本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

竹の秋

2005年04月28日 | つれづれ
「竹の秋」とは、俳句の世界で春を表す季語である。

なぜ、「秋」なのに春の季語なのかというと……。

竹は、春になると、筍(たけのこ)に養分を与えるため葉が枯れてしまう。その様子を、多くの木々が紅葉・落葉する秋になぞらえているのだ。

近所の竹も、葉を落としていた(写真)。
竹の葉が枯れ落ちてまもなく、地中から筍が伸びてくる。新しい生命の誕生である。
ちなみに、ほかの多くの木々とは異なり、竹は秋になると、地中の水分を葉にたくわえてみずみずしくなる。

「竹の秋」。何と美しい響きだろう。生命の息吹を感じる春と、哀愁をおびた秋とをこれほど見事に融合させるとは、何と研ぎ澄まされた感性だろう。
昔の人の感性と表現力には、脱帽してしまう。

こういった美しい言葉が、日本にはたくさんある。
ぜひ後世に伝えていきたいものだ。

今日付けの産経新聞で、俳句の世界に起こっている新しい動きについて述べられていた。
季語と季節の関係を見直そうとする動きや、新しい季語を作ろうとする動きが出て、議論を呼んでいるのだという。

季語と季節の関係については、旧暦(大陰暦)のころとは季節の感覚が異なっている今、一考の余地があるのかもしれないが、「新しい季語」として挙げられている語のなかには、残念ながら、「竹の秋」に匹敵するような卓越した言葉は見られなかった。