良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

ものを大切にする心

2008-04-30 10:59:26 | つぶやき
 チューブ状の容器に入った洗顔フォーム。
私は、そのペタンコになったチューブのねじ状のふたをはずし、チューブの中に手を突っ込んで、側面にへばりついたクリームをこそげて・・・今朝も顔を洗いました
 こんなふうにチューブと格闘し、洗顔を始めて、すでに1週間になるでしょうか・・・ 朝と夜寝る前の洗顔で1週間、と計算しても、何と、私は「捨てられる状態」になったチューブを救出し、14回も顔を洗ったことになります
 お風呂の中でも一緒です。
ポンプ式のボトルから、押しても出なくなったシャンプーやコンディショナーのふたを開け、中にお湯を少量入れて、シェイク。そして、じゃーっと手に出して残った最後の一滴まで使い着る・・・それは、私の役目?習慣です

 我が家では、家族全員が、違う銘柄のシャンプーやコンディショナーを使っています。そして、それぞれをチェックし、無くなる前に私が買いそろえておくわけです
 ただ、娘だけは、毎回、欲しい銘柄がかわります。そこで、私は毎回、娘に尋ねるわけです。
 「ねえ、次は何ていうシャンプーとコンディショナーがいいの?」すると、娘は・・・
 「じゃあねえ・・・ママ、今度は○○がいいな
と答える・・・そして、シャンプーかコンディショナー、どちらかが無くなった時点で、新しい銘柄に替えて浴室に置いておきます。
 娘は、1、2の3!で、シャンプーとコンディショナー、同時に新銘柄、という状態で使い始めます

 古いほうの片一方が無くなるまで使うのは私です
もちろん、娘もそのようにして私が最後まで使い切っていることを知っていますから、「ママ、ごめんね!」と声はかけています。
 教育的見地からいけば、使い切るのは私ではなく、「娘」であるべきですが、幼い頃から、物事の道理、物を大切にする心など、イやというほど伝え続けた結果、子ども達もそれを認識して暮らしていることを十分にわかっている私は、子ども達が成人した今は、「家庭は彼らにとっての平安の場所、母港である」という思いから、かなりの自由(好き勝手)を容認しているのです

 ただ、今回はあまりに洗顔フォームが(じつは、この洗顔フォームも娘のもの、なのですが)、いつまでも、いつまでも、チュープの側面にこびりついたクリームが使えるので、すっかり考えさせられてしました・・・

 確かに、娘は、チューブがぺったんこになるまで絞り出し、最後まできれいに使いきりました ですから、私は買い置きの新しいものを出しておきました。 娘は新しいチューブを使い始め、私はいつものように、古いチューブを捨てるはずだった・・・
 ところが 何となく、その日に限って、チューブを手に取り、ねじ状のふたそのものを外してみたのでした
 すると、そこには、想像もしていなかった量の、チューブを押してしぼり出すだけではキャップの外には出られなかったクリームが残っていたのでした。
 私は、あらまあと思い、それを使い始めた・・・

 以前、何かのアンケート結果を見たことがあります。
「あなたは、どんな人が『オバサン』だと思いますか?どういう行為が、『オバサン』を定義づける行為だと思いますか?」そんな質問だったと思います。
 その答えは・・・

  食品やおやつの袋、残った場合には、口をクルクルと巻いて、洗濯ばさみで止める人。
  シャンプーやコンディショナーのふたを開け、そこにお湯を入れて、最後の一滴まで使う人。
  チューブ状のものを、ふたを全部外したり、途中でチューブを切ったりして、最後までこそげて使う人。etc. etc.

 私はその結果を読んだ時、手を叩いて爆笑し、「確かに!確かに!」などと言った覚えがあります

 私は1月で50歳になりました 正真正銘の「オバサン」です ただ、常に前向きの私は、加齢に関してほとんど悪いイメージがありません。
 それは、一昨日より昨日、昨日より今日の私がステキになっている・・・という考え方、感覚があるからでしょうね
 ですから、老眼が進んでメガネなしでは小さな文字が読めなくなった時にも、「ああ、老眼鏡をかけないといけないなんて、ショックだわ・・・」と思うのではなく・・・
「今まで視力の良かった私には無縁だったメガネだけど、これからは、いろんなフレームを見つけて、老眼鏡を新しいオシャレのアイテムにしよ~っと」と思いましたし、「50歳」になった時も、「40歳代にしがみついてるみたいな49歳より、ぱきっと50歳になって、何か清々しいじゃな~い」と心底思いました

 でもね、そんな私が一番イヤなのは、「オバサン臭くなること」です
加齢によってオバサン、おばあさんになるのは当たり前ですが、「オバサン臭い」「年寄り臭い」というのは別の話、という気がしています。

 そして・・今回の洗顔フォームやコンディショナーのお話し、です
 私の行為は、まさに「典型的なオバサン」行為ですよね。私がふたをはずしたチューブの奥の奥に手を突っ込み、時にはのぞき、クリームをこそげ取っている・・・むー、確かに「オバサン」でしょうねえ

 でも・・・
私のお教室で、きれいな色の折り紙を、無造作に出し、ばらまいて、平気で置いて帰ってしまう子どもや、大きなスケッチブックに、グルグルグルっと殴り描きをしただけで、次のページに描き始めてしまう・・・というような子どもを見ていると、私はやっぱりものすごく悲しくなります
 そして、そういう子どものご家庭では、どんな言葉かけをし、自分の身のまわりの物を、大切にすることを教えているのか?と首をかしげてしまうのです

 そのもの一つができあがるまで、そのものひとつがその子の手に渡るまで、いったいどれほどの時間と、どれほどの人の手を借りてできあがってきたのか?そういうことを、親自身が考えたことがあるのだろうか?
 私達は、ほぼ100%のものを、お金を払って手に入れています。ですから、どんなものでも、生産者に触れることはないために、ついつい、物に対する思いが希薄になるのは当然でしょう。十分にそのことはわかります
 しかし それでも、なお、です

 「ものを大切にする」ということを、子どもに教えるのは「躾(しつけ)」の領域ではなく、親が、自分の身のまわりの物に対して、どれだけ深く意識を持っているか?どれだけ心を注いでいるか?ということだと思えてなりません

 ランチビュッフェで、食べきれないほどの食べ物をお皿に盛り、たーくさん残して平気で帰っていく家族・・・飽食の時代と言われる日本にいると、今この瞬間も飢えて死んでいく子ども達がいることなど、実際には想像できないでしょう どんなにNHKがそのことを訴える番組を制作し、世の中に訴えても、見なければ意味はありませんし、見たところで、その時限りのショックで忘れていってしまう・・・
 えんぴつ1本が手に入らず、ノートもなく、学びたいという意欲がありながら、学べない子ども達がいる、という世界の現実の中で、きれいな折り紙をくしゃくしゃに丸めて捨ててしまう子どもがいる・・・それを、うちの子は、後片づけが苦手です、などと、苦笑して済ませてしまえる親がいる・・・

 私は、日本古来の考え方、八百万の神(やおよろずのかみ)という考え方が大好きです ステキだと思われませんか?私達の身のまわりの物、すべてのものに魂が宿っている・・・私は本当だと思いますよ
 自慢するわけではありませんが、すっかり大人になった我が子達が、新しい靴を下ろし、古い靴を捨てる時に、そっと古い靴に手を合わせている姿を見るたびに、「三つ子の魂、百まで」を実感します

 さて・・・私は、やっぱり今夜も、明日の朝も、チューブのふたをあけて、最後の最後まで、洗顔クリームを使いきることにします

アクションを起こしましょう!

2008-04-25 17:13:52 | すてきパパママにご提案
 パラカップ、第2段です
 私がランニングを始めたきっかけは、昨年の夏の夫の事故でした。これに関しては、昨年夏、7月、8月あたりのブログをご覧くださいね

 二人のわが子も成人し、また、夫婦二人の人生が始まりました
まさにその時期に、あの突然の事故が起きたのでした。私が伊江島の診療所に駆けつけた時の夫の顔は、死人のように白く、気胸のためにまともに呼吸も出来ず、足は全く動きませんでした そんな満身創痍の夫の、私を見た瞬間のひと言が「ごめんな」でした。
 私は、上手く言えませんが、本当に・・・ショックでした そして、その時に思ったのでした。
  もし、もう一度、主人が走れるようになったなら・・・これから先の人生、夫と「ランニング」という同じ趣味を持ち、人生を歩いていくように、今度は一緒に走り、そこに喜びを感じ、その喜びを分かち合って生きていこう、と
 幸い、肋骨や恥骨、骨盤骨折、気胸・・・と、重傷を負ったにも関わらず、奇跡的な回復力で、夫は事故後3ヶ月目から、以前と同じように走れるようになりました
 私のランニングは、10月のある日曜日、夫の事故後初めての皇居ランニングに同行した、その日から始まったのでした
 そして半年。日曜日のパラカップが、私の記念すべきレースデビューとなりました

 もちろん毎日ではありませんが、今では「走る」ということが私の生活の一部になり、楽しい時間になっています
 そういう「楽しい」という思いを持てるようになった大きな理由は、「辛い、苦しいランニング」ではなく、有酸素運動としてのランニングというものをきちんと教わり、着実に脚力と心肺機能を高めたからこそ、のことです
 いくら「夫とともに」と美しいことを考えても、それが苦しいだけの、辛い辛い趣味であれば、さすがに、こんなふうに続けることはできなかったでしょうね

 先週は、恒例の月一帰省をした時も、初めて、一人で大阪の中心部を走りました 水の都大阪を象徴するような、川沿いのコースを走り、八重桜のピンク色を堪能しました。
 自分の足で走っていると、車で通り過ぎるときには見えなかったものが、はっきりと目に入ってきます
 ゆっくりと、苦しくないペースで走っていると、いろいろなものが目新しいものとして、視界に飛びこんできます。
 走ること=苦しいこと、と思っていたときには、知ることの出来なかった素敵な世界観です

 しかし、今回のパラカップでは、こういう練習の時とは全く違う、別の「すばらしさ」を実感しました。
 スタート前から、レース前の熱気に包まれ、私自身も自分の中から沸々とわき起こるエネルギーを感じました。

 そして同時に、大変ありきたりな感想ですが・・・
声を嗄らして応援をしてくれるコース脇のボランティアの人達、ゼッケンに書かれたニックネームをいちいち確認し、名前を呼びながらハイタッチしてくれるボランティアの人達のおかげで、私は、練習の時よりも、かなり速いペースで走っている自分を認識していました。
 そして、応援してくださる方々に、後ろからぐんぐんと押されている気分がして、最後までそのハイペースのままでゴールできた・・・そう思っています
 私は、間違いなく、あの応援の方々に助けられ、支えられて走っていたのでした

 確かに、私自身もがんばって走っていました。レース、ということで、脳内にはアドレナリンがどんどんと放出され、興奮気味に走っていたでしょう けれど、決してそんな「自分の努力」だけで、あの力が続いたとは思えません。そして、気づいたのでした

 「レースでは、ランナー達はこうして、応援してくれる人達のパワーをもらいながら、最後まで一生懸命に走り、ゴールまでたどり着くのだなあ」と。

 私は走りながら、「人は、自分の努力もさることながら、こんなふうに、見ず知らずの人も含めた、さまざまな人達によって、直接的に、間接的に、いろいろなかたちで支えられ、毎日、生きているのだな・・・」と思いました
 何を大袈裟なあ。ちょっと走っただけで、何を大層なことを言っているのだ・・・と苦笑される方もおいでになるでしょうね
 けれど、私は大真面目ですよ。人は、辛い時や苦しい時だからこそ、とっても大事なこと、貴重なことに気づくものだと思います

 一生懸命に子どもを育てているみなさんの毎日の生活・・・
あなたを応援してくれているのは、あなたのご両親、あなたの夫や妻、だけでしょうか?
 殺伐としたこの世の中です。幼稚園や保育園、職場、さまざまなところで、心ない陰口をきく人はいますよね
 でも、そんな中でも、親、兄弟姉妹などの親族だけではなく、先輩、後輩、上司、部下、友達、そして見ず知らずの方の言動や行動から、勇気をもらったり、安心を感じたり、ほっとする瞬間を感じること・・・あるはずですよ

 あの日、コースの横から、ボランティアの人達が、声を嗄らして通り過ぎていく人の名前を呼び、励ましてくれました。
 スタート前に、ゼッケンに書き込んだ名前やニックネームを見て、声かけをしてくれているのです。
 「まどかさーん、ファイトーライスラン
 「まどか 行け行け!がんばれ
 「あと少し、がんばって
 見ず知らずの人です。一瞬通りすぎただけなので、もう顔も覚えていません
けれど、確かに、その時にはその人の一声で、力が湧き、再び力強く走れるようになりました。
 そして、もしかしたら・・・この日に励まされながら走ったランナー達が、じつは声援を送っていたボランティアの人達に、「何か」を与えたかも知れません
 
 この日の私は、スポーツによって、身をもって大事な真理を実感しました。
スポーツが、たんに「がんばる」とか「勝つ」いうことだけではなく、一人ひとりの中に、時には新しい「何か」を生んだり、貴重な「何か」に気づかせたり、かけがえのない「何か」を見つけるきっかけとなったり・・・と、本当に大きな意味を持っている素敵なアイテムなのだということも、再認識しました

 みなさんも、何か普段とは違う行動をしてみたら?
 ちょっとしたひと言をきっかけとして、何かアクションを起こしてみたら?
 鳥肌が立つような感動や発見があるかもしれませんね


「晴れの舞台」を子どもに

2008-04-20 22:09:35 | 良い子、良い親!
今日は、夕方になって晴れて青空も見えるようになりました でも、3時頃までは風が強く、曇天 雨が上がってくれただけでも感謝しないとな・・・と思いました
なぜかって?そうです、今日は、多摩川でのパラカップの日だったからです
午前8時すぎに東横線新丸子駅に到着。8時半から受け付け開始、ということで、そろそろ、駅前にはランナーと思しき人達が集まり始めていました
私は、今日がレースデビュー。本来なら、もっとドキドキするのでしょうが、今日はお教室の卒業生の方々にお声がけした結果、9組のご家族がエントリーしていらっしゃることもあり、気持ちは「まどか先生モード」で、個人的なレース前の緊張感はありませんでした
 そんな私の気分を察して、昨夜遅くに海外出張から帰ってきた主人も、「雨女の君なのに、今日はお天気で良かったね 風は強いけれど、カンカン照りで暑くて消耗するよりも良いよ」とにこにこ。少々時差ぼけが残って身体がだるいかな、と言いつつも、十分に睡眠を取り、エントリーしたハーフマラソンに向けて準備オッケー
 二人で受付を済ませ、河川敷に大きいレジャーシートを敷いて・・・さあ、準備万端!「チーム・マナーズ」のランナー達に、メール、メール

 9時あたりから、久しぶりにお目にかかるお子さん達が集合
 お返事も小さな声で、いつもうつむき加減だった子も、あっち向いてこっち向いたらいない!といういたずらっ子も、はにかみながらニコニコしていた子も・・・みんな、みんな大きくなりました
 パパやママに揃えてもらったランニングウエア。ゼッケンを胸と背中につけて・・・ちびっ子ランナーのできあがりです
 準備体操がわりの「簡単エアロビスク」が始まると、大会会場の河川敷は、いよいよ気分は一つに

 10キロのコースは、昨日までの雨でかなりぬかるみ、二子玉川へ向かう最初の5キロでは、かなり強い向かい風を受け、確かに走るにはベストコンディションではありません 
 けれど、コースの横で、声をかけてくれるたーくさんのボランティアの人達 がんばって!と出されるハイタッチ。元気が出ます
 私は主人と、今日と同じ多摩川のコースをよく走りますが、今日はいつもと同じコースとは思えませんでしたねえ・・・普段の日曜日とは違い、とても華やかで、その河川敷全体から大きなエネルギーが発散されているように感じました
 普段も、ここのコースは、川沿いには野球やサッカーのグラウンドがありますし、ミニゴルフコースなどもあって、決して静かなコースではないのですが、そういういつもの賑やかさとはまた違った、今日は走っているだけで、何かパワーをもらえそうな、そんな不思議な感じがしました

 日本では、昔から「晴れ」と「け」という考え方があります
「晴れ」は、晴れ着や晴れ舞台、という時の「晴れ」です。今では、生活の中で「け」という言葉を使うことはありませんが、もともと、「晴れ」は特別なこと、「け」とは、日常のこと、普通のこと、普段のこと、という意味で使われていた言葉であり、考え方です。
 まさに、今日の多摩川河川敷は、「晴れ」だったのだと思います

 とにかく。
子ども達はみな、よくがんばりました
今日、参加した卒業生は、中1を筆頭に、ついこの間、入学したばかりの1年生までの9名。ひとくちに10キロ、と言いますが、それは決して短い距離ではありません たとえば・・・

 ★ 横浜から、川崎まで   ・・・ 約10キロ。
 ★ 渋谷から、池袋駅まで  ・・・ 約9キロ。
 ★ 新宿から、吉祥寺まで  ・・・ 約11キロ。
 ★ 渋谷から、武蔵小杉まで ・・・ 約10キロ。

 この距離を果敢に進み、子ども達全員が、それぞれ笑顔でゴール、すべて完走しました
 誰一人として途中棄権することなく、時間がかかっても、ちゃんと、最後まで自力で前に、前に進み、しっかりとゴールをしました。その子ども達の笑顔は素敵でした

 これは、あるお母様からのメールです。
『私は、息子にタイムでは負けてしまいました。でも、それがなんだか嬉しかったりします。息子は主人といつもの如くハイスピードでスタートし、それこそ一キロ過ぎた地点で「もうだめ~もう死ぬ~」と言っていたそうです。私も、どうせ息子のことだから、歩き出すだろうし、そうしたら追いついてポカリでも飲ませながら励まして・・・なんて勝手に思っていたのに、何故か追いつけないのです。
 後で聞くと、歩いたりしていたらしいですが、ぶつぶつ文句を言うのはやめて、もくもくとゴールに向かって進んでいたらしいです。』

 そうなんですね・・・
私は今日、卒業生の子ども達の様子を見ていて、痛感しました
 親は、我が子に「これぞ」というチャンスを与えてやらなければいけないのだなあ・・・まさに「け」ではなく、「晴れ」のチャンスというものを
 継続は力なり。私の座右の銘です 四の五の文句や理屈をこねるのではなく、こつこつと地道に、黙々と続けること、これこそが人の力になる、と信じています 「静とも言うべき継続」いわば『け』の継続は、絶対に必要なものとしても、それとは違う次元で、やはり子ども達には「け」ばかりではなく、時には「どーんとした晴れ」を与えてやること これこそ、子どもの自らの成長につながるのだなあ、と実感したのでした
 今日の子ども達の完走・・・これは、本人達のがんばりと、まさに「晴れ」の効果だったのでしょうね

 さて、私達より15分遅れでスタートしたハーフマラソンの夫も、10キロランがゴールしてまもなくゴールに向かい走ってきました ラストの100メーター付近で、すでに10キロでゴールした子ども達、ママ達が一列に並んで「がんばって オジサン、がんばれ」と声をかけられ、主人は何ともうれしそうな表情でゴールに向かいました いつもの、私の野太い声の声援とは、全く違う、かなり強い、フレッシュなパワーをもらったでしょうね

 もう少しお天気が良かったら・・・風がなかったら良かったのに・・・コースがぬかるんでいなければ良かったな・・・「もうちょっと○○」と言ったらきりがありません。それに、走っている途中も、ゴールの後も、みんな一様に発した言葉「ああ、楽しかった!」は、天候やコースに左右されることのない、「人としての喜び」を感じられたのだと思いました

 コースの途中には、満開の菜の花。河岸のボタン桜・・・その中を走るのです
 そこにキラキラ太陽の光がなくても、十分に春を感じ、癒され、パワーをもらいました 
 走りながら、とても自分が「強く、優しく」なった、という気がしていました

 感じることは、もっともっとありましたが・・・今日はこのくらいにいたしましょう

 チーム・マナーズのみなさま、お疲れ様でした 
 そして、チーム・マナーズ予備軍のみなさま、お待ちしております
 私はこれからも、ご家庭とご一緒に、たーくさんのことを経験し、よく見える目、よく聞こえる耳、よく感じられる鼻をもっともっと使う、素敵なご家族を応援していきたいと思っています
 第2弾は、また近日中に。

知らせなければ、始まらない

2008-04-16 23:50:56 | すてきパパママにご提案
 「信じられません。こんな・・・こんな酷いことになっていたなんて・・・」マイクを向けられたアメリカの若者が、声をつまらせました
 2,3日前、NHKのニュースで「全米原爆展」の話題が放送されていました。
第二次世界大戦が終結して60余年。人の人生の、半分以上にも渡る長い時間が流れたというのに、何とアメリカでは今まで、広島、長崎に投下された原子爆弾の実態について、公式には詳しく紹介されることはなかったのでした この驚くべき事実について知っている日本人も、じつは多くはないでしょう。
 確かに、終戦後半世紀以上の時間が経過し、日本では高度経済成長の時代を得て、すっかり平和な生活が定着し、おぞましい戦争があり、日本中が焦土と化して、あまたの命が失われていったという記憶がどんどんと薄れていっています。
 私のような昭和30年代生まれが幼かったころは、両親や祖父母など、身近な人達から生々しい「私の体験」として、戦争の話をよく聞きました しかし、実際に実体験として戦争を経験した世代がどんどんと少なくなっていく中、今では「戦争」は記憶の中にあるものではなく、教科書の中の世界、ほとんど受験では扱われない?!現代史の中の出来事となり、どんどん、今を生きる若い世代からは遠い「物語」になっています
 とは言え、そんな現状の中でも、広島と長崎に原爆が投下された、という事実を全く知らない、という人は少ないのではないでしょうか?

 ところが・・・実際にその原爆を生産し、広島と長崎に投下し、多くの一般市民を死に至らしめ、今なお、放射線の後遺症で苦しむ多くの人達を生み出したアメリカでは、「アメリカが、日本と戦争をした」ということさえ知らない人がたーくさんいます
 多くのアメリカ人にとっての第2次世界大戦は、あくまで、連合国として、ヨーロッパ戦線でナチス相手に戦った、という意識が強いようです
 このような「事実を知らない」という羞恥の現実は、じつは日本にも明らかに存在し・・・第2次世界大戦では、日本はアメリカと戦争をしていたんだ、という認識しかなく、中国や朝鮮半島をはじめとするアジアの多くの国々に派兵し、占領し、多くの罪もない一般市民を巻き添えにした日本軍については何も知らない、という日本人が多い、という事実とよく似ています

 これは、人間の心理の「やったこと、はたらいた悪事」は忘れ、「やられたこと、被害者になったこと」のみを覚えている、という、自分にとって都合の良い記憶だけを残そうとする、自衛本能?なのでしょうか・・・

 今回の「全米原爆展」では、アメリカ各地で多くの若い世代が原爆の被害等の実態を初めて知り、大きなショックを持って受け止められているようです
 アメリカで若い世代にインタビューをすると「戦争終結のためには、原爆の投下は必要だった」と核兵器使用の正当性を謳う人は多いものです。確かに、それも一つの正しい認識でしょう。
 しかし、「頭」でものを考えるのではなく、肌で、心で、真実を知り、「人として」事実を学び受け止めるチャンスが与えられると・・・人は、「頭で考えた結果の答え」は、時には情けないほど虚しい、ということを知るものです

 今から30年ほど前の話ですが・・・
私は大学時代、ライオンズクラブを通じて、夏休みや冬休みを利用して、日本に短期ホームステイでやってくるアメリカやカナダ、オーストラリアやニュージーランドの学生達の滞在中のお世話をするボランティアをしていました。
 当時、夏休み中に、アメリカやカナダから関西地区に派遣されてくる私と同世代の若者達は、必ず揃って広島に行き、平和記念公園、平和記念資料館を訪れました。
 行きの新幹線の中では、ワーワーキャーキャーと興奮気味で楽しそうですが、必ず、平和記念資料館を訪れた後は、ほぼ全員が無駄口をきかなくなり、顔面蒼白で、その後、昼食をかねて訪れる宮島では気もそぞろ・・・食事はほとんど喉を通らない、という状態に陥ります。
 中でも、アメリカ人の憔悴振りは、毎回、見ていても気の毒なほとでした しかし、当時、結構「アメリカかぶれ」をしていた私でも、この広島行きの日だけは、かなり日本人としてのアイデンティティーで高揚し、アメリカ人が違って見えた・・・そんな気がしたものでした。

 私は以前からブログで何回か触れていますが、マザーテレサが残した言葉に「愛の反対側にあるのは、無関心」というものがありますが、自ら心を動かし、その物事に関心を示す、示さない、ということ以前の問題として、知らない、知るチャンスがない、ということは、結果的に「人として」本当に大きな損失となることだと思います

 1977年の春、私が大学2年になる直前、「広島の平和記念資料館を訪問したアメリカ人」と同様の経験をしたことがあります。それは、全国高校生友好訪中団の秘書というお役をいただき、訪中した時のことでした。
私達メンバーは、3日間の南京滞在中、南京大虐殺の慰霊碑「雨花台」を訪れました。高校生達は献花台に備えるための花を持ち、小雨の中を歩いて行きました。歩きながら淡々と語られる中国人通訳の方のお話、私達のまわりを進むたくさんの中国人の訪問者達の視線・・・
 あれから、すでに30年以上の時が流れた今も、その時の通訳の方の声のトーン、まわりの人々の冷たい視線、いつまでも私達を目で追っていた人達の表情を、忘れることが出来ません。若かった私は、ひたすら雨に濡れて歩きながら、何度も何度も心の中で繰り返しつぶやいていました
「なんで私は、平然と毎日、暮らしているのだろう?なんで私は、こんなことがあったという事実を詳しく知ろうとせず、平気で暮らしていたのだろう?今の私にできることって何だろう?」

 今回のチベット問題でも、中国政府が発表する諸々の報道、特に死傷者数など、「数」に関してのレポートには、なかなかにわかには信じがたいものが多いように、南京大虐殺での被害者の数は、昔からよく問題にされます。この部分に言及してしまうと、論旨がぶれてしまうので、ここでは敢えて問題にしませんが、その数がどうあれ、かつてそこで起こった「事実は事実」であり、歴史を変えることはできないのです

 まずは「知る」ということ。
たまたま、今日は「戦争」というような大きな話題ですので、5,6歳のわが子達にはまだまだ無縁な話題ね、と思われてしまうでしょうが、私は話題に大きいも小さいもない、と思っています
 最近のご両親は、とかく頭でっかち(失礼!)の方が多く、行動をするよりも前に、頭の中で論理ばかりを展開して、机上の空論的な考えの中で、自ら先に答えを先に出してしまう場合が多いようです
 そして、また困ったことに、そういうタイプの方のほうが「自分達は、教育に対して意識が高い」という認識がおありです

 しかし、我が子に「知識」として物事を語り、教えるのではなく、子どもの「心を豊かにする、柔らかい心で物事を見る目を育てる」ほうが、どれほど意味のあることか・・・
 親が我が子に語り、伝えることで、子どもは、幼いながらもきっと「考え、感じ」ることでしょう
 私は、そういう子どもの心の動きこそ、その子をどんどんと豊かにすることだと考えています
 知識の習得は、子ども達は小学校入学以降、毎日毎日、いやというほど学校の中で繰り返していくのですから

 さまざまなことを、幼い頃には幼いなりに「知っている」ことは、とてもすばらしいことです。なぜなら、人は「知る」というチャンスを得て、初めて「考える」という作業が出来るから、なんですね
 小さい頃に、下手に教えてしまうと、正しい知識が身に付かない、とおっしゃる方もおいでになるでしょうね。しかし、知識などは年齢に応じて、積み重ねられれば良いのだと思います。それが良い証拠に、私達は子どもの頃から親に教えられたり見聞きして知っていた「偉人伝」。小さな頃には、その偉人の業績、功績の詳細を、それほど知っていたわけではないですよね。
 でも、それでもなお、彼らは偉い、ということを、子どもなりに理解してたものです

 子ども達が幼く、自力で知ることが難しい間は、当然、親がその多くの「知るチャンス」を作ってあげなければなりません
 いやいや・・・もしかしたら、まずは「親」こそが、知らないといけないことが多いのかもしれませんね

桜のおまけ

2008-04-09 10:38:15 | 良い子、良い親!
 我が家のベランダ前の桜の大木・・・以前から、何度もこのブログの中にも登場していますので、すでにご存知の方も多いことでしょう
 四季折々、この3本の桜の木は、毎日眺めて暮らす私達家族に、いろいろなことを語り、教えてくれます
 もちろん、満開の花の時期は、この世のものとは思えない雅な感動を。
 芽吹きの時期には、生命力の力強さを、真っ青な葉を茂らせ陽の光に輝く時期には、豊かな自然の営みを。
 葉っぱを落として北風に揺れる裸木の時期には、生きることの厳しさを・・・

 何も語らない木だからこそ、いろいろなことを感じます
その桜。毎年、蕾から開花していく期間を楽しみ、満開になると、少しでも長い時間、その桜を眺めていたいと窓の前に立って時間を過ごすのですが、今年はとうとう夫と二人、「何とか、夜もこのすばらしい眺めを、もっともっと感じていたい」と思い、何か良い「ライトアップの案はないか?」と思案しました
 そして、思いついたのが、私のパソコンデスクの横に置いてあるスタンドを、ベランダに持ち出す、というプランでした
 このスタンド。白熱灯が4個、縦に等間隔でポールに付いているタイプで、一つ一つのライトが、可動式になっています。要するに、外に持ち出して、その4つのライトを、ベランダの前の桜の木々のほうに向ければ、完璧に「ライトアップ用の電気」に変身させることができる!ということに気づいたわけです
 コンセントはベランダにはありませんが、夜桜を楽しむ短い時間だけですので、なるべく「細い」延長コードを見つければ、アルミサッシを閉めればすきま風が困るほど開かないでしょう。

 さあ、いよいよ実行 スイッチ、オン
ひゃー・・・ 満開の桜の大木3本が、転居後23年にして、見事にライトアップされました。
 まさに、夫と二人で言葉を失いました。みごと・・・この言葉に尽きました
 ただ、一日目は、セットの作業に時間が深夜だったために、すぐに消灯。ちなみにこの桜、マンションの中庭に立っていたりするのではなく、ほとんどマンションの他の住人の目にふれないところにあるため、こんな勝手なことをしても、問題になる、という危険性はなさそうです

 そして翌日。
私は帰宅後、玄関を入ると靴を脱ぐのももどかしいくらいの勢いでリビングに向かい、部屋の電気を付ける前にスタンドのスイッチを「オン」しました
 暗い部屋の外に、パッと広がるピンクの花々・・・その瞬間、どこからか「わーっ」という声が聞こえたような気がしました。しばらくすると、右隣のお家から、パッパッとフラッシュがたかれるのが見えました

 じつは、私が住むマンションはとても面白い構造をしていて、小高い山の頂上部分、そのなだらかな尾根の傾斜を利用して、細長く立つ3階建ての低層のマンションです
 そして、一つの階段は、向かい合わせの6件が使うことになっています。フラッシュがたかれた右隣のお家は、こういうマンションの構造上、我が家から言うと「裏のお家」にあたり、利用する階段が違うため、その裏の住人の方とお話しをする機会はあまりありませんでした
 けれど、住人の方は、ご年配の女性お二人(姉妹かな、と思っていました)で、たまに敷地内でお目にかかると、ちょっとした何気ないお話しをする方でしたが、相手の方は、私が「裏の家の住人」だということには気づかれていないのでは?と思っていました。

 そのライトアップは、先週末まで、1週間続けました
1週間の間に、息子、娘とそれぞれ1回ずつ、夕食を一緒にして、美しい桜を愛でましたが、あとはほとんど、夫と二人だけで夜桜を楽しみました。
 それに、帰宅の遅い夫ですから、一晩に長くて1時間くらいしか楽しめないのに対し、私はほぼ毎日、日没から深夜まで、無名の桜の名所で、お花見をしました。  時には一幸庵のお団子とお番茶で。
  時にはお気に入りのパンとチーズとワインで。
  時にはデパ地下の「お花見弁当」で。
  時には美味しい京都の漬け物とお茶漬けで。
(お気づきかと思いますが、この時期、わが子達が大学の新入生の勧誘で忙しく、ほとんど自宅で夕食をしないのを良いことに、私一人の夕食のために支度に長時間を費やすのももったいなく、少しでも長く桜の前に座っていられるよう、超手抜き夕食に徹しました

 そんな1週間の最後の土曜日の夜、夫とふたりで、やっぱり部屋の電気を暗くして、桜のライトアップをしていると、ピンポーンとインターフォンが鳴りました。
 画面を見ると、「裏の住人」の方が映っています。はーいとお声をかけて、玄関を開けると・・・

 「まあ、奥様でしたか (やっぱり、私が裏の住人だと、この方はご存知なかったようです) これ、ほんとにささやかでお恥ずかしいのですが、私から気持ちです この桜餅と草餅、とっても美味しいんですよ。新しくできた新横浜のTで見つけたんです。桜を眺めながら、ほんのお口汚しですけれど、召し上がってください 奥様、私ね、何とお礼を申しあげたら良いのか・・・ この1週間、本当に毎日、毎日、優雅な夜を過ごさせていただきました。ほんと、優雅な、豊かな時間でしたわ 最初の夜、パッと明かりがついたとたん、うちのリビングが、ピンク色に見えたんです 毎年、毎年、お昼間に桜を楽しんでましたけれど、夜になると、残念な思いで、心残りでカーテンを閉めてたんですよ。でも、今年は奥様のお宅のお陰で、本当にすばらし春を過ごさせていただきました。ありがとうございました

 翌日、その話を息子にもしたところ、「なんて素敵な話なんだろうねえ!今どき、なかなかないような良い話だねえ、よかったねえ!」と話し、頂戴した草餅を、おいしそうに食べていました

 ほんと、そうです すばらしい夜桜を愛でた、すてきな1週間に、おまけのようについてきた、やっぱり「素敵な豊かな話」でした。何だか今では、背中合わせのお家から、あたたかい温度が伝わってくるように思います

 自然を愛でる、感じる、心が豊かになる・・・そして、それを表現し、誰かと共有する、共感する・・・
 どんなに精密な図鑑からも、得ることのできない、桜の花が運んでくれたほのぼのとした「心」でした。