母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

9月24日 救急外来受診⇒入院

2006年09月24日 21時49分11秒 | Weblog
始めに、以後は手が空いたときに不定期に書くことになるので、話が前後する可能性あり。

今朝起きると、両親はまだ寝室だ。
洗濯・子供達に朝食を食べさせたが、まだ起きてこない。
いつもなら 父だけでも起きてくる。
変だと思い、両親に声を掛けた。

母は昨日の夕飯の後、寝たはずなのだが、夜中12時に 無性にお粥が食べたくなったらしく、
父に作って貰って食べたらしい。
父からしてみたら、食欲が今まで無かったから 嬉しかったのだと思うし、夜中のお粥を食べさせず我慢させて、万一朝を迎えられなかったら・・・と考えた末の事だと思う。
だが、夜中3時に母は吐きだし、朝6時頃また吐き出したらしい。

母は病院を受診することを頑固に拒む。
父は黙って下を向いたままだ。
私は、病院受診を必死に勧めた。
母が家に居たい事は充分分かる。だが、トイレさえも一人で行けない程の体力(寝室の隣がトイレ)・食べても吐いてしまう吐き気・食欲無い  となると吐き気を抑え、少しでも食べられるようにならないと家で過ごすことはかなり難しい と母に訴え 1時間以上説得しやっと病院に行くことを承諾した。
母は病院に私と行くと思っていたらしいが、私が行く訳にいかない。
父に病院に行くよう伝えた。
救急外来だから 当然担当医では無い、もし…万が一、病名が明らかになったら困るから、病院に前もってで念を押さなければならない。
日曜なので子供達は、妹にして、急遽来て貰うことにした。
留守番出来ない年齢では無いが、前回救急病院(今回同様の病院)に行き入院になったときは、【入院しましょう】と医師から言われるまでに、6時間要したので、子供達だけで留守番させるわけに行かない。

入院が分かり、一旦帰宅し、妹にで入院支度をして貰っていたので、病状説明をし、入院荷物は、妹が帰りながら病院に置いてくる事になった。
子供達はかなり精神的ダメージが強く、長女は話したことはないがある程度分かる年頃だが、次女は理解しにくい年齢、私が帰って来るなりずっと私にくっついて歩くのだ。

子供の遠足の支度を日曜にしよう と言っていたので、それもやってあげないと 精神的ダメージが更に強くなってしまうので、病院は妹に任せ、遠足の支度をした。

母が知っている限りの情報は、足・手・顔の浮腫、手のしびれや 痛み・腹水(腹水は今日知った)・目の不自由さ(二重に見える)。

看護婦さんには 告知しない旨を重点的に話した。
トイレが間に合わないことも話したが、夕方私は家に帰ってきてしまったが トイレはやはり間に合わなかったらしい。

親戚にも入院した事は話をした(横浜・横須賀叔父・横須賀叔母)
母は兄妹が多く、誰が何番目なのか未だおぼえられない私だ
母が少しでも話が出来るうちに、会わせてあげたい。
いつどぅになるかは 全く想像もつかないが、ただ4月に入院したときも言われた【いつ何があるかは予想出来ません、症例が少ないのでこのまま退院出来るかは分かりません】と言われた。
それでも退院出来た。
だから、私は望みは捨ててない。
病院は病気を、その患者の気力であり生きる力と、薬で 病気を治すのだ。
決して悲観的にならず、前向きに、母の前だけではなく1日を過ごしていくつもりだ。

早速 横須賀の叔母が今週病院に行ってくれると話を聞いた。
私にとっても凄く元気の出る話である。
叔母は息子(私と同じ歳)と一緒に来てくれるそうだ。
息子さんだってあまり体調が良くないと母から聞いたんだけど、大丈夫なのかなぁ??
でもちょっと嬉しかった・・・外に出ようって気持ちが出てきたのかな って

さっき横須賀の叔父も電話をくれて、水曜に病院に行けるかもしれない と言ってくれた。
遠いのにもかかわらず、本当に 叔父にも叔母にも息子さんにも迷惑掛けてしまっている。


横浜の叔母も 火曜に病院に行ってくれる事になった。
パパにも伝え、義理の姉(看護婦さん)にも電話した。
私が凹んでいたらみんな家族も親戚も凹んじゃうもんね。
鬼ママは頑張るぞ~