良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

違う視点で善意を見る

2011-01-12 09:14:11 | つぶやき
 小さな善意「伊達直人」・・・日本中に広がっていますね。年明けから、とても心あたたかくなる素敵な伝染です
 こうして次々に各地に登場する「伊達直人」のニュースを聞いていると、日本もまだまだ大丈夫だななどと、ホッとしてしまいます。
 リーマンショック以来、ずっとずっと暗いニュースばかりが続いていたように思うここ1,2年 ちょこちょことハッピーなニュースはあっても、「吉報・吉事」としてしっかりと心に残っていないことを思えば、やはり気分低迷のニュースのほうが多かったのでしょう。

 ただ、今回の素敵なニュース・・・私は、どうしても視点は「伊達直人の善意」のほうではなく、その善意が向けられている児童養護施設のほうに向いてしまいます。
 どのニュースを見ていても、映像では真新しいピカピカのランドセルや伊達直人のメッセージが映し出され、本当に「さらりと」ナレーションで「事情があって親と一緒に暮らせない子ども達の施設」と言われるだけで終わってしまいます
 当然、マスコミが取り上げたいのは「善意」あり、善意がむけられているほうをクローズアップする意図はないわけですから、それは至極当然のこと、だとは思います。

 でもね、子を持つ親として。
みなさまには是非、伊達直人さんから贈られた善意のランドセルを背負って、春に小学校に入学していく子ども達のことにも思いを馳せていただきたい・・・心からそう思っています・・・

 大学生の頃から結婚して大阪を離れるまで、私はボランティアのクラブに所属していました。
アメリカに本拠地のあるライオンズクラブのサポートを受けて、活動をするボランティアクラブでしたので、比較的裕福な家庭の子女達の「善意のお遊び」などと揶揄されることもありましたが
 けれど、そこで活動をする私をはじめ、すべてのメンバーは、とても真面目に一つ一つのことに取り組み、そのつど、多くのことを感じ、考えていました。50歳を過ぎた今、私が当時のことを思い出して思うことは、やはり、若い頃の経験は、何でもストレートに心に響き、感性を揺さぶることだったと思います
 
 話しが横道に逸れてしまいました
その私の所属するクラブでは、通年、地域の児童養護施設のさまざまな行事に参加してお手伝いをしたり、クラブ主導で催しを企画し、そこに施設の子ども達を招いたり、参加してもらったり・・・という活動をしていました
 
 それは、その児童養護施設の子ども達を招いて、奈良に遠足に行った時のことでした。
バスの中では歌を歌ったり、ゲームをしたり・・・子ども達もとても楽しそうで、私もハッピーな気分で一日を終えるはず、でした
 けれど、小学校1年生の女の子のひと言で、その日の私・・・いえいえ、その後、数日間、数ヶ月間の私の気分は、ずっとずっとヒリヒリと痛むものになったのです・・・子を持つ親になったあとも、私は娘の遊ぶ姿を見ながら、その時のことを思い出しました・・・

 女の子と東大寺の境内を一緒に歩いている時、その子は、突然、私にこうたずねました。
 「なあ、おねえちゃん。おねえちゃんは、いつもお母さんと一緒に住んでるのん?」

 私は突然のことに、頭の中は大パニックになり・・・でも、瞬時に適切と思える言葉も見つけられず・・・結局は素直に。
 「うん、そうやよ
と答えました。

 すると女の子は、ニコニコ笑いながら、続けました。
 「ええなあ・・・私もお母ちゃんと一緒に住みたいわ

 ニュースで簡単に語られる「事情があって親と一緒に暮らせない子ども達」・・・
今回の伊達直人の連鎖は、確かに、日本にも小さな善意がたくさんあるということを実証する出来事であり、本当にうれしく、心あたたまるものです。
 そして、満面の笑顔で、贈られたランドセルを背負ってカメラに向かって「うれしい」と言っている子ども達の言葉にもウソはないでしょう。

 でも、当たり前のように我が子と暮らし、他人様からは時には「過保護」に見られているであろう幸せな家庭の母親ならば、やっぱり、伊達直人がランドセルを贈ろうとする施設が、日本各地にたーくさんある、という事実を知り、そして、その施設には、今もたくさんの子ども達が親と離れて暮らしている、という事実を思う時間も持っていただければなあ・・・心からそう願う、ここ一連の善意の話題です。