態を含め、 【よし!】と思った事は やろぅ と思ってる。

受け入れがたい事だが、これから良くなる って事は難しい。
悪化していく・・・・。
入院せざる得ない となってから 母の兄妹とあれこれ話す と言っても 病院ではなかなか出来る事ではないし。

従兄弟にもメールした。
このブログを見て貰えれば、母の状態が分かったりするかなぁ~と・・。

母の気持ちを毎日読み取ろうとするが、そぅは分からない。
分かるものでも無いし
母に万一の時、もしかしたら母は兄妹に会いたかったのかも知れない・話したかったかもしれない・とも思うし。
叔母や叔父は 会いたかった とか もっと電話すれば良かった とか思うかも知れない。
そんな悔いは 出来るだけ少なくしたい。

悔い程 悲しい物は無いし。
何でもそぅだが、【今】は今しか無いのだ。
【後で】って有るけど、状況は変わったりするから。
病気の進行は止めることが出来ないし、遅らせることも出来ないが、何かをすれば必ず変わる。
1日寝ていれば、何も変わらなく、ただ時間が経過し、外社会が変わるだけだ。

1日1時間でも 外気に触れ、花を見たりするだけでも、【花が咲いたんだぁ~】と変化を感じられる。その花の変化を見ようと毎日見たり、水をあげよう とかなれば一番良い事だ。
悪循環にならないように、何処かで歯車を切り替えなくてはならない。

少しでも悔いない様に・・・。私も含め、精一杯の事はしている。

昨日・一昨日と比べれば 体調は良くなっているが、宣告されていから徐々に病気が進行しているのが分かる。
多分 母が一番分かっている事だと思う。
母は病気の事は一切知らないが、【変だな】と思う事はいっぱい有ると思う。

母に 腎臓に関する本を3冊程度頼まれている。
買って母に渡す事がとても怖い。
もし この病気が記載されていたら・・・ と思うのだ。

ブログでは書ききれない 1日の事だが、これが 毎日 ずっと書ければ・・・
少しでも長く書きたい。

9月21日

2006年09月21日 22時20分19秒 | Weblog
朝、一階に下りると、居間に母が座っていた。
かなりビックリする
と言うか・・・母であっても、かなり怖いと言うか・・・嬉しいビックリでは無い。
TVも電気も点けずにただ座っているんだもん・・尚更怖いって

昨日の調子とは違い、今日はちょっと楽だという。
安心して仕事に向かった。

3時に仕事を終え、帰宅すると、母はソファーで横になっていた。
1日何をしていたのかは分からない。
台所は朝のままだし・・・
だけど、洗濯は1回回して干した形跡(母のパジャマが干してあった)

TVショッピングから商品が届いていたが、開封はしてない

夕飯の支度をしている間、母はソファーで横になっていた。
ちょっと見ると、部屋を移動し、布団の所に座っていた。
トイレを済ませた母は、また布団に座った。
10分経たないうちに、またトイレのドアの音がした。
長女は2階で宿題中・次女は居間でTVを見ていた。
【あれ?またトイレ?】
と思った、ちょっと注意をそちらに向けながら、変に母に気づかれないように台所を静かにした。
少しの物音も聞き逃せない。
母はトイレから出てきて、【吐いた】
と言う。
布団に横にさせ、夕飯は少し後にする事にした。
入浴もやめた。

吐いた後は、いつもと変わらない様子。
ただ、精神的にもかなりショックだと思う。
健康オタク と迄は言わないが かなりのものがある。

夜9時 父帰宅。
父は 居間で御飯を食べた。
母は 動くのが大変なので、部屋まで御飯を持っていたが、おかずを見ることが苦痛な様子。
お粥のみ で ほんの少ししか食べられない状態(ほとんど おもゆ)

父は 明日 出張。

朝は調子よかったのだが、時間の経過によって 体調は悪くなった。
明日は、子供達は 運動会の代休で休みだ。
長女は友達と出掛けるらしいが、次女は家にいる。
私は、本来水曜だった 富○通の人がやってくる用事を ずらして貰ったので
どぅしても仕事に行かなくてはならない。

父を朝7時に駅まで送り、7時50分には私も仕事に向かう。
出来るだけ早く帰ってきたいのだが、来客が帰らないと帰れない
【さっさと引き上げてくれぃ】
と祈るばかりだ

母は お粥を食べ、パジャマに着替え、トイレに行き、横になった。
見届けてから、私も就寝。

私から見て、日々の体調の波が激しくなっている。
低迷している中の波だ。
食事もそぅだが・・・
こんな事を言うのは どぅかと思うが、家に居る事はかなり難しくなっているし、
目の焦点はあってない時がある。
動作と言う動作もほとんどしない。
座ったらすわったまま・横になったら横になったまま。
家事なんてとても出来る状態でもないし、息抜きも何も無い。
TVショッピングで買ったメガネも使う事が無いんだと思う。
状態は決して良くない。
どぅにか ならないものかなぁ。。。。
母の気持ちを読み取ろうと考えるが、、、親戚付き合い・兄妹と会う・など・・・・。