良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

ゆいまーるの心

2007-07-29 17:29:55 | 良い子、良い親!
 「ゆいまーる」これは沖縄の言葉で、協力とか、助け合い、という意味なのだそうです
 「いちゃりばちょーでー」というのもあります。こちらは、一度会ったら友達ですよ、というものらしい

 もし、私がこの二つの言葉を、10日前に聞いていたとしたら?curious Georgeさながらに、好奇心旺盛の私は、きっとこれらの言葉の由来等を懸命に聞き、私の新しい一つの知識として、どこかの場で披露するためにインプットさせたでしょう
 しかし、私は今、この二つの沖縄の独特の言葉を身を持って体験し、毎日のように沖縄の人々に感謝しながら暮らしています

 じつは、主人が旅先の沖縄で怪我をして、県の北部の中心都市、名護市で入院生活を送っています 痛みも引いてきて、今ではとても元気にしていますが、大きな骨折をして足が利かないために、ベッドの上だけでの生活を強いられているのです
 そんな主人のところと横浜を頻繁に往復する私は、当然、旅行者としての日程や行動とは違い、タクシー、コンビニ、町の商店、ビジネスホテル、高速バスの運転手さん、病院の売店の方達、そしてもちろんドクターや看護師さん達と頻繁にお話をし、通ううちにどんどんと地元の人と親しくなっていきます

 そういう状況の下、私はとても大きなことに気づきました
マラソンやトライアスロンが趣味という主人が、全く今は歩けない、という現状
 仕事と家事をしながら、その合間に沖縄に通う私の現状 二人とも立場は違えど、かなり過酷な状況にいながらも、主人も私もよく笑い、よく話し、とてもほのぼのとした気分で沖縄での時間を送っています いったい、なぜだと思われますか?

 そうなんですねえ。私たちは、この沖縄にながら、青い海や青い空に触れることはほぼありません 
 主人の病室からは海は見えませんし、窓枠が邪魔をして、それほど主人の視界からは外の景色が見られません
 那覇から名護まで約2時間。この高速バスは、県のほぼ中央を縦断する高速道路を走り、ほとんど海沿いを行くことはありません
 けれど、私たちは確かに沖縄の「すばらしさ」を実感し、怪我や看病とは別の次元で、すっかり沖縄の虜になりました なぜでしょうか?

 それは、沖縄の人々の何ともいえない「言葉」と「笑顔」があるから、だと思っています おだやかで、ゆったりとしていて、あたたかさにあふれている言葉、そして笑顔・・・

 数年前に、NHKで「ちゅらさん」という連続テレビ小説が放映されました 主人公のえりい、小浜島のおばあ、えりいのお兄さん、東京の沖縄酒場の主人等、数人以外は実際には沖縄出身の俳優さんではなく、膨大な方言指導の末、あの「沖縄の言葉」をドラマの中で話していたのだと聞きました。
 ですから、実際に沖縄の方が、あの俳優さん達のセリフを聞くと、「なんだか変よお」と思われたのかもしれませんが、少なくとも、脚本をお書きになった方は沖縄の方で、そのセリフに込められた思いは、間違いなく沖縄の心だったでしょう

 名護の病院に来ると、まさに私は「ちゅらさん」の世界の中に入っていきます
 「ご主人はかわいそうに、痛い思いをして、不便を感じているねえ」
 「じっくり治しましょうねえ」
 「無理はダメさあ」
 「横浜と沖縄の往復は、大変さあ」
 「何でも遠慮なく言ってねえ」等々・・・
 字面にからはなかなか十分に伝わりにくいとは思いますが、おだやかな、ゆっくりとしたトーンで語られる言葉、そして満面の笑顔は、間違いなく、不自由を強いられている主人のさまざまな焦りの心、後悔の念、痛み、そんなものすべてを凌駕するだけの不思議な治癒力を持っています

 私は、よく「言葉を大切にしましょう」とさまざまなシーンで主張しています。言葉は、心そのものなのだから、美しく、正しい言葉で話しましょう!と
 もちろん、この意味は、言葉を話す民族として、自分の話す言葉を大切にし、正確な言葉を話す正しい人間でいましょうよ という意味でもあります。
 正しい言葉の知識なく、意識的に美しい言葉が話せない人に、別の国の言葉が話せるわけがない・・・それが私の持論です

 しかし、私はこの沖縄での経験から、もっと違う「言葉の意味」を、今強く感じています
 言葉は心であると同時に、「人の耳に聞こえる『音』であり、聞いた人の心を大きく左右する『音』である」ということです

 つまり、言葉は「伝達のための道具」であると同時に、「聞く人を心地よくも、心地悪くもすることのできる「音」である」ということなのですね
 
 毎日、家族やまわりの大人から、やさしく、穏やかな言葉で語られ続けて育った子どもたちは、耳から心地よい「心」を感じ、きっとやさしい心を持った子どもに育っていくでしょう
 その反面、毎日、粗野な言葉を聞いて育った子どもは、きっと耳から入ってくるザラザラした言葉の中で、どこか殺伐とした空気を心の中に取り込み、どことなく潤いのない感覚を持つ子どもに育っていく・・・としても不思議はありません

 正しい言葉、そして、やさしい言葉・・・
それは、きっと人を癒し、人をやさしく導く魔法ですね。
 

携帯電話が壊れたー!

2007-07-17 22:10:25 | つぶやき
 昨日、教室で話していると、急に私のバッグの中から「ピーッ、ピーッ、ピーッ」という音が聞こえてきました 明らかに、携帯電話のバッテリーが切れますよ、という警告音でした
 あれ?さっき携帯電話をチェックした時には、バッテリーの残量は十分だったはず 何となく腑に落ちない思いを持ちながらも、教室での時間を過ごし、帰宅しました

 夕食のしたくをして、家族と食卓へ はしかのために1週間休校になった大学では、遅れた講義を取り戻すべく、祝日も授業があった息子は、少し遅れて帰宅。久しぶりに家族全員で食卓を囲みました
 キッチンの後かたづけをして・・・そうそう、携帯電話を充電しないと 電源は、すでに落ちていて、画面は真っ暗。ところが、充電コードに接続させても、なぜか充電が始まったサインである赤いランプが点灯しません

 げげげっ 大変だあ 今や私の携帯電話は「電話帳」であり「住所録」であり、「メモ帳」であり・・・ときには「スケジュール帳」の時もあります。そうそう、「目覚まし時計」でもありました
 確か、電話帳には、300件近いデータが入っていたはず。もちろん、300件の中には、もう2度と行くこともないであろうレストランの電話番号や、控えておけば便利、と思って何となく登録した電話番号もあります。
 しかし・・・いざ、無くなってしまうかもと思ったとたん、それらのすべては貴重に思えました。
 当然、本当にとても貴重なデータもわんさか入ってはいたわけですし・・・

 本来ならば、そんなに大切なデータの宝庫なら、完全なかたちでバックアップをとっておくべきことは当然
 にも関わらず・・・私はそんな当たり前のこともせず、とにかく使いこなすことばかりに集中し、時間ができたときにバックアップすれば良いのだから・・・と、先送りにしていたのでした。

 さすがに・・・昨夜は遅くまで、「どうすれば失ってしまったデータを一日も早くに復活させられるか?」ばかりを考え、なかなか寝付けませんでした
バカですねえ・・・本当に。

 けれど、今日、子ども達を送り出し、いつものようにベランダから見送りながら思いました 
 「つい15年ほど前までは、一度子どもを送り出すと、帰ってくるまでは連絡などとれなかった・・・
 そうですよね・・・

 「今夜は晩ご飯はいらないよ、友達と食べて帰るからね
 「言い忘れてた 今日は授業の後はバイトです
 「ママとの待ち合わせの時間に変更なし。でも、遅れそうだったら、携帯にメールを入れるね」 etc.etc.

 すべて、私が大学生の頃は、できなかったことです
家に電話をする時には、10円玉を握りしめて公衆電話を探し、留守番電話もなかった当時、母が外出中であれば、自宅に電話をしても、用件を伝えることもできず・・・たとえルーズさが原因ではなくても、約束の時間に遅れてしまうと、待ち合わせをした人を延々と待たせてしまう・・・

 そう言えば、母は頻繁に住所録や電話帳を書き直し、いつでも父から尋ねられたら、さっと知人の連絡先を伝えられるようにしていましたっけ・・・

 文明の利器の便利さは、私達の生活を、飛躍的に「未来的」に変えていきました 昭和30年代に「鉄腕アトム」に描かれた世界は、ほぼ今の生活と言っても過言ではありません
 けれど、便利さに振り回され、あんな小さな電話ひとつ故障しただけで、私はすっかりうなだれてしまっていたのです

 日頃は、潤いのある生活、豊かな生活、こだわりのある生活・・・と提唱している私ですが、ことITに関しては、誰よりも一番、機械を最大限に使い、潤いのない生活をしているとも言えますね
 このことを期に、「気持ち」だけでも、文明の利器に振り回されない、古き良き時代を継承していかなくちゃ あらためて、そう実感した私でした

品格・・・母から娘へ

2007-07-07 19:13:40 | つぶやき
最近、頻繁に「品格」という言葉を聞くようになりました
ここ数年は、大学の授業や、お作法の教室のような特殊なところでしか使われなくなり、一般人の普段の生活の中では、すでに死語と化してしまったのではないか?と、大変憂いていた私でしたが・・・
 
 少し前に、数学者である藤原正彦さんがお書きになった「国家の品格」という本が出版され、マスコミでもよく取り上げられたものでしたが、今度は「女性の品格」です
 著者は、坂東眞理子さん。東京大学卒業後、総理府に入省。長年、官僚として従事し、女性初の総領事となられたことでも有名で、現在は昭和女子大の学長を務める優秀な女性です
 今はどんな本屋さんでも平積みになっていますので、すでに、手にとられたことがある、という方も多いのではないでしょうか。
 板東さんは・・・「礼状が書ける」「約束を守る」「型どおりの挨拶ができる」といったふだんの言動に、女性の生き方と品位はおのずと表われる、とおっしゃいます。本当にその通りだと思いますね
 中に書かれた多くのことは、決して「特別なこと」ではありません。どれもこれも、かつては「あたりまえ」として意識もされずに、日本人女性がやってきたことだったのだと思うのです

 先日、ある夕方の番組で、この「女性の品格」を特集で取り上げていました そして、インタビュアーが、町を行く女子大生を中心とする若い女性に「あなたのまわりの、品格のある女性は誰ですか?」という質問をしたところ、多くの人が「松島菜々子さん」と答えていたのが印象的でした
 確かに、美しい女優さんですね 控えめに見えますし、そんな面から奥ゆかしさを感じ、若い女性達が「面識もないのに」、迷うことなくあの女優さんを「自分の身のまわりの、品格のある女性」としてイチオシした意味は理解できます
 
 しかし、その一方で、会ったこともない女優さんを、「自分の身のまわりの、品格のある女性」として推挙する若い女性達に、少し残念な思いがしたものです。
 あくまで、今の女性達にとっての「品格」とは、「目に見えるイメージのようなもの」なんですねえ
 おしとやかそう!きれいだけど、嫌みさがない、押しの強さが感じられない、清潔感がある、等々・・・彼女達は次々に「自分のイメージ」を話します

 もし私が、「あなたのまわりの品格のある女性は誰ですか?」と尋ねられれば、迷わず、私の母と主人の母、この二人を思い浮かべます
 義母は本当に優秀な女性ですが、私の母は不器用で慌て者、頼りなく、父の付属品、のような人です
 しかしその実、私にとっては女性としては非常に存在感があり、とてつもなく大きな人です(身長は146センチ、体重38キロ、という小さな人ですが)。
 私はこの母の「後ろ姿」を見て育ちました。
25歳まで、毎日、母とともに暮らしましたが、さまざまな女性としての、妻としての「いろは」を、母から口述された思い出は一度もありません ひたすら私は、幼い頃から、こっそりと母を眺め、見よう見まねで母の「真似をしてきた」のでした
 結婚後は、とても豪快で明るく、博学な義母から、多くを学びました 義母にはその時、その時で教えを乞い、詳しく教えてもらったものです

 女性の品格・・・それは、その女性の毎日の生活の中で静かに息づく、その人そのもの、だと思います
 そして本来は、娘が母から受け継いでいく「無言の日々の学習」ではないでしょうか
 そして、そのプラスαとして、学校という環境、職場という環境から、女性は学び、身につけていく・・・

 私は、自分の母親の自慢をしたかったのではありません
むしろ私は、敢えて母のことを思い出し、やはり「娘の母」という立場である私自身を顧みて、大きな反省と後悔、娘への懺悔の思いを感じています
 私の娘は19年間、母親である私の後ろ姿を見て、きっと私自身が母から19年間で学んだことの半分も「品格」を学んではいないでしょう

 私は、何とかこの「品格ブーム」がブームに終わらずに、いつまでも女性の心の中に残り、畏敬の念のような思いをもって扱われる「重い言葉」となってくれればいいなあ、と思っています
 そして、世の中の「娘を持つお母様方」が、「品格とか何とか、いろいろ言ったところで、『私』なんだから・・・仕方がないでしょう」というような、一見豪快だけれども、実際にはとてもがさつでいい加減な思いを持たず、あらためて母と娘という人間関係を見直してもらえたら良いなあ、と、心から考えています
 私も、まさにその必要のある母親の一人として・・・