本朝徒然噺

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歌舞伎座顔見世興行

2005年11月13日 | 歌舞伎
11月の歌舞伎座は、吉例の顔見世興行。

その昔、江戸には3つの大きな芝居小屋があり、役者はそのうちのどこかと1年ごとの契約を結んでいました。
毎年11月になると、「むこう1年間、うちにはこの役者が出ますよ」というのを知らせるために、契約を結んだ役者が総出演して興行が行われました。出演予定の役者を紹介するための興行なので「顔見世」(顔見せ)と言われたのです。
今では、昔のような意味合いは薄れてしまいましたが、大看板が揃って出演する華やかな興行となっていることには変わりありません。
歌舞伎座では11月、京都の南座では11月末から12月にかけて行われています。

歌舞伎座では顔見世興行の時、建物の正面上部に櫓(やぐら)が上がります(京都の南座では、普段から櫓が上がっています)。

顔見世の歌舞伎座

この櫓の側面には「木挽町きやうげんづくし(狂言尽くし)」と書かれています。
本来、顔見世の時には「まねき」という、役者の名前が書かれた板が掲げられました。今でも南座では「まねき」が上げられています。

顔見世興行ならではの雰囲気に包まれた歌舞伎座を見ると、年の瀬が近づいた実感がわいてきます。
歌舞伎座の建て替えが決定したそうですが、建て替え後も、こうした顔見世の風情が似合う建物であればいいな、と思います。

さて、芝居に話を移して。
私が観に行った夜の部は、なかなかバラエティーに富んだ演目でした。

1幕目は「日向嶋景清」。
主演の中村吉右衛門丈が演出もつとめています。
平家の武将景清は、源平の戦いで生き残って島に流され、ひっそりと生活しています。盲人となりながらも、平重盛の菩提を弔って暮らしている景清。
ある日、景清の娘が島を訪れ、豪農のもとへ嫁ぐことになったのでその挨拶に来たと言い、目の治療をするために使ってほしいと大金を渡します。しかし、豪農のもとへ嫁ぐことになったというのは嘘で、父親を助けるために遊郭に身を売ることを決め、それによって得たお金だったのです。
事情を知らない景清は、娘の嫁入りを心の中で喜びます。しかし、自分と会ったことによって娘に里心がつかないようにとの配慮から、あえて冷たくあしらって、追い立てるように娘を島から出します。娘へのはなむけとして、家宝の刀をそっと供の者に渡した彼は、島を離れていく舟をいつまでも見送ります。
しかしその後、彼は真実を知ります。自分のために娘が身を売ろうとしていることを知った彼は、娘を助けるために、源氏方の要求を受け入れて頼朝の家臣になることを決め、島を離れ鎌倉へ向かいます。

わざと冷たくふるまいながらもその陰に見え隠れする景清の親心、そして、真実を知った景清の苦悩を、中村吉右衛門丈が迫真の演技で表現していました。平家の武将としての誇りと威厳に満ちた景清と、一人の親としての情愛に満ちた景清が、とてもよく演じ分けられていました。

2幕目は「鞍馬山誉鷹(くらまやまほまれのわかたか)」。
中村富十郎丈の長男・大くんが、このたび初代中村鷹之資を名乗ることになり、そのお披露目の狂言です。
鷹之資くんは牛若丸、富十郎丈は鷹匠の役で親子競演し、その周りを中村雀右衛門丈、中村吉右衛門丈、片岡仁左衛門丈、中村梅玉丈が固め、華やかな披露目狂言をさらに盛り立てます。
劇中でお披露目の口上もあり、場内はお祝いムードでいっぱいになりました。
鷹之資くんは、小さな体で一生懸命大きく演じていて、とても立派でした。行く末が楽しみです。

3幕目は「連獅子」。
こちらも、松本幸四郎丈と市川染五郎さんの親子競演。
どっしりと貫禄のある幸四郎丈と若々しい染五郎さんとの対比がよく、華やかで力強い舞台でした。
また、間狂言(あいきょうげん)を演じた信二郎さんと玉太郎さんが、とてもすばらしかったと思います。
連獅子の間狂言は、狂言の「宗論」に題材をとった舞踊劇。仲の悪い浄土宗の僧侶と日連宗の僧侶がひょんなことから道中を共にすることになるのですが、お互いに自分の宗旨が一番だと言い張り「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と言い争っているうちに、台詞が入れ替わってしまいます。それに気づいた二人は、口論をやめ、袖すり合うも他生の縁と道中を共にしていきます。
信二郎さんは、1幕目の「景清」にも出演されていましたが、きっちりとした丁寧な演技をされ、芝居を引き立たせていると思います。成長著しい役者さんで、これからがますます楽しみです。

最後は「大経師昔暦」(おさん茂兵衛)。
近松門左衛門作の世話物で、女主人と手代が過って姦通してしまい、事の重大さに恐れをなした二人が死を覚悟して逃げていくという悲劇を描いています。
女主人・おさんを演じるのは中村時蔵丈、手代・茂兵衛を演じるのは中村梅玉丈。
時蔵丈は、きれいで、そこはかとない色気があって、こういう役が特に似合うなあと思います。梅玉丈はこれまで「浮世離れしたお殿様」の役のイメージが強かったのですが、最近、こういった世話物の色男役を演じることが多く、新境地といった感じです。

余談ですが、このお芝居が終わった後、客席で聞こえてきた会話。
「あの二人、あれからどうなったのかしら……」ぜひ原作を読んでみてください。
「でも、何も逃げることないのにね……」「絶対ばれないわよね」……た、たしかに、そうかも。
その会話を聞いて、ふと「紙入れ」という落語を思い出しました。落語の「紙入れ」に出てくるおかみさんは肝っ玉が据わっていて、旦那にばれていないかとうろたえる出入りの若い商人や、妻の浮気にまったく気づかないのんきな旦那と好対照で描かれています。落語の「紙入れ」のほうが、現代に通じるところがたくさんあって、エスプリも効いていて、しかも笑いという「救い」があるように思います。
歌舞伎も面白いけれどやっぱり落語が面白いな、とあらためて感じました。


<本日のキモノ>

濃紺の鮫小紋と藤色の長羽織 紅葉の帯留

濃紺の鮫小紋に、藤色の長羽織。長羽織は、菊や紅葉を独特の色使いであしらった、大正ロマン風の柄です。
鷹之資くんのお披露目狂言もあるので、帯は若松をあしらった淡いピンクの織りの名古屋帯にしました。これだと、羽織を脱ぐときっちりとしたコーディネートになります。
帯留は紅葉。
10月にも紅葉の帯留を使いましたが、その時は、オレンジと黄色が混じったものでした。
今回のは全体が赤い色なので、秋が深まった時に使います。
ちょっとした小物の変化でも季節感を表せるのが、着物の楽しいところです。
実はこのアイデアは、お茶の世界にヒントを得たものです。

昔、あるお茶会の水屋のお手伝いをしていた時のこと。お客様にお出ししていたのが、ちょうど10月に使った帯留のような色・形の上生菓子でした。
「きれいなお菓子ですね」と先生に申し上げたら、「ちょうどこの季節にぴったりなので、毎年このお茶会にはこれを使うことにしているんですよ。もう少し経つと、今度は全体が赤くなったお菓子を作っていただけるので、それを使うのです」とうれしそうに答えてくださいました。
その時私は、細かなところにこだわって物を作る人、そしてそれを使って細やかなもてなしをする人のことを、心から「すごい」と思いました。
季節の移り変わりを大切にする心は、日本人として決して忘れてはいけないものだと思います。