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本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

結城紬

2005年01月22日 | 着物
インターネットショッピングのバーゲンで買った結城紬の反物が届いた。

無地の結城が格安だったので「チャンス!」とばかりに買ったのだが(無地の結城の人気は高いらしく、バーゲンではいつもすぐに売り切れている。私が購入したときすでにピンク系の色は売り切れていて、そのあと他の色もすぐに売り切れてしまったようだ)、安いだけあって、生地はちょっと薄いかなあ、という感じ。
まあいいか、安かったし。どうせ袷に仕立てるので、何とかなるでしょう。

私はこれまで、いわゆる「やわらかもの」(染めの着物)しか着ないタチだった。
叔母からもらった大島も、まったく袖を通さないままになっていた。
しかし、昨年の夏に小千谷縮(おぢやちぢみ。新潟県小千谷で作られる麻織物)を着てから、何となく「織りの着物」もいいなあ、と思いはじめたのだ。

最近の着物エッセイストの皆さんの本を読んでいると、必ずといっていいほど無地の結城が出てくる。
無地の紬は、紋を入れると、金糸の入っていない織りの帯をあわせてカジュアルなお茶会にも着ていけるらしい。観劇やちょっとあらたまった場所にも、昼間なら着ていけるとのこと。
これまで、「織りの着物は普段着。織りの着物には染めの帯」と思っていたのだが、割に自由になるらしいことがわかり、バーゲンで見つけたのを幸いにさっそく購入したのだ。
まあ、どんなに高価でも、紬は「フォーマルな場に着ていけない」という意味ではやはり普段着なので、最初は安いものからでいいかな、と思っている。

でも、不思議なことに、織りの着物の反物を手にしたときは、やわらかものの反物を手にしたときとはまたちがったうれしさがある。何となくあたたかい感じがするのは気のせいだろうか。


そういえば今日は、中村勘九郎さんの、勘三郎襲名記念の「お練り」が浅草で行われたらしい。
私はチェックが甘くて、夕方のニュースで初めて知った。
観に行けばよかったなあ……残念!
でもまあ、午前中はどうせ反物やら芝居のチケットやらが届くのを待っていたので、どっちにしても行かれなかったかな。



上前の裾

2005年01月13日 | 着物
着物の着付け方にも、「江戸風」と「京風」がある。

上前(体の前で着物をうちあわせた時、外側になっているほう)の裾を斜めにきゅっと上げて着るのが江戸前。
7~8センチくらい、多い人だと10センチくらい上げて着付けている。

これが京都へ行くと、上前はそれほどもち上げず、ほぼまっすぐにしている場合が多い。

私は、着物によって変えることにしている。
たとえば縞の着物や江戸小紋なら、江戸前の着付け。
京友禅の着物やはんなりした柄の着物なら、京風の着付け、といった具合に。

個人的には、上前を少し上げて着るのが好きなのだが(そのほうが裾がしぼられるので、裾が広がったいわゆる「行灯」状態にならなくてすむ)、やはり着物の雰囲気とのバランスがあるので。

いちど、両親が上京した時に縞の着物の上前をきゅっと上げて着ていたら、江戸風の着付けが母には違和感があったらしく「それはちょっと上げ過ぎとちがう?」と言われたので、おかしかった。



羽織の衿(えり)

2004年12月28日 | 着物
今朝、地下鉄の中で、ピンクの地色に黒のバラ模様の羽織を着た女性を見かけた。

40代くらいの女性だと思われるが、落ち着いた色合いのピンクの羽織が、よく似合っていた。
素敵な色だなあと思い、失礼かとは思ったがついつい見ていると、その女性は、しきりに羽織の衿もとを気にしている様子。

「あれ?」と思ってよく見てみると、羽織の後ろ衿が折り返されていない。そのため、当然のことながら前の衿もともきれいに折り返されない状態になってしまっていた。
着る時にうまく折り返されてなかったのかなあ、と思っていたのだが、前の部分の衿を折り返さずにしきりに広げようとしていたところを見ると、その女性は、羽織の衿を折り返すことを知らなかったもよう。

羽織の衿は、ちょうどジャケットの衿と同じように、折り返す。
後ろ衿の部分を折り返せば、前の衿もそのまま自然に折り返される。

どうしようかなあ、教えてあげようかなあ、でもこういうのって、教えたら教えたで、小姑みたいに思われちゃう場合があるしなあ……。
でも、どう考えてもこれからどこかへ出かけるのだろうし、もしもそこが着物のベテランが集まる場だったら、この人が恥かいちゃうしなあ……。
うーん。やはり「聞くは一時の恥、聞かぬはマツタケの……じゃなかった、末代の恥」って言うからなあ。よし。ここは一つ、さりげなく教えよう。

一大決心をし、その人が再び衿を気にしている瞬間を見計らって、後ろから遠慮がちに声をかけた。
「失礼します……衿もと、手で失礼ですが……」と言いつつ、コートやジャケットの衿を直してあげるのと同じようにして後ろ衿を折り返し、「これで、前の部分がきれいに折り返せると思いますよ。素敵な羽織ですねえ」とだけ言って、そそくさと元の位置に戻った。
その女性は、羽織の衿の始末が違っていたことがわかったらしく、ナットクしたような表情で御礼を言ってくれた。
はじめは気恥ずかしそうにしていたのでこちらもちょっと気が引けたのだが、降りる時にもう一度御礼を言ってくれたので、教えてあげてよかった、と思った。

私も、着物を着ている時、洗面所などでオバサマから声をかけられることがある。
たいがいは、お太鼓のタレがはね上がってしまっている場合。
お手洗いに行って、はね上がってしまったのをうっかり直さないままにしている場合だが、こういうのは、気づかずにそのまま歩くと恥ずかしいので、言ってくれるととてもありがたい。
さらには、はね上がったタレを直すついでに、「ちょっとタレが大きいかしら。直してあげるわね」と言ってくれる人もある。
私は、こういうのもありがたい。なぜなら、着付けの時の癖というのは、自分ではなかなかわかりにくいからだ。特に帯結びの場合、自分では真後ろから見ることができないので、他の人に見てもらって初めて気づくこともある。

とある着物の本を読んでいたら、電車の中で着物のことを教えられてムカついたという着物初心者の話が書かれていた。
それに対して筆者は、そんな「教えたがりおばさん」には、負けずにこうやって反論してやんなさい、というようなことを書いていたが、私はそうは思わない。
着物に限らず何事も、初心者のうちは、いや、ベテランになってからだって、「謙虚さ」がなければ上達しないからだ。
心の間口を広くしておくことが、うまくいく秘訣なのではないかと思う。

ちなみに、その本に書かれていた着物初心者は、慣れてきたころになると今度は自分が「こないだ、どこそこで見た女の子の着物の着方がなってなかった」と言っていたらしい(笑)。
誰しもそんなものなのかも。



ネットオークション戦利品

2004年12月26日 | 着物
インターネットのオークションで落札した商品が届いた。

五つ紋入りアンティーク色留袖


アンティークの色留袖で、地色はいわゆる「江戸紫」と呼ばれる濃い紫色。
色留袖だが袖丈が64センチと長めなので、小振袖代わりにも着られそうでうれしい。
色留袖は、母から譲り受けたものが1着あるのだが、それはさすがに普段から着て歩くわけにはいかないので、ちょっとした時に着られそうな素敵なアンティークものがあればいいなあ、と前々から思っていたのだ。

胴裏(裏地)は「紅絹(あかもみ)」と呼ばれる赤の正絹なので、たもとの部分から赤い色が見える。白の胴裏が主流になっている現代、これはなかなか貴重。

下がり藤の五つ紋が入っており、紋の大きさは、現代の女性用の着物の家紋に比べると少し大きめになっている。

松に鶴などの裾模様


裾の模様は、松に鶴、舟、さんごなどの吉祥文様。松の緑色が、紫に映えている。
前身頃だけに柄が入っているので、後ろから見ると色無地の小振袖のように見える。
このように前身頃だけに模様が入っている柄ゆきのことを「江戸褄(えどづま)」と言い、アンティークにはよく見られるが、現代ではあまり見られない。

裾の部分には綿が入っており、少しふっくらとしている。
これも、現代の着物ではなかなかない。

アンティークの着物を落札したのは初めてだが、入札の決め手となったのは、「家紋」。
アンティークの色留袖はよく出品されているが、自分の家の紋と同じものはなかなか見つからない。それが今回、父方の家紋と同じだったので、この時とばかりに落札した。
下がり藤の紋には周りに丸があるものとないものとがあり、我が家の場合は丸のないほう。
「家紋」は「家の顔」というくらいで、丸の有無だけでもまったくちがったものになるので、安易に妥協できないところ。

ちなみに、西日本では女性の場合、「女紋」と言って母方の実家の家紋も用いることが多い。
私が母からもらった色無地にも「女紋」が入っている。

今回落札した商品の状態は、思っていたよりもよかった。アンティークなので、多少のしみやほつれなどは当然あるが、目立つようなひどいしみや色あせはない。ほつれも直せば充分着られそうだ。
さすがに正式な場には着て行かないが、おしゃれ着として、パーティーなどちょっとした集まりくらいなら着て行けるかも。
おめでたい柄なので、お正月にちょっと出かける時にもいいかもしれない。
これに合った袖丈の長襦袢を誂えて、再来年のお正月にはぜひ着てみたい。

落札価格も、アンティーク着物の販売会などで売られている物に比べるとずっと安かったので、良い買い物だったと思う。
今回の落札は、私としてはかなりうまくいったほうかも。



和装の防寒対策

2004年12月19日 | 着物
これからの時期、必要になってくるのが「和装の防寒対策」である。

着物は、重ね着をするわりに、袂(たもと)や裾、衿(えり)の部分から風が入るので、意外と寒い。
夏は暑くて冬は寒い、これも、着物ばなれが進んでしまった原因の一つなのかもしれない。

私は、冬に着物を着る時、必ず身につけるものがある。
それは何かというと……「スパッツ」である。
洋装の防寒用として普通に売られているもので、ひざ丈かそれより少し長い丈のもの。白いものであれば、着物の裾から見えない程度ならもう少し長くてもよいだろう。
これを、「裾よけ」の代わりにする。
これがなかなかすぐれもので、裾よけとちがって足にぴったりとフィットするので、裾回りがもたつかなくてすむ。
和装用のストッキングをはいてからこのスパッツをはけば、くるぶしのあたりも露出しないので、万全である。

上半身は、まず補正をかねて「さらし」をまき、その上から肌じゅばん、長じゅばんを着る。
さらしを巻くぶん、胴回りの保温がされやすくなるのだ。

外に出る時は、着物の上からさらに一枚はおるが、通常は「道行コート」が一般的である。
しかし、この道行コートも、袂が開いているので風が入るし、薄手なので真冬には少し寒い。
そんな時に活躍するのが、ベルベットやウールの和装用コートである。
これらは、防寒を第一の目的としているため、それに合ったつくりになっている。
袂の部分が筒状になっているので、風が入らないし、生地も厚手である。

若い人のなかには冬でも羽織を着て歩いている人を見かけるが、羽織は前が開いているので、風が入って寒々しい。
羽織=ジャケットという位置づけから考えると、やはり12月の声を聞いたら、羽織ではなくコートを着るようにしたいところだ。
和装用のコートをもっていないという人も、たとえばマント状のコートなどなら、洋装用のものでも違和感なく羽織れるかもしれない。

衿まわりをストールで防護すれば、すきま風も入らず完璧である。

着物のときは必ず着物用の道具を使わなければいけないというわけではないので、洋服のときにも使うようなちょっとした小物で、暖かく着物を着られる。
着物の下にいろいろと重ねられるので、工夫しだいでは、上から重ね着することの多い洋服よりも却って暖かいと思う。

自分なりの経験を生かしていろいろなアイデアをひねり出していけるのも、着物の楽しいところである。



着物との出会い~浴衣編

2004年12月17日 | 着物
連載「着物との出会い」最終回は、「浴衣編」。
(途中、いろいろな記事が間に入ったので、もはや連載とは言えないかもしれませんが……笑)

私は、浅草の呉服屋さんをよくのぞきにいく。
浅草には、古くからの呉服屋さんが多いのだが、銀座あたりの呉服屋さんに比べると、価格も手ごろだし、何より店の中に入りやすい雰囲気がある。
値段がお手ごろ、といっても、決して粗悪なものを売っているわけではない。それどころか、なかなか良いものを置いている場合が多い。
博多織の八寸なごや帯の結構良い品を、かなりお買い得な値段で売っているところもあり、私も何度かお世話になった。その時に買った博多帯は、とても重宝している。

ある時、雷門仲見世通りの脇にある呉服店の前を通りかかった私は、ショーウインドーに置かれていた浴衣の反物に目をとめた。
白地に藍染めで「波と千鳥」を描いた、日本橋の老舗「竺仙(ちくせん)」の反物だった。

「竺仙」は、浴衣や江戸小紋の染め元として有名な店である。
東京近郊では、夏場にデパートの浴衣売り場へ行くと、必ずと言ってよいほど竺仙の浴衣が置かれている。

ちょうどこのころ踊りを習っていた私は、それまで着ていた浴衣を稽古用におろしたため、花火大会や夏祭りに着ていく浴衣を新しく買わないとなあ……と思っていた。
三味線の浴衣ざらい(夏の発表会)のために一門で揃いであつらえた浴衣もあったのだが、さすがにそれを普段用に着るのも気が引けたので(柄はとても落ち着いた感じで、普段用の浴衣として着ても充分通用する感じだったのだが)、いい浴衣が見つかったら買おうと思っていたところだった。
そんな時にこの千鳥の浴衣を見つけて、私はすぐに心を動かされた。
しかし。

「衝動買いはいけないわ、一晩よく考えてからお決めなさい」という天使の声(?)が、私の買い物欲にブレーキをかけた。
「は、はい……そうですね……、一晩よく考えて、それでもどうしても欲しければ、また来ます……」
しかし。
今度はどこからともなく悪魔の声が。
「そんなのんきなこと言ってていいのかな~、次に来た時にはもう売れちゃってるかもしれないぜ、何たって、よそじゃ見ない柄の反物だもんな、ケケケ」
「うっ……、た、たしかに……、竺仙の反物をたくさん扱ってる呉服専門店でも、この柄はまったく見かけませんでした……、この機会を逃したら、二度と会えないかもしれません……どうしよう……ううう」

しかし。
欲しい着物を目の前にした時の私にもいちおう理性が残っていたと見えて、悩んだあげくにその日は買わなかった(単にお金がなかっただけという話もあるが 笑)。

それから数日後……。
結局、「もう一度行って、まだ残っていれば今度こそ買おう」という毎度おなじみの決心を固めてしまった私は、また浅草へ。
すると……、幸か不幸か(?)、反物は無事残っていたのだ。

お店に入ると同時に「すみません、あの、表のショーウインドーに入っている、竺仙さんの千鳥の浴衣を買いたいんですが」と言った私に、お店の人は一瞬面食らっていたが、そこは相手も商売、すぐに「いらっしゃいまし、千鳥の反物でございますね、少々お待ちくださいまし」と、にこやかな表情で表へ反物をとりに行ってくれた。

反物なので、当然、仕立ててもらわないといけない。
そのお店で仕立ててもらうことにしたのだが、さすがに慣れているものと見えて、女将さんは私の背格好をちょっと見ただけで「かしこまりました。だいたいご寸法はわかりますので、採寸は結構でございますよ。念のためご身長だけおうかがいさせてください。見た目ですと、実際のご身長よりも大きく見えたり小さく見えたりする場合がございますから」と言ってくれた。

気になるお値段だが、仕立て代も決して高くなく、反物代と仕立て代をあわせても、デパートで「仕立て上がり」で売られている浴衣より安いくらいだった。
仕立て上がりで売られているものはたいてい「ミシン縫い」だが、お店で仕立ててもらえば「手縫い」にしてもらうこともできる。やはり「手縫い」のほうが、仕立て上がった時に「張り」が出てしっかりした感じがするし、長持ちもする。数千円の仕立て代の差なら、だんぜん「手縫い」をおすすめする。

この浴衣は、さっそくその年の花火大会から大活躍した。
その後、デパートや呉服専門店の浴衣売り場を見るたびに、それと同じような柄の反物があるかどうかチェックしてみたのだが、同じものは見つからなかった。「やっぱりあの時買っておいてよかった」と、胸をなで下ろしたのだった。

ちなみにこの柄は、その後着物雑誌でとりあげられたため、人気が復活したようである。
しかし、着物雑誌に掲載された浴衣と私の浴衣とは、柄は同じだが、藍染めの色合いが異なる。
これは、竺仙の反物が手作業で染められているからであり、機械染めとちがって、まったく同じ色目にはならないのである。
だからこそ、同じ柄でも染めの色合いによって様々なバリエーションを楽しめる。

それに、藍染めには、何ともいえない風合いがある。
カラフルなプリント浴衣もかわいらしいが、藍染めの深みのある色合いは、どんなブランド浴衣にも勝る気がする。
藍染めは、はっきり言って色落ちを避けられない(ちなみに、藍染めの浴衣をお湯で洗うのは厳禁。必ず水で洗ってください)。
しかし不思議なことに、水をくぐっていったん色が落ちた後、色が定着してきたら、却って青色が鮮やかに見えるのだ。
まさに「青は藍より出て藍よりも青し」の例えどおりなのかもしれない。


私はこの千鳥の浴衣をとても気に入っているので、次に浴衣を買い換える時は、また同じような柄のものがいいと思ったのだが、果たして見つかるだろうか?
私のこの不安は、見事に解消された。
竺仙では、客の要望に応じて、一反からでも染めてくれるのだ。
(ただし、竺仙で作っている浴衣の柄に限られる。型紙から作ってもらえば、自分だけの浴衣を染めてもらうことももちろん可能だと思うが、その場合は当然コストはかかってしまうだろう)

浴衣も小紋も、基本的に型染めなので、型さえあれば、同じ柄のものを染められるのだ。
色については、手作業のためまったく同じ色目にはならないかもしれないが、手持ちの浴衣をサンプルとして持っていけば、できるだけ同じような色目で染めてくれるという。
竺仙には、古くから伝わるたくさんの型が残っているので、こういったことができるのかもしれない。もちろん、しっかりした染めの技術を持った職人さんがいるということもあるのだろう。

私は、こういう、「江戸の老舗の商売方法」が好きだ。
たとえ浴衣一反だろうが、客の要望があればわざわざ染める。
職人の心意気を垣間見る気がする。


「東京下町」のカテゴリーも作ったことだし、次の連載では、「江戸前のお店」をご紹介していきたいと思います。どうぞお楽しみに。




着物との出会い~小紋編2

2004年12月07日 | 着物
京都旅行の記事などをはさんでいたため一時中断していた連載「着物との出会い」の第3回をお届け。

今回は、私が初めて「脱・はんなり系」の着物にめぐりあった時のお話。

(※注……「はんなり」とは、「上品で華やかな感じ」という意味の京ことば)

前々回の「振袖編」や前回の「小紋編1」をご覧いただいてわかるとおり、私はずっと、古典柄や「はんなり」とした柄を好んで着ていた。親から譲り受けたり誂えてもらったりした着物もすべてそうであった。
そもそも西のほうの出身なので、着物というとどうしても「京風」のものが主流だったのである。

東京へ出て来てからも、そのあたりにはかなりこだわっていて、「着物はやっぱり京風の『はんなり』でなくては」とずっと思っていたし、自分には、いわゆるモダンな柄や粋な柄は、あまり似合わないと思っていた。

そんな私が、ある日、上野にある某デパートで行われた呉服市をたまたま訪れた時のこと。
そこには、仕立て上がりの正絹の着物もあり、割とお買い得な価格で売られていたのだが、欲しい品物は特に見つからなかった。
そろそろ帰ろうと思っていたその時、一緒にいた江戸っ子の友人(三代以上東京の下町なので、れっきととした江戸っ子である)が、「ねえねえ、これいいんじゃない」と言ってきた。
見てみるとそれは、子持ち縞(太さの異なる何本かの縞が並んで繰り返されている柄)の小紋であった。
着物の地色は白だが、縞の色が黒で、かなり細かな縞なので、遠目に見ると白地はほとんど目立たない。
八掛(はっかけ。裾や袖口につける裏地)は光沢のある淡いグレーで、地紋(じもん。生地の段階で織り出されている模様)が入っている、ちょっと凝ったものであった。

そういった着物にまったく興味のなかった私は、結局渋って買わなかった。
ところが、家に帰ってみると、その縞の着物ことがだんだん気になりはじめたのである。
さんざん考えたあげく、「もう一度行って見てみよう。もしも売れていなかったら買おうかな」と思い、再びデパートへ行ってみた。
しかし、すでにその呉服市は終了していたのである。

ああ、やっぱり縁がなかったのだと思ったのだが、それから何か月か経ったある日、同じデパートでまた呉服市が開かれていた。
「いくら何でももうあの縞の着物はないよなあ」と思いながらも会場へ足を運んでみたところ、何と、あの時と同じ着物がまた出ていたのである。
よくぞ売れずに残っていてくれた、と思った私は、今度は迷わずその着物を買った。

着てみると、意外に合う。周囲からも、「そういう感じの着物のほうが似合うかも」という反応が来てびっくりした。

そういえば、日本橋にある「竺仙(ちくせん)」という浴衣・小紋の染元へ行った時も、お店の人が「こういった感じもよくお似合いになると思いますが」とすすめてくれたのが、やはり縞柄だった。

自分の好みのものを選ぶだけではなく、客観的な目で見立ててもらうと、意外なところで世界が広がっていくのかもしれない。

しかし私にはまだ地味な感じもするので、小物をどうしようかと考えていたところ、そのデパートで店員さんが「深みのある、ちょっと暗めの赤をもってくるといいと思いますよ」とすすめてくれた。
それまで、やはり帯揚げや帯締めも「はんなり」系が中心で、濃い色のものを持っていなかった私は、目からウロコという感じで、店員さんにすすめられた色の帯揚げと帯締めを買った。
これがなかなかよくて、普段着る時は、半衿も同じような色にしている。
(しかし、「粋になりすぎない」ようにしないといけないので、難しい)

三社祭の時にこの縞の着物を着て浅草を歩いていたら、関西から観光に着た女性が後ろで「わぁ、やっぱり柄も向こうとはぜんぜん違うんやなぁ」と興味を示していた。同行の男性が「そうやな、この辺りは昔吉原があったから、イキな感じのが多いんやな」と言っていた。す、すみません、生まれも育ちも浅草でも何でもないんですけど……と心の中でつぶやいたが、関西の人も「江戸好み」に興味を示してくれていたのが、何となくうれしかった。

そう言えば、先日京都に行った時も、嵯峨野で通りがかりに入ったとある庵で、拝観受け付けの男性が私の着ていた江戸小紋を見て「ああ、あれは小紋なんやなあ、なるほど」としきりに感心してくれていた。
江戸小紋は、ごく細かな柄の型紙を使って染めた小紋で、遠目に見ると無地に見えるほどである。しかし、細かな型紙を使っているので、熟練の技を要する、手の込んだものである。
「江戸小紋」というが、江戸で始まったものというわけではなく、元は「伊勢型小紋」と言って、江戸時代、武士の裃に使われたものであった。それがしだいに庶民の間に広まったのである。「江戸小紋」という名称は、昭和になって故・小宮康助氏が重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定された際につけられた名称である。元は武士の裃に使われた柄であるため、小紋でありながら色無地と同格として礼装に使えるものもある。

一見地味に見えて実はさりげなく手が込んでいる、というのは俗に言う「江戸好み」であるが、京都の人にもそうやって興味を示してもらえるのは、うれしい。
「江戸好み」「京好み」という枠には、実はあまりとらわれる必要がないのかもしれないと思った。

一枚の縞の着物とのふとした出会いで、それまでの自分では考えつかなかった世界が広がってよかったと思う。やはり、周りの人の意見は聞いてみるもの、である。



大失敗

2004年12月04日 | 着物
先日インターネットオークションで落札した黒の羽織が、届いた。

とても楽しみにしていたのだが、品物を見て、がっかり……というか、びっくり!

まず、「絞り」と言われていた梅の柄の部分だが……、何と、染められているのではなく、塗料のようなもので生地の上から疋田模様が描かれているのだ。
こういうのは「絞り」とは言わないと思います……。
「絞り」というのは、「絞り染め」のことを指すので。
(たぶん、出品された方は、「鹿の子模様」「疋田(ひった)模様」=「絞り」と勘違いされていたのだと思うが)

商品の説明には「上質の絹」とも書かれていたのだが、手触りからして正絹ではないような気がする。

生地の良し悪しはともかくとして、塗料で生地の上から絵付けをするというのは、着物の常識としてあり得ませんから……残念!

出品された方は、メールなどの対応も丁寧な人だったし、わざとではなくてたぶん着物のことをよくご存じなかっただけなのだろうとは思うが、そうは言っても「看板に偽りあり」の品を買うわけにはいかないので、さっそく丁重に返品の相談のメールを送った。

こういうことがあるから、インターネットオークションの個人取引って、今一つ安心できないんだよなぁ……。

やっぱり、つくづく、着物との出会いは人との出会いと同じ……。パソコン上だけではわかりません(苦笑)。



着物との不思議な縁~小紋編1

2004年11月25日 | 着物
私がはじめて自分で着物を誂えたのは、25、6歳くらいの時だった。

それまでは、振袖や訪問着などの礼装は親が誂えてくれていたし、色無地や付け下げも母からもらったものがあったので、いざという時には困らなかった。

しかし、芝居を観に行くようになってからというもの、歌舞伎座できれいな着物を着ている女性を見ては「私も着物を着て来たいなあ」と思うようになった。
しかし、お正月でもない限り、歌舞伎を観に行くのに振袖や訪問着はちょっと大げさだし、色無地も紋が入っているから格が高くなってしまうし……と思い、小紋が欲しくなった。

叔母からもらった小紋もあったのだが、桜と蝶々の柄なので、季節が限られてしまう(桜は日本の花なので一年中着てもよいとも言われているようだが、桜の花だけを描いた着物だったらやっぱりそれ相応の時期に着たほうがいいのではないかなあ、と個人的には思う)。

そこで、意を決して、自分で小紋を誂えることにした。
はじめて自分で買う着物、失敗や後悔のないように選びたい……。

ちょうどそのころ、着物雑誌で小紋特集のようなものをやっていたので、さっそく買って読んでみた(思うに、これが着物雑誌愛読の始まりだったかも……)。

小紋と一口に言っても、柄ゆきによって総柄小紋、飛び柄小紋、江戸小紋など、いろいろな種類があり、格もそれぞれ微妙に異なるのだと、その時初めて知った。なかには、付け下げ小紋とか絵羽小紋なんてのもある。小紋って奥が深いなあ……。

そんななかで気になったのが、花の丸模様の飛び柄小紋であった。
ご存じの方も多いと思うが、「花の丸」とは、文字どおり、円形に花をあしらって図案化したものである。描かれる花は、桜や梅、牡丹や菖蒲といった古典的なものが主流だが、蘭など洋風の花をあしらったものもある。
もともと花柄の好きだった私は、花の丸の模様の何とも言えない「はんなり」とした感じが気に入り、「よし、初めての小紋は、花の丸模様にしよう!」と決意したのだった。

それから、呉服店やデパートの前を通りかかるたびに、花の丸の小紋がないかと探していた。
しかし、最近ではあまり流行らないのか、意外と見つからない。
たまに花の丸模様を見つけても、洋風の花があしらわれていたりして、イメージに合わなかった。

いろいろとデパートを見て回ってもなかなか収穫がなかった私は、ある日、意を決して、「最後の砦」日本橋三越の呉服売り場へ向かった。
なぜそれまで三越へ行かなかったのかというと……ズバリ、「三越の呉服売り場は高そう、店員さんもすぐ寄って来そう……」と思っていたからである(笑)。

おそるおそる足を踏み入れてみると……たしかに、値段が高いものもあるが、お手頃な品もあり、売り場の雰囲気自体はそれほど近寄りがたくなかった。店員さんも、すぐには寄ってこないので、ゆっくり見ていられる。
しかし、お目当ての花の丸小紋はないなあ……と思っていた時、売り場の端のほうにあったガラスケースに目がとまった(初めのうちは、これはお店の在庫管理用のショーケースかと思っていたくらい、存在感のないショーケースだったのだ)。

あ、この中の反物も売り物なのね、と思ってのぞきこんだその時、私のイメージしていた柄の反物が発見されたのだ。
反物についている商標を見てみると、何と京都の「千總(ちそう)」という有名染元の品だった。

「わあ、いいなあ、でも千總の反物なんて、高いんだろうなあ……」と、おそるおそる値札を見てみると……、何とそこには「SALE」の文字が!
定価だと、反物価格で14~15万する品が、10万円をゆうに切る価格になっていたのだ。
これなら、八掛や胴裏、仕立て代を入れても、反物価格以内でおさまってしまう。
迷わず決めた私は、接客をしてくれた番頭さん(「店員さん」というよりも「番頭さん」という表現がぴったりの、和服姿のベテラン男性店員であった)に、今回初めて自分で着物を誂えるのだということを告げ、採寸をしてもらった。
番頭さんは、着物の仕立てについてまだよくわからない私の質問にも快く答えてくれ、八掛選びにもいろいろとアドバイスをしてくれた。

最後に番頭さんに「千總さんの反物がこんなにお買い得になっているなんて、びっくりしました」と言ったら、「ありがとうございます。つい最近、メーカーさんのほうで新柄が出たので、旧柄の品がだいぶお安くなったのです」とのこと。
何と、いいタイミング! もう少し早い時期だったら、こんなにお買い得にはなっていなかったのだ。もし正札だったら、買うのをあきらめていたかもしれない……、安くなった後でよかった……と、しみじみと思った。
別に新柄でなくても、好きな柄ならそれでいいのだし。

こうして出来上がった着物には、内側に小さく「三越」のタグが縫い付けられていた。店の名前を入れるだけあって、仕立てはすばらしかった。さすがに、かつて呉服屋さんだっただけのことはある(三越のルーツは、江戸時代初期に三井高利という人によって創業された「越後屋」という呉服屋さん。武士を得意客としていたが、明治時代になって得意客である武士がいなくなってしまったため、「株式会社三越呉服店」として「日本で最初のデパートメントストア」となったのである。ちなみに「三越」の名は創設者の名前「三井」と「越後屋」をつめたもの)。

飽きのこない柄であること、派手な色ではないこと、生地がいいこと、仕立てがよいことを考えると、きっと長く着られるので、決して高すぎる買い物ではなかったと思う。
実際、気に入って何度も着ているし、いろんな場面で着られて便利なので、それなりに元もとれていると思う。

この、記念すべき「初誂え」で学んだことは、

1. 店のイメージや外観だけで敬遠せず、気になったらとにかく中に入ってみるべし
2. 途中であきらめず、売り場はとにかくすみずみまで見てみるべし
3. デパートの場合、「呉服扱い」に慣れている店なのかどうか、売り場の雰囲気や品揃え、店員さんの様子から判断すべし
4. 仕立て代、胴裏代、八掛代など、反物以外にかかる金額も含めて、冷静に算盤をはじくべし
5. わからないことや不安なことはとにかく店員さんに聞いてみるべし(もしも店員さんがあまり呉服に詳しくなさそうだったら、買うことを見送るという選択もあり)

そしてもう一つ、

6. とにかく自分の気に入ったもの、納得のいくものを買うべし(これが基本! 出会う時は出会うものなので、あせって妥協するべからず)

こうして考えてみると、着物との出会いは人との出会いに似ていて、奥が深い。



着物との不思議な縁~振袖編

2004年11月24日 | 着物
私が、初めて着物との出会いに「縁」を感じたのは、成人式の振袖を選んだ時である。

当時の私は、今ほど着物に対して興味を持っておらず、「成人式に振袖なんて着なくていいわ。第一、成人式に出るつもりなんかないし。振袖を買ってくれるくらいなら、洋服のイイヤツを買ってくれればいいのに」などという不届きなことを考えていた。

それゆえ、振袖選びにも消極的で、なかなか買いに行かないままずるずると引き延ばしており、あわよくばそのまま時間切れを狙って洋服を買ってもらおうくらいに思っていた。

成人式の前の夏が終わり、成人式商戦もほぼ終わりにさしかかってきたころ、母にせかされ「とりあえず見るだけね」という感じで呉服店とデパートへ出かけた。

1軒め、2軒め、3軒め……、次々と見ていくが、どうも気に入ったものが見つからない。
夕方になり、いいかげん疲れてきた私たちは、ここで最後の1軒にしよう、もしもここで見つからなかったら振袖は買わないでおこう、と決めて、あるデパートへ入った。
そのデパートは、老舗ではあったのだが、他の大手デパートに押されて客も少なく、こじんまりとした店だった(ちなみに、今はもうこの店はない)。
正直言って「この店では見つからないと思うなあ……」と思っていた私は、いろいろな品物をひっぱり出してきてくれる店員さんの説明も、うわの空で聞いていた。

母も私も、口にこそ出さないが「やっぱりここにはないよ、もういいんじゃない、帰ろうか」というような雰囲気になっていたその時、仮縫い状態で畳んで置かれているたくさんの振袖のなかの一着が、ふと私の目にとまった。
濃い地色の振袖が多いなかで、クリーム色のやわらかな色調が、何となく目についたのである。
「すみません、ちょっとあれを見せていただいてもいいですか」

広げてみるとそれは、クリーム色の地色に、ピンクや白のしだれ梅、蝶、能の橋掛りのようなものが描かれている、古典調の振袖だった。
生地は波頭の地紋の入った綸子(りんず)で、梅や蝶の部分には刺繍や箔(金箔)が施されていた。
手のこんだ良い品であることは、すぐにわかった。
しかしそれ以上に、その地色の何ともいえないやわらかい感じと、能の「胡蝶」という曲を彷佛(ほうふつ)とさせる柄に、私はひかれた。
以前の記事でも書いたが、私は当時、大学のサークル活動で能を習っていた。
「胡蝶」は、梅の花の盛りのころ、梅の香に誘われた胡蝶の精がどこからともなくあらわれ舞を舞うという美しい曲で、私の好きな曲の一つであった。

「これだ!」と思った私は、それまでの気乗りしない態度から一変し、積極的に店員さんに質問をしはじめた。
不思議なことに、その振袖を店員さんが私に着せてくれたとたん、打って変わって気分が昂揚してきたのである。
その時点で私の気持ちはほぼ決まっていたのだが、我が家の大蔵大臣(当時)の意向を聞かないことにはどうにもならない。
値段を聞いてみると、これがまた驚き。それまで見て来たどの店の価格よりも安いのだ。
どうやらその店では、成人式商戦も終わりに近づいてきたためかなり値下げをしていたようなのだ。
しかも、帯や小物などがすべてセットになった価格である。帯も好きなものを選べるという。

この品物でこの値段なら安い! めでたく大蔵大臣の決済が下り、私は帯を選び始めた。
着物の地色が淡いので、帯は黒にして引き締めたいと思い、黒地に金糸や色糸で蝶の柄が織り出されたものを選んだ。

あれほど「振袖なんて」と思っていた私は、まるで人が変わったように熱心になり、買い物が終わった後もほくほくしていた。
母も、私がやっと振袖着用に乗り気になったので喜んでいた。

成人式にこそ出席しなかったが、その年のお正月にその振袖を着ていわゆる「前撮り」といわれる写真撮影をした。
当時、赤や緑などはっきりした色の振袖を着ている人が多いなか、私の振袖の淡い地色は、却って新鮮だった。

その後も、友人や親戚の結婚式に必ず着て行ったほど、私はこの振袖が気に入っていた。
着ている本人が気に入っている着物は、不思議と周囲の評判も良い。
評判が良いのがうれしくて、私は着物を着ることがだんだん楽しくなっていった。

今でも、この振袖は実家に大切にしまってある。

もしもこの振袖に出会わないまま店を後にしていたら、私は一生、着物好きになっていなかったかもしれない。