ここ2,3週間、テレビをつけると、どのチャンネルでも秋田の幼児殺害のニュースです 見たくないと思えば、教育テレビかBSの海外のチャンネルを見るしかありません
5,6年前、高学歴、高収入のキャリアウーマン達が「結婚して伴侶はいらないけれど、自分の子供は欲しいわ」と言っていることが世の中で取り上げられたことがありました。
私はその時も、何となくそのセリフに違和感があったのです
「はたして・・・子供って、そういうものだろうか?」
きっと、その言葉の中に、経済的な余裕もできた、自分好みの素敵な住まいも手に入った、さあ、あとは私と楽しく暮らす血を分けた子供だけよね、みたいなお気楽思考?、子供に対しての「ペット的発想」が感じたからかもしれません。
世の中のママ達は、毎日、一生懸命に戦っているんだぞ バカにするんじゃないよみたいな気分だったでしょうか・・・
子育ては・・・やっぱり大変ですよね
1歳までは、おっぱいやミルク、離乳食・・・と、食べさせるだけでも神経を使い、2,3歳になれば、怪獣化した我が子を眺め、いったいなぜこんなことばかりするのだろうか?と時には悪魔を見る思いで見つめる・・・
中途半端にものがわかるようになる4,5歳は、話し相手にはなるけれど、自分勝手な減らず口もたたき、6,7歳になると、もう勉強や成績のことも見ないふりは出来ない・・・
十分にわかってはいたはずでも、育児の中にどっぷりとつかってみると「愛おしい、かわいい」と思う時間の、何倍、何十倍も「大変だあ、やめてー、助けてー」という時間があるものです
秋田のあのお母さん。
七五三にお姫様みたいなドレスを着せて記念写真を撮る、自分のチャイナドレスを仕立て直し、娘に着せようと思う・・・
リカちゃんやバービーちゃんには、ご飯も食べさせなくてもいいし、お風呂に入れなくてもいい。自分が遊びたい時だけ相手にしてやって、あとはおもちゃ箱に入れておけば文句も言わないし、幼稚園にも学校にも行かない・・・
でも、生きている我が子は、リカちゃんや、バービーちゃんではありません
溢れる育児情報、育児雑誌、育児関連サイト
人気が高いものは、ママ達向けのエンターテイメント情報だと聞きました。
「子供がいても、いない頃と同じように楽しむ方法」や、「いかに子育てをしながら、自分が楽しく暮らすか」など、どこまでいっても「自分の楽しみ中心」の生活・・・
その一方、第2の人気サイトは「賢い子供に育てるためには何をすべきか?」とか「早期教育で、あなたの子供を天才に育てる」とか、子供の優秀さを求める情報らしい
私は、この二つは両極端に見えながら、実際にはまったく同質のものに思えてなりません。
なぜなら、この二つの思いには、「子供不在」という共通点があるのです えーーっ?賢い子を育てるって、主役は子供じゃないですか!と言われるかもしれませんね
でも、こちらの場合も、主眼としてあるのは、子供を賢い子供として育てて、豊かな教養を身につけさせて、彼ら自身の人生を豊かにしてあげよう、親の思い、展望などではなく、むしろ、我が子を賢く育てて「賢い子供の親になる」という意味合いのほうが強い話題・・・ではありませんか?
私は自分の教室で、4歳から6歳くらいの子供達を相手に、よくこんなことを話します
「あのね、先生はね、ずっと子供でいたいと願っているピーターパンは格好悪いなあ、って思うのよ だって、好きなことを、好きなときに、好きなだけするっていうのが子供だとしたら、きっとそんなことばっかりしているうちに、そういう生活は飽きちゃうと思うのよね 大きくなるっていうことはね、自分の好きなことばっかりが出来なくなる、ってことなのよね たとえば、パパ。毎日、毎日、満員の電車に乗ったり、混み混みの道で時間かかって会社に行ってるよね 一日だって、「パパは今日は遊びたいから、会社には行かないことにしたよ!」なんて言わないよね
ママも「急に今日はお友達と映画を見にいきたくなったから、お洗濯もお掃除もやーめた あなた達のご飯だって、面倒くさいから作りたくなーい」も言わないよね。
そう、みんな、そうして、「したいことではなくて、しなくてはいけないこと」をきちんとしているのよ だからこそ、一生懸命にそうしてがんばった後、ご褒美みたいにある「したいことをしてもいい時間」がとっても楽しいし、うれしいものなんだと、先生は思ってるのよ
たとえばね・・・
大変 大変 大変 すてき 大変 大変 大変 すてき みたいな順番であるから、すてきな時間がうれしいんだと思うの 大変、すてき、大変、すてき、の順番でも、きっと違うと思うのよねえ」
こんなふうに話すと、ほとんどの子供は、私の言っている意味を感覚で理解してくれます
スイミングのワッペンテストで上の級に上がりたくて、一生懸命にがんばったよ。合格して、欲しかった新しいワッペンがきた時、ものすごくうれしかった
保育園の給食で、きらいなピーマンが出た。先生に、今日こそは食べなさい!食べてからでないと遊んじゃだめよ、と言われたの。がんばって食べたら、先生もママも、ものすごく誉めてくれて、とってもうれしかったよ
どうしてもブランコに乗りたくて、走って走って公園に行ったら、すごーく強い子がもう乗ってたの。なかなか替わってくれなくて、ものすごく長い間、黙って並んで待ったの。次の日、その子と仲良しになったんだ
子供達のこんな言葉には、すべて彼らの「辛抱や我慢、努力や根気」など、決して楽しさだけを求めなかったからこそ得た達成感や満足、喜びを体感したことが感じられます
ときどき、「私達は、我が子に強要したり、強制したり、そういうことをさせたくないんです それは、親のエゴだと思うんですよね。とにかく、この子には自由に、のびのびと育って欲しいですから、好きなことを、目一杯させたいというのが私達の家庭教育の方針です」というご両親がいます この言葉だけを聞いていると、とても格好良く、素敵に聞こえませんか?
けれど、この考え方には落とし穴があります
2歳児、3歳児を、彼らの好きなようにさせて暮らしたら?きっと、その子達は「おさるちゃん」になってしまうはずです いえいえ、お猿たちにはきっと、厳しい秩序があるでしょうから、お猿以下、ということでしょうか
2,3歳の狭い世界、狭い選択肢の中で、彼らの好きなようにさせる、ということは、小さな世界に閉じこめて、何の新しい刺激にも、有意義なチャンスにもふれさせてあげない、ということでもあるのです
もし、多くの子供達が、好きなことだけを、好きなようにして育ったら?
きっと、我が子をリカちゃんやバービーちゃんのような着せ替え人形的にしか扱えない、「大人にならずに親になる」人が増殖してしまうでしょう
「子供のままで親になってしまう」これは、決して、テレビの中の犯罪者だけではありません。犯罪者にはならなくとも、あっちにも、こっちにも、「子供親」はたくさんいる・・・それが、一つの家庭環境として、まかり通っているのが現代なのかもしれません
覚悟をして、親になる
それでも、人間を育てるということは大変なことです けれど、それほどの覚悟を持って親となり、たくさんの我慢や苦労をするからこそ、それに見合うだけのいっぱいの感動が、子供達との生活の中に生まれる・・・
違うでしょうか・・・
今日のアンキッズクラブ
今日ご紹介するものは、「子供用の傘」です。
これからの梅雨の時期、薄暗い雨の中で、子供の安全を守るのは大変ですね
そんな中でも、LEDの力で、ぼんやりと傘の柄が「光る傘」をご紹介します
5,6年前、高学歴、高収入のキャリアウーマン達が「結婚して伴侶はいらないけれど、自分の子供は欲しいわ」と言っていることが世の中で取り上げられたことがありました。
私はその時も、何となくそのセリフに違和感があったのです
「はたして・・・子供って、そういうものだろうか?」
きっと、その言葉の中に、経済的な余裕もできた、自分好みの素敵な住まいも手に入った、さあ、あとは私と楽しく暮らす血を分けた子供だけよね、みたいなお気楽思考?、子供に対しての「ペット的発想」が感じたからかもしれません。
世の中のママ達は、毎日、一生懸命に戦っているんだぞ バカにするんじゃないよみたいな気分だったでしょうか・・・
子育ては・・・やっぱり大変ですよね
1歳までは、おっぱいやミルク、離乳食・・・と、食べさせるだけでも神経を使い、2,3歳になれば、怪獣化した我が子を眺め、いったいなぜこんなことばかりするのだろうか?と時には悪魔を見る思いで見つめる・・・
中途半端にものがわかるようになる4,5歳は、話し相手にはなるけれど、自分勝手な減らず口もたたき、6,7歳になると、もう勉強や成績のことも見ないふりは出来ない・・・
十分にわかってはいたはずでも、育児の中にどっぷりとつかってみると「愛おしい、かわいい」と思う時間の、何倍、何十倍も「大変だあ、やめてー、助けてー」という時間があるものです
秋田のあのお母さん。
七五三にお姫様みたいなドレスを着せて記念写真を撮る、自分のチャイナドレスを仕立て直し、娘に着せようと思う・・・
リカちゃんやバービーちゃんには、ご飯も食べさせなくてもいいし、お風呂に入れなくてもいい。自分が遊びたい時だけ相手にしてやって、あとはおもちゃ箱に入れておけば文句も言わないし、幼稚園にも学校にも行かない・・・
でも、生きている我が子は、リカちゃんや、バービーちゃんではありません
溢れる育児情報、育児雑誌、育児関連サイト
人気が高いものは、ママ達向けのエンターテイメント情報だと聞きました。
「子供がいても、いない頃と同じように楽しむ方法」や、「いかに子育てをしながら、自分が楽しく暮らすか」など、どこまでいっても「自分の楽しみ中心」の生活・・・
その一方、第2の人気サイトは「賢い子供に育てるためには何をすべきか?」とか「早期教育で、あなたの子供を天才に育てる」とか、子供の優秀さを求める情報らしい
私は、この二つは両極端に見えながら、実際にはまったく同質のものに思えてなりません。
なぜなら、この二つの思いには、「子供不在」という共通点があるのです えーーっ?賢い子を育てるって、主役は子供じゃないですか!と言われるかもしれませんね
でも、こちらの場合も、主眼としてあるのは、子供を賢い子供として育てて、豊かな教養を身につけさせて、彼ら自身の人生を豊かにしてあげよう、親の思い、展望などではなく、むしろ、我が子を賢く育てて「賢い子供の親になる」という意味合いのほうが強い話題・・・ではありませんか?
私は自分の教室で、4歳から6歳くらいの子供達を相手に、よくこんなことを話します
「あのね、先生はね、ずっと子供でいたいと願っているピーターパンは格好悪いなあ、って思うのよ だって、好きなことを、好きなときに、好きなだけするっていうのが子供だとしたら、きっとそんなことばっかりしているうちに、そういう生活は飽きちゃうと思うのよね 大きくなるっていうことはね、自分の好きなことばっかりが出来なくなる、ってことなのよね たとえば、パパ。毎日、毎日、満員の電車に乗ったり、混み混みの道で時間かかって会社に行ってるよね 一日だって、「パパは今日は遊びたいから、会社には行かないことにしたよ!」なんて言わないよね
ママも「急に今日はお友達と映画を見にいきたくなったから、お洗濯もお掃除もやーめた あなた達のご飯だって、面倒くさいから作りたくなーい」も言わないよね。
そう、みんな、そうして、「したいことではなくて、しなくてはいけないこと」をきちんとしているのよ だからこそ、一生懸命にそうしてがんばった後、ご褒美みたいにある「したいことをしてもいい時間」がとっても楽しいし、うれしいものなんだと、先生は思ってるのよ
たとえばね・・・
大変 大変 大変 すてき 大変 大変 大変 すてき みたいな順番であるから、すてきな時間がうれしいんだと思うの 大変、すてき、大変、すてき、の順番でも、きっと違うと思うのよねえ」
こんなふうに話すと、ほとんどの子供は、私の言っている意味を感覚で理解してくれます
スイミングのワッペンテストで上の級に上がりたくて、一生懸命にがんばったよ。合格して、欲しかった新しいワッペンがきた時、ものすごくうれしかった
保育園の給食で、きらいなピーマンが出た。先生に、今日こそは食べなさい!食べてからでないと遊んじゃだめよ、と言われたの。がんばって食べたら、先生もママも、ものすごく誉めてくれて、とってもうれしかったよ
どうしてもブランコに乗りたくて、走って走って公園に行ったら、すごーく強い子がもう乗ってたの。なかなか替わってくれなくて、ものすごく長い間、黙って並んで待ったの。次の日、その子と仲良しになったんだ
子供達のこんな言葉には、すべて彼らの「辛抱や我慢、努力や根気」など、決して楽しさだけを求めなかったからこそ得た達成感や満足、喜びを体感したことが感じられます
ときどき、「私達は、我が子に強要したり、強制したり、そういうことをさせたくないんです それは、親のエゴだと思うんですよね。とにかく、この子には自由に、のびのびと育って欲しいですから、好きなことを、目一杯させたいというのが私達の家庭教育の方針です」というご両親がいます この言葉だけを聞いていると、とても格好良く、素敵に聞こえませんか?
けれど、この考え方には落とし穴があります
2歳児、3歳児を、彼らの好きなようにさせて暮らしたら?きっと、その子達は「おさるちゃん」になってしまうはずです いえいえ、お猿たちにはきっと、厳しい秩序があるでしょうから、お猿以下、ということでしょうか
2,3歳の狭い世界、狭い選択肢の中で、彼らの好きなようにさせる、ということは、小さな世界に閉じこめて、何の新しい刺激にも、有意義なチャンスにもふれさせてあげない、ということでもあるのです
もし、多くの子供達が、好きなことだけを、好きなようにして育ったら?
きっと、我が子をリカちゃんやバービーちゃんのような着せ替え人形的にしか扱えない、「大人にならずに親になる」人が増殖してしまうでしょう
「子供のままで親になってしまう」これは、決して、テレビの中の犯罪者だけではありません。犯罪者にはならなくとも、あっちにも、こっちにも、「子供親」はたくさんいる・・・それが、一つの家庭環境として、まかり通っているのが現代なのかもしれません
覚悟をして、親になる
それでも、人間を育てるということは大変なことです けれど、それほどの覚悟を持って親となり、たくさんの我慢や苦労をするからこそ、それに見合うだけのいっぱいの感動が、子供達との生活の中に生まれる・・・
違うでしょうか・・・
今日のアンキッズクラブ
今日ご紹介するものは、「子供用の傘」です。
これからの梅雨の時期、薄暗い雨の中で、子供の安全を守るのは大変ですね
そんな中でも、LEDの力で、ぼんやりと傘の柄が「光る傘」をご紹介します
「覚悟をして、親になる」・・・分かって
親になったつもりでも
「なんで・・・」と
グチってしまうことあります
さぁっっ
今日もがんばるぞぉぉぉ~っ
すでにすっかり大きいですが、私も2児の母です 私は、海よりも深く、山よりも高く・・・すごい覚悟をし、勇んで「母」になりましたが、やっぱり泣いたり笑ったり、大変な毎日でした 永遠に続くわけない、手のかかる育児の毎日が、「本当は永遠に続くのでは・・・
」なーんて感じたものです
でも、一生懸命にがんばったおかげで、ともでもないこともたくさんあったけど、親バカではありますが、我が子二人はまあまあ良い大人に成長したなあと思っています
毎日覚悟をあらたにして、がんばってください
私達親がしっかり考えを持ち、子供達に愛情を持って怒ったり、褒めたり、一緒に泣いたり、そうすれば自然ときちんと育ってくれるのかなぁなんて思います。
私は娘に、「偉い人・凄い人」になってもらいたいとは全然思ってなく、「誰からも慕って貰えるような感じの良い人」になってもらいたいなぁと思っています。
私も子供の親になり、「子は宝」だととても感じています。宝物は大事でしまっておきたいなんて思わず、時には外へ出して冒険させる事も必要なのかなぁと思います。
文章まとまらずすいません。
ちはるパパからいただいたコメントを読みながら、私はしみじみと感じたことがあったのです
あのね、ちはるパパ。パパが望んでいらっしゃる「偉い人でも、凄い人でなくてもいいから、誰からも慕われる感じの良い人」というのが、じつはいーちばん難しい
人の偉さや凄さは決して偏差値的なもので計れるわけではありませんが、それも一つのバロメーターだとすれば・・・
偏差値の高い子供を育てることは、意外と簡単かもしれない
私は、すでにすっかり大人になった二人のわが子(息子と娘がいます)を眺めながら思うのですよ
確かに、学業で成績を上げるのも簡単ではありませんが、それでもなお、「その子の人柄や自然に醸し出される雰囲気」などは、何か策を施すことで育つものではないのですね・・・
やっぱりこの部分は・・・ご家庭、ご両親から、生活の中で自然に受け継がれ、育まれていくものだと思います
いやー、親になるって、一生をかけた本当に大事業ですよね
2歳と0歳の2児ママです。最近子育てのことで
(特に2歳児の)悩んでてたまたまこのブログに
出会って少し答えが見えてきた気がします。覚悟して親になったつもりだったのに・・わが子の子育て・・・どうしていったらいいのかなぁ~と
漠然と思っていて自分の子の理想像を考えすぎていた
かもしれないし。本当・・私は子供親なのかな~って
思います明日からは覚悟決めてしっかり子供達を育てていこうとおもいます
我が子にさまざまな夢を託したり、期待をしたりすることって、やっぱりとっても大事なことだと思います それは、親として、子育てに展望を持つことですからね
ただ、そのことに親子ともに振り回されないこと・・・でしょうね
明日から覚悟を決めても・・・でも、どうぞ肩の力を抜いて
「お母さんのプロ」http://blog.goo.ne.jp/madokasensei/d/20060411 は、いないんですもの