9月、「これは?何!」と思うほど着込む寒い時があり。白菜を四半分買って来て、海鮮餡かけ揚げ麺にするかと算段が。
日中の再び掌が返しの熱さに、手間やなと。そのまま冷蔵庫の野菜室に。
じつは買いモン行くのも億劫に、レタス・キュウリもなくなり。常備のキャベツも焼きそばしてなくなり。
朝のパンに、白菜チンしてのっけだした。これが結構いける。それも、外側から剥ぎだしたのやけど。芯からでもというのうは、フランスの野菜に白菜の芯に似たアンティーブというのがあったやないかと。
で、芯をやってみたら。鍋モンにしたらどうもイカン感じの白菜の芯の部分が、苦みというのかえぐみというのか私はどうも中心部分に弱いもので。タマネギの芯もアカン)逆にいけるなないかと。ごそごそと毎朝のトーストに。
それで結局、なにか卵麺かな、豆腐かな?炊いたとき外側の残り使ってしまった。これぞ白菜というないと。」わたしの所のこれぞ冬の鍋といっても大層なモンやありません。豚の切り身と白菜、豆腐、春雨といういたってシンプルなモン。この頃はポン酢が主、わたしたは七味家の七味だけには拘りますが。以前は醤油に酢、の七味家の七味に味の素バンバン入れ。
ともかく鍋というと豚・白菜・春雨。(この頃はグズグズにならん葛きりになってます)
なんとか豚がどうのこうのでもないし、ただただシンプルなんやケド、これが満足さしてくれる。夏場、別にどうというコトのない湯がいて冷蔵庫で冷やしたそーめん。これも生姜すっただけのあり合わせ麺汁でもその時期の当を得た美味しさ。
豚と白菜の炊いたのは、かなり広汎な時期をカバーしてくれるモノと。うどんをいれてもエエし、あとでおじやにしても。ともかく白菜のやってくれる役割。べつにこれといって味もないし食感もないのやけど、熱々のを噛みしめるときの歯のここちよさ。緑葉っぱのところ、白い根っこのところの白いところ。ときおり豚肉とか食べて合いの手をいれるけれど、やっぱり白菜があってこそ。
お店やさんの白菜と、家でたべる白菜もいっこも変わらんと頃がエエ。というより、行儀ようしつらえた白菜でなく、家で気兼ねのう雑駁に切られたもんでも、白菜「これは煮えすぎてるな」「これままだやけどシャキシャキするで」と噛みしめる心地よさ。ドンドン白菜の新手をだしてくれるところがエエ。それにあんまりお腹にドンとこんで、舌と噛み心地を楽しませてくれるところも。
双璧の洋を装ったキャベツも、和っぽい白菜もあぶらな科、もとをたどれば
「鍋物天女」