良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

ふたたびのお弁当づくり

2012-06-17 18:24:17 | つぶやき
  娘は社会人、2年目。その娘のためのお弁当を作り始め、一種間が過ぎました。
いつもより少し早く起き、窓からベランダ越しに外を眺め、今日の一日の無事を祈り・・・そして、キッチンへ。私の心が、まっすぐ「娘」に向かっていることを、とても意識します

 息子とともに通わせた年少の幼稚園時代。あらためて年中から転園をして過ごした2年間。小学校、中学、高校・・・と、娘のお弁当作りは15年間続きました。
 特に小学校の6年間は、主人にはインドネシア駐在の期間があり、また同時に1年の3分の1におよぶ海外出張のあった時期で、家族の中でのお弁当の作り手は私一人だけ。どんなに私の体調が悪くても、気軽に他のママ友にお弁当作りをお願いするという環境ではなく、絶対に私が寝込んではいけないという緊張感がありました。そういう意味では、当時は、たかがお弁当、されどお弁当・・・でしたねえ
 そしていつしか、中高の時代になると、惰性のような気持ちも多く・・・正直、決して毎日、愛情を込めてお弁当作りをしていた、とは言えなかったのではなかったか?と思います

 でも、今あらためて制服姿の娘を思い出し、何とあの頃は娘は「幼かったのだろう」と思います。
たとえそれが15歳、18歳の娘であったとしても、まだまだ何事に対しても経験浅く、自分で確固とした判断も下せない・・・本人が意識してそれを欲していたかどうか、は別として、あの頃は親の庇護が必要不可欠な時代だったのだと思います
 それなのに、12,3歳から大学入学までの時期、特に母親と娘は(それは、父親と息子は、というふうに置き換えることも可能でしょう)なぜかもめることが多い時期で、時には反目しあい、口を利かなかったり、視線を合わせなかったり・・・
 そんな時のお弁当は、きっと手抜きの上に愛情がこもらず・・・おいしさのかけらもないお弁当だったに違いありません。

 今、あらためてそんなことが見えるようになり、もう二度と戻っては来ない時間に、情けない思いでいっぱいになります
 どんなに大人びた嫌味で親を愚弄しても、子どもは子ども。親は強者で子どもは弱者、でしたねえ・・・あの当時、愛情のこもらないお弁当の蓋を開け、砂を噛むような思いで食べたお弁当。いったい娘は、何度そんな思いで私のお弁当を食べたことでしょう。

 社会人2年目の娘。「倹約もしたいから、私、明日から会社にお弁当を持っていくことにするわ、ママ」と言ったのは先週のこと。親ばかではありますが、あんなに糸の切れた凧のような大学生生活を送っていた娘が、こんなに変身し、勉強熱心で働き者の社会人になるとは・・・そんな娘をうれしく眺めています
 彼女の会社には、冷蔵庫も電子レンジもあると言います。そして、雑貨を扱う会社であることから、夏にはオシャレな扇風機や空気清浄器、冬にはストーブや加湿器など、サンプルとして使う商品もオフィス内にたくさんあるのだそうです。
 そんなオシャレなオフィスの中で、パソコンを前にお弁当を広げる娘を想像し、ああ、本当に大きくなったものだ・・・と、胸が熱くなりました

 もちろん、自分でお弁当を作って出かけて行く心づもりだった娘ですが、私はさまざまな思いを込めて、お弁当作りをかって出ました
 「ごちそうさまでした」と、毎日お弁当箱を学校のカバンから出して、シンクの横に置いていた娘。あれから7年の年月が流れても、残業を終えて帰ってくる娘は、同じようにお弁当箱を出して自室に向かいます。でも今は、お弁当箱は会社できちんと洗われ、そこに置かれています。何か、嬉しいような、切ないような・・・
 
 今週は、時間を見つけて、娘用のお弁当箱とナプキンを買いに行こうか・・・なんて、考えている私です。今は間に合わせのお弁当箱と、私の大判のハンカチで包んだお弁当を持って出かけている娘。お箸だけは、高校の最後の時期に買った懐かしいもの。
 えんぴつ型のお箸を見つけて、思わず「きっと娘は喜ぶだろう」とウキウキと買い求めたものの、受験勉強しか頭の中にはなく、いつも疲労困憊していた当時の娘は、さほどそのお箸にも興味を示してはくれませんでした
 そんなことを思い出しながら、愛情の押し売りをし、それに応えてくれない子ども達に一人でイライラしたり、一人で悲しんでいた母親であった私に苦笑します。

 そう言えば、わが子のお弁当作りが終わった時、私はブログを書いた気がする・・・そう思い、古いブログを探しました。「学校生活、最後のお弁当」
あれから7年。私には幸いにも、娘の「ごちそうさまでした!」の声を聞ける日がやってきました 私はあの頃よりも、ずっとずっと愛情深く、その声に応えます。「今日もお疲れ様

 親子とは・・・本当に素敵なものです
その時期、その時期で、いろいろに変化する親子の関係。もし、今、親子の関係が難しい時期にあり、言いあいが絶えなかったとしても、今という「点」は明日につながり、その時間の点の連続は、ずっと先に続いていきます
 私は、娘との関係に悩み、苦労した、と感じていた母親の一人です。娘も私に対し、届かない思いや歯がゆい思いをして、何度も腹を立て、ベッドの中で悔し涙や悲しい涙を何度も流したに違いありません

 でも、すっかり社会人になった娘の毎日を見ていて、今となっては、娘とのどの時間もその尊く、すばらしいものはない・・・そう感じています




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。