良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

新札と使い古しのお札

2010-04-09 14:26:21 | つぶやき
 この間の日曜日は「今日はポカポカ陽気になる見込み・・・お花見に最適の気候です」という天気予報が大ハズレし、冬に逆戻りしたような寒い一日でした
その日、私は埼玉県の幸手市で開催された「さくらマラソン」の応援に行きました 今回は10マイル、という珍しい設定。10マイルと言えば、16キロなんですね。
 半年ぶりの熱海のレースで、やっと5キロのランで復活したばかりの私は、「16キロ」の設定に恐れをなし、早々と応援!と決めました

 幸手市は、江戸時代から「桜・お花見」で有名な土地らしく、町中には立派な桜並木があり、ランニングコースには、利根川の支流である川沿いの道の桜並木と満開の菜の花・・・という黄色とピンクの対比が美しい場所もあったそうです。(残念ながら、今回は走らなかった私は、この絶景を見ていません)

 いつもは、ランニングでかいた汗を流すためにシャワーやお風呂を探す私達のチームですが、今回は「あたたまるため」のお風呂探し レース終了後は、タクシーに分散して、スーパー銭湯のような入浴施設に急ぎました
 10分ほどで到着。たまたま、助手席に乗られた方がタクシー代を支払ってくださることになりました。大学を卒業して、早々と起業し成功したバリバリのビジネスマン 日頃からよく気の付く、気遣いのできるメンバーです。まだ30代半ばの男性ですが・・・お財布を探りながら、運転手さんにこう言って代金を支払われたのです。
 「運転手さん、ごめんなさい この千円札、ボロボロです 少しでもマシなお札がないか探したんですけれど・・・さすがに失礼ですよねえ、すみません。ほんと、ごめんなさい
 私はちょっと驚きました。確かに、運転手さんに手渡された2枚のお札のうちの1枚は、かなりヨレヨレでした
 とは言え、「お札はお札、お金はお金」であることは確か、です。状況からすれば、千八百○十円の運賃を支払うために、1000円札を2枚出した、というだけのことです。何も間違いはありません

 でもね。
この男性は、「ヨレヨレになった古いお札を支払うこと」に躊躇し、何とかそれを回避しようとしたけれど、それが出来ず、非礼を詫びた・・・ほんの1分にも満たない出来事でしたが、私はこの一連のことを見ながら、この方の育ちや品格に触れた気がしました

 私は10年以上前から「新札、新券」についてよく話題にします。むかーしからお付き合いのある方々は、「ほ~ら来たよ~、先生、よほど話題に事欠いたのかしら??」なんて思われるかもしれませんね でも、また敢えて!
 私のお教室に入会していただく時も、これほどまでに紙媒体を利用しないようにしているにも関わらず、わざわざ諸費用に関するプリントをお渡しし、お金やお金の支払い方について記載しています。それはなぜなのか?お考えになったことはあったでしょうか?

 比較的、お金の話題というものは(よほどの経済問題でもない限り)、人との関わりの中ではタブーですね 昔から、それを話題にすることは、「はしたない行為」だと昔から考えられているからでしょう
 けれど実際には、お金を支払う、という行為は、生活全般についてまわります そして、お金の扱い方、支払い方等は、その人の育ち方や考え方、家庭環境に大きく関係する、いわばその人の「品格」を如実に表す行為です。
 私は50歳を越えた今でも、さまざまなシチュエーションで「お金を渡す(支払う、お祝い、お悔やみ、すべてのお金関連の行為)」場合には、とても気を遣います。やはり、ここにこだわり、そつなくスマートにこなせることが社会人として、大人として、親として、とても大切だと思っています

 「新札、新券」については、このブログにも書いたことがありますし、ブログが始まる10年ほど前には、「お母様、ちょっとお耳を・・・」というHP内で月に一度更新していた手記にも書いたことがあります。
 一度は、そのことがコワ~イ受験ママゴンの目に留まり、受験関連の掲示板で、「この先生は細かいことにうるさく、ペーパーやテストの点数に関係ないお金やお金の支払い方にまで言及する」と非難囂々 たたかれた恐ろしい経験もあります。(またまた、懲りもせずに話題にしているところが、私の私らしいところ、です)
 でも、年度があらたまった今、いろいろな場面でお金を扱われることも多いかと思いますので、あらためてみなさまに「むー、なるほどねえ・・・」と考えたり、感じたりしていただくため、再度(再々度?)この話題に触れたいと思います
 以前に書いたものを、もう少し分かり易く、短くして、お話しをしましょう

 昔むかし、NHKの大阪局で制作されたドラマに、昭和初期の「船場」の商家を舞台とするものがありました。そのドラマの一場面・・・長年、その店に勤めてきた番頭さんが、嫁いできたばかりの若奥さんに語るセリフが素敵だったのです。
 シチュエーションとしては、経験不足で未熟な若奥さんの失態を隠そうと、助けてくれた番頭に対して、若奥さんがお礼の気持ちだと言って、ちょっとした額のお金(お札)を祝儀袋に入れて渡すシーンです。

 「若奥さん、ありがとうございます でもねえ、これではいけません 奉公人である私が相手だとしても、これではあまりに失礼です。もし、本当に若奥さんが本当にうれしい、ありがたいと思ってくださったのであれば、きちんと私に渡してくださるお札には、ぴしっときれいにコテを当ててくださったものでなければなりません。こんなに古くなり、ヨレヨレになったお札がそのままで祝儀袋に入っていては、若奥さんのお気持ちも半分になってしまいます 頂戴する額がたとえ同じ額だとしても、きれいなお札と使い古されたお札では「お金の値打ち」が違うのです。きっと若奥さんは、古いお札も、新しいお札も、みな同じお金、そう思っておいでなのでしょう?それは違うのですよ。新しいお札や、コテを当てられたお札には、値打ちがあるのです

 いかがですか?どう思われましたか?
私が幼い頃、お稽古ごとに持っていくお月謝袋を母に渡すと、必ず母は、決まった引き出しの中の封筒から新札を出し、きちんと同じ方向に向けて、念入りに入れてくれました。幼い頃の私は、あまりその理由に関しては考えることもなく、ただただ「お稽古ごとの  月謝は、引き出しの中の、銀行の封筒に入った新しいお札を入れるもの」というふうに思っていました。
 封筒から出したお札を数え、うやうやしく、目を閉じて頭の上まで一度おしいただき、お月謝袋の中に入れる・・・今思えば、それが一つの礼儀であり、同時に、母の各先生に対する無言の敬意の気持ちだったのでしょう。

 私は、卒業生のお母様方から、よく言われることがあります。お世話役や役員さんなど、学校で集金をされるようなお仕事に就かれると、いろいろとお感じになることが多いご様子・・・
 「日頃はみな同じように見えているお母様方でも、実際にお金を集めるような機会があると、一人一人のお人柄等が手に取るように見え、ちょっと複雑ですね。みなさまには、同じ額を提出してくださるのですが、実際には、その方の『お人柄』まで一緒にいただいた気がしてしまいます・・・」
 会費や積立金のようなものは、ほとんどの場合、事前に金額が知らされているものです。その時、その日、突然に支払うことのほうが少ないですね。
 要するに、事前に「支度をする、準備をする、用意をする」という時間は、ある、のです
 にも関わらず、お世話役の方の目の前にいらして、恥ずかしい様子も見せずに「えーっと・・・いくらでしたっけ?」と平気でお財布を出されるお母様・・・平気で1万円札を出され、全くお釣りのことをお考えになっていないお母様・・・
 その一方で、決まった額をきちんと封筒に入れてご用意なさり、「ごくろうさまです ご面倒をおかけします」と役員さんの労を労い、提出なさるお母様・・・封筒の中には、きれいな新札が入っている・・・
 受け取る側は、こういうふうに様々な対応を見せるお母様方と接していると、やはり、それぞれの方から「同じ」ものは感じない・・・そりゃあ、そうでしょうね

 さっきの番頭さんのお話し風に言えば・・・新札と使い古しのお札の値打ちの違いは、まさに「いくらでしたっけ?」とお財布を開く方と新札をきちんと用意された方の「人の値打ち」の違いになるのでしょう

 幸手のマラソンの日、タクシー代金を支払ってくださった方・・・きっと、「あまりにヨレヨレになった古いお札で支払うのは、運転手さんに失礼だ・・・申し訳ないなあ・・・」そういう意識、そういう思いを持たれるような教育をご家庭の中で受けてこられたのでしょう。たんに「仕事ができる」とか「頭脳明晰」とか、そういう無機質な人間的価値だけでなく、人と人とが関わり、互いに影響しあって生きていく上での「人間としての値打ち」が身に付いて育たれたんだなあ、と思い、あたたかいものを感じながら、私も一緒に運転手さんに頭を下げました


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。