良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

子どもの心に残るオリンピック

2008-08-24 22:37:43 | 良い子、良い親!
 子どもの感性・・・本当に素敵ですよ
昨日のクラスでは、年長児、年中児、どちらのクラスでも、先を争ってオリンピックの感動場面の話しをしてくれました そんな子ども達の様子を見て私は、子どもの感性のすばらしさをあらためて肌で感じ、鳥肌の立つ思いでした

 「名前はわかんないんだけど、剣みたいなヤツを使って試合をするの。あれ、初めてメダルを採ったんだよ あのお兄さんのパパも、あれの剣みたいなヤツ、してたんだって。」
 「キタジマコウスケは強かったよね がんばったから、メダルが取れたんだ!この前のオリンピックが終わってから、ずっとがんばってきたから、勝った時、泣くほどうれしかったんだよね
 「柔道は、昔、日本が一番強かったんだって でもね、今は、世界の人達がやるようになって、日本はがんばらないといけないんだ
 「ソフトボール、もう、これでおしまいなんだよ でも、最後に、金メダルが取れて良かったよねえ
 「すっごく早く走るお兄さん達、バトン、上手だったよね アメリカは、バトン、落としちゃったんだよ 日本はがんばって、メダルを初めてとったんだよね
 
 これは、子ども達が話してくれたオリンピック話しの「一部」です。
私は、彼らの興奮して話す競技や選手の話しに答えながら、彼らが話す内容の深さにも感心しました
 ご両親が、子ども達と一緒に試合を見たり、表彰式やハイライトを見ながら、子ども達にも理解できる話し方で、いかに一生懸命に説明をなれたのか、ということが実感でき、とても嬉しく思いました

 子どもには、2歳には2歳の、4歳には4歳の、6歳には6歳の「感じる力」があります
 そして、その「感じる力」を育てるのは、まさにご両親なのですね

 私は、よく教室のお母様方に力説をするのですが、子ども達の心への「ひとしずく」がなければ、波紋は広がりません。そのひとしずくが大きければ大きいほど、当然、波紋は大きく広がっていきます
 逆説的に言えば、「ひとしずく」がなければ、波紋など広がるわけはないのです

 オリンピックは、間違いなく、彼らの中の「大きなひとしずく」になりました。知識としてではなく、子ども達は、たくさんの「国」を知ることになりました。
 もともと、たくさんの「ひとしずく」を経験していた子ども達は、その国の名前を知るたびに、今度は国旗に興味を持ったり、地球儀を持ち出して、その場所を確かめたり・・・中には、日本という国の位置を知り、それぞれの国との距離を、表彰式のたびに確認した子もいたようです
  
 努力、がんばることの尊さ・・・
 努力が実った時の感動・・・
 支えてくれる人、応援する人の重さ・・・
 スポーツという国を超える共通の取り組み・・・

 オリンピックは、この2週間で、幼い子ども達の心と頭に、自然に入っていったようです
 
 小学校1年生だった私。一人っ子で、一人でいる時間の長かった私は、買ってもらった赤のブレザーと白のスカートをはいて、こっそり母の三面鏡の前に立って、「東京オリンピックの入場式ごっこ」をしたものです
 ギリシアが、必ず1番に入場することを知ったのも、この時です。それ以来、ギリシアと聞くたびに、何か、とても尊い国のように感じてしまいます。
 また、ソビエト連邦という国が、広大な国土を持つ国であり、さまざまな顔形をした人のいるスポーツの強い国であることも知りました。
 閉会式を見ながら、「次はメキシコ・・・」と繰り返し、なぜか「さよなら」と悲しい気持ちになったことも覚えています。
 教育熱心だった父が、小学校1年生の私に、山ほど知識を授けてくれた賜物だったのでしょう

 子ども達に、たくさんの感動を与えて、今夜、北京オリンピックは閉幕しました。次に、ロンドンオリンピックを見るとき・・・彼らは、何と小学校3年と4年生になるのです・・・


オンリーワンも前進すべし!

2008-08-20 15:13:55 | つぶやき
 北京オリンピックも残りわずかとなりました。
時差のない国での開催は、観戦する側には大きな魅力です それでも、録画を何度も見たり、ハイライト集を見たりと、結局は深夜まで観戦を楽しんでいます

 ランニングを始めるまでは、オリンピック競技の本来の花形?である陸上は、ほとんど観ることもなく、競泳と男子の体操くらいしか観なかった私ですが、今ではトラック競技も自転車の競技にも興味津々 睡眠不足が続いています。
 その選手達・・・いろいろ、ですねえ。
私は特に、期待通りの活躍ができなかった選手達がインタビューを受けたときのコメントを、味深く見ています。
  ある人は、これが今の実力だったのだけれど失敗が悔やまれる・・・ずっとサポートしてきてくれた方、応援してくれた方々に申し訳ない、と肩を落とします。
  またある人は、競技のうえでは結果は残せなかったけれども、この大舞台に参加できたことは幸せだったし、楽しむことができたので良かった!と言います。
 それぞれの感想は、やはり失敗という負の現実の真っ只中にいるときの「複雑な思い」であり、それが完全な本心かどうかは何とも言えません また、打たれ強い性格、前向きな性格、落ち込みやすい性格、悲観的な性格、等、各人の生来の性格によっても、受け止め方に違いがでてくるでしょう

 どちらのタイプの人に共感を覚えるか?どちらのタイプに好感を持つのか?
これも、それぞれ個人個人の思いによって違ってくるでしょうねえ。
 あなたは、もしわが子が大舞台で失敗したとしたら?どちらの言葉を語って欲しいでしょうね?

 子どもが広い自分の世界を持つまでの幼い頃は、わが子を成長に導く親の責任は大きく、親の姿勢やアプローチの仕方、子どもへの言葉かけ、そういうすべてのものは「子どもの考え方、感じ方」に大きな意味を持っています

 私はここ数年、親の「子どもへの思い」の変化を強く感じています。
以前、教育に対して意識が高い、と言われる層の家庭で、圧倒的に多かったのは「子どもに大きな期待をかける」というご両親でした。
 このタイプの親たちは、子どもの誕生以来、いろいろと情報を集め、育て方にこだわり、家庭教育を施されていました
 良きにつけ悪しきにつけ、当然、自分達が一生懸命になっているからこそ、その成果も期待します
 この子どもへの「期待」は、その程度が正しければ、という注釈つきではありますが、子どもの成長を促す大きなポイントになるものです
 子どもは、パパやママの思いを愛情として受け止め、一生懸命になります。こういう「真っ当な親の期待」は子どもの中に適度の緊張感を生み、それ自体が子どものひたむきな取り組みへの姿勢へとなっていくのです。

 もちろん、未熟で軽薄な親が、わが子の「今の状態」をしっかりと見ようとする目を持たず、ただただ、成果、結果ばかりを求める「無理な期待」をすると、良い結果は生まれないばかりか、愛する子どもをダメにしてしまう・・・わけですが

 ここ数年、増加しているのは、良くも悪くもわが子に「期待をしない親」です。
期待そのものを、最初から「わが子への無理強い」というふうに認識し、わが子の成長は自然に任せる・・・という姿勢、とでも言うのでしょうか。
 しかし、残念ながら、まだ自分の広い世界を持たず、たくさんの刺激を外界から感じるチャンスの少ない幼い子ども達が「自然に育つ」ということには無理があります
 たとえば、年月が経過したことによって、子ども達の中にある次の段階に進むための新しいカプセルが勝手に開き、新しい能力や知識が広がっていく・・・というような機械的なことは、ない、のです

 さっきも書いたように、「期待の程度」「期待のさじ加減」はむずかしいですね
 でも、誰かと比較し、その誰かよりも優位に立つための期待や、親の優越感や親の満足のための期待ではなく、純粋に「わが子の成長」を求める期待・・・というものを念頭に置けば、期待のさじ加減は自ずとわかってくるもの、だと思います

 「あなたは、今のあなたでいいのよ 今のあなたで十分にステキ」と言ってあげるのは、もっともっとわが子が大きくなってから・・・そう思います。
 親の知らない「子どもの世界」の中で日々戦い、多くを感じ、学び、そして疲れ、傷ついていく年齢になったとき・・・そういう親の言葉、親の姿勢は、何よりのわが子への「親の愛情」「親からの癒し」となるはずです

 確かに、ナンバーワンにならなくて良い、それぞれが特別のオンリーワン、ですね
 でも、オンリーワンは足踏みをすることではないはず。少し前、少し上に進むことは、やっぱり子ども達の世界を広げるすばらしく価値のあることですよ
 子どもは、生まれたその瞬間から、オンリーワンであり、親にとってのナンバーワンなのですものね{/hearts_pink

宮古島のかき氷

2008-08-12 22:38:18 | つぶやき
 天国からの味「マンゴーかき氷」・・・宮古島の代表的なビューポイントに、東平安名崎(ひがしへんなさき)というところがあります。「日本の名勝百選」にも選ばれている宮古島屈指の名所
 そこの駐車場に、ミニバンの甘党屋さんがあります。そのお店の「マンゴーかき氷」は、天国からの味、ですよ
 かき氷には、おじさんお手製のマンゴーの果肉たっぷりシロップがかかり、その上に、シャーベット状に凍ったマンゴーのキューブがいっぱい。そして、練乳がたら~り・・・これが何と、500円です

 島のあちこちのリゾートホテルでも、この手のかき氷は定番のようですが、これだけマンゴーが入っていると、1000円を下ることは絶対にありません
 それに、おじさん、おばさんの満面の笑顔つきで、このお値段は感動ものでした 私たちがそこを離れるとき、わざわざおじさんはミニバンから降りて、おばさんとお二人で最後まで「また来て下さいねー」と手を振ってくださいました。その姿が嬉しく・・・
 何が何でも、これから宮古島を訪れるみなさんに、是非この情報をお教えしたく、冒頭に書かせていただきました
 何で「天国の味」なのか?・・・それは、これから書くことにします。

 数回前のブログで、私は「がんばる」というお話しをしましたね。
どんな親も一様に、我が子に対し、さまざまなシチュエーションで、頻繁に「がんばりなさい!」と言うけれど、なかなか、がんばるということは大変なことですよ・・・とお伝えしました。
 でも、そうは言いながらも、「がんばりなさい」と口に出し、子ども達を追いつめるようなことはしないものの、やはり、常々、誰よりも一番、この私が身体全体でお教室の生徒達に向けて「がんばれオーラ」を出している・・・というのが現実です
 そんな罪深い私?だからこそ、私自身が子ども達の「がんばるお手本」になれるようにと、今回の夏休みは、かなりがんばっちゃいました
 全くのプライベートなお話しではありますが、お教室のご卒業生のみなさまへの残暑見舞いを兼ねた近況報告として、敢えてお話しさせてくださいね。

 私が、昨年の10月から、ランニングを始め、今ではかなりしっかりと練習をするランナーになっていることは、すでにお伝えしています そんな私・・・5月に、正式に夫の所属するトライアスロンチームのメンバーになりました
 そして、8日から10日までの3日間、夫とともに宮古島での合宿に参加し、とうとう、トライアスロンの3種目にデビューをしました
 レースへの初参戦は、来年4月の石垣島でのトライアスロンになる予定ですが、それまでは、今までのランニングに加えて、スイムとバイク(トライアスロンでは、自転車や自転車種目のことをバイク、と呼びます。二輪車のバイクではありません)も本格的に練習を積んでいきます

 チームのメカニックにお願いし、私の身体に合ったバイクが出来上がってきたのが7月下旬。明るいローズ色とやまぶき色とのツートンカラー サドル下のフレームには、大きく「madoka manners」と、白抜きで書かれてあり、遠目にもかなり目立ちます
 本来ならば、宮古島までに、一度みっちりとコーチと一緒にバイク練習をして、そして安心出来る状態で宮古島合宿に臨もうと思っていたのですが、結局私は1度も自分のバイクに乗ることなく、宮古に出発
 大きなバイクポーターに入れられて、私よりも一足先に宮古島に到着していた自転車と対面したのは、8日の午前中、宿泊するホテルに到着してからでした。
 その後、運搬のためにバラバラになっていた自転車を出し、コーチに教えてもらいながら組み立てます。慣れた人ならば、組み立てに30分。ところが、私が自分の自転車をくみ上げた時には、1時間が過ぎていました

 その後は、これまた出来上がったばかりのウエットスーツを着て、海へGO
トライアスロンでは、スイムが最初の種目です。浜辺へ打ち寄せる波を避けながら海に入るテクニック、突然に泳ぎ出すのではなく、上手に少しでも先に向かう方法など、コーチからわかりやすく教えてもらいながら、皆で練習しました。
 
 トライアスロンチーム・・・とは言え、数名の30代を除いては、ほとんどのメンバーが40代 今年54歳になる夫が最年長です。
 至れり尽くせりのコーチ陣の指導のもと、至極真面目に練習し、トライアスロンへの姿勢は真剣でも、常に陽気で、生きる姿勢そのものに豊かさと潤いのあるメンバー達の練習は、どんなにきつくても、どこか必ず「ゆとり」があるものです 初めて習う、ちょっと高度なスキルを失敗しては大爆笑・・・

 それにしても、3ヶ月前までは、全くクロールでは泳げなかった私が、ちっとも上手ではないものの、一生懸命、真面目に練習した結果、他のメンバーと同じように、ほぼ同じスイム練習ができるまでになったこと自体が奇跡だと思っています
 これも、おこがましくはありますが「やる気と努力」の成果です。
まともに努力をせず「私は平泳ぎは問題なく泳げるのですが、クロールはねえ、息継ぎもできず、ダメなんですよ」などとへらへらと笑っていたことが、とても恥ずかしく思い出されました

 いよいよ午後はバイク練習です
じつは、夫も去年の事故以来、この宮古島合宿がバイクの再デビューの舞台。私は自分のことでドキドキしながらも、とても夫の様子が気がかりでした
 しかし・・・メンバー達の「完全復帰、おめでとう」の温かい拍手と、熱いエールのおかげで、夫は無事にバイク復帰。昨年、事故前、伊江島で見た夫のバイク姿が蘇りました

 次はいよいよ私の番。でも、ドキドキの思いとは裏腹に、優秀なコーチ達の適切なリードと、バイクに乗れるようになることによって、広がっていく未知の世界への強い思いのおかげで、コツを掴んだ私は、リゾートホテルの広い駐車場で30分ほど練習をすると、何とか「乗って走り、止まれる」ようになりました
 その後は、いよいよ、バイクライドです
私が乗れないようであれば、基本練習を続ける予定だったそうですが、一応は「乗れる」ところまで来たので、他のメンバーと一緒に、近くの来間島まで、コーチに伴走をしてもらいながら、往復10キロのバイクライドをすることになりました
 男子メンバーが先に出発。私も、恐る恐る出発
横からコーチが、ギアの切り替えのタイミング、切り替えの方法など、さまざまな指示を細かく出してくれます。
 海に突き出した来間大橋を渡るときには、左右は真っ青な海 景色を愛でる余裕などは全くありませんでしたが、風を切って走る時、それでも視野の端っこにはきれいな海が見えていました

 来間島の展望台の下に到着した時には、緊張で肩や腕はパンパン 止まっても、まだバイクをこいでいる緊張感から解放されませんでした。
 それでも、先についた夫や、男性のメンバー達の拍手に迎えられ、やっとじわじわと嬉しさがこみ上げてきました
 
 展望台で20分ほど休憩した後、今度は5キロの帰路。
少しは慣れたものの、時速20キロから30キロのスピードに、緊張感は消えません。(本当のトライアスリート達は、時速5,60キロは当然のように出しているそうです

 翌日は、男子チームは100キロライド。まさに、宮古島で開催されるストロングマンのトライアスロンレースと同じルートでのロングライド 女子チームは、ベテランのメカニックと一緒に、往復40キロに挑戦です
 海岸線を行く起伏に富んだルートは、ドライブでは気持ちの良いコースでしょうが、自転車では大変です。坂を下りながら、次の登りへのアプローチを考え、登りだしてからは、ひたすらこぐ・・・こぐ・・・
 照りつける太陽のもと、汗をダラダラと流しながら、コーチのアドバイスを受けてギアチェンジを繰り返し、それでも最後は、自分の力でこぐのです

 私は2度、坂を登り切ることが出来ずに、途中でバイクを降りて押しながら歩きましたが、それでも2時間かけて、他の女子メンバーと一緒に、東平安名崎に辿り着きました
 そこで待っていたのが、「天国からの味-マンゴーかき氷」だったわけです。
 60キロを反対回りでやってくる男子チームを待つ間、私たち女子チームは、「おいしい 生き返る おじさん、これ本当に最高」と口々に褒め讃えながら、天国の味をいただきました
 じつは、「天国の味だあ!」と、このかき氷に命名したのは、30分ほど遅れて別ルートから到着した、男子チームの一人でした。

 バイクを停め、岬の先端の灯台でしばらく休憩をした後、なななんと、私たちは「天国の味」のおかわりをしたのでした
 出発をする時、おじさん、おばさんのお二人は、いつまでもいつまでも私たちを見送り、バイクに手を振ってくださっていました

 宮古島は、トライアスリートに、本当に理解があって、優しい土壌です
 超初心者の私が、もたもたと交差点を曲がる時にも、必ず車を停めて、待ってくださいます。時には、「がんばれ」の声までかかります。
 宮古島のトライアスロンレースは、今年の4月で24回目を迎えたそうです。
同じ離島でも、石垣島は八重山諸島へのターミナルという条件もあって、離島の中でも昔から、それなりの賑わいのある島。
 一方、広さでも人口でも石垣島に勝る宮古島ですが、島を潤す何か特別のものがない・・・そこで、当時はまだまだめずらしかったトライアスロンを誘致し、島をあげてサポートすることに決定 それが、宮古島のトライアスロンです。
 高低差が少なく、起伏にとんだ地形はトライアスロンには好条件 今では、宮古島はすっかり「トライアスロンの島」が定着しました

 東平安名崎からの帰路20キロは、初心者の私は無理をせず、サポートスタッフの後続車にバイクを積んでもらい、車で戻ることにしました
 がんばって、がんばれないことはない・・・かもしれない。そうも思いました。コーチも付いてくれていますし、気力は十分にある・・・体力も十分に残っているように思いました。でも、ここで初心者の私が無理をしたら??
「勇気ある『負』の決断も必要」と感じた時、でした
 時には、がんばるよりも、止めるほうが勇気のいる時があります・・・人には、こういう勇気も必要不可欠なものなのだと、五感で感じた時、でしたねえ・・・

 後続車から、必死に自転車をこいで上り坂を進むメンバーの後ろ姿を眺めながら、やはり、人が「がんばる姿は尊い」と感じました
 私のお教室で、苦手な問題に取り組む時、子ども達が顔をしかめてペーパーを見つめる姿・・・全意識を集中し、必死に考えている姿・・・年齢やシチュエーションは違っても、バイクをこぐ後ろ姿と、子ども達の一生懸命の姿とは、まさに同じものでした
 東平安名崎への往路、私もああして一生懸命に坂を登っていたのだろうか?もしそうだとしたら、私は少し、子ども達への罪滅ぼしをしたような気分になりました・・・

 私は、この3日間で、自分の体験から、こんなことを実感しました。
単にがんばりたい、がんばらせたい、というのではなく、「気持ち良く」がんばりたい、がんばらせたい、と思うならば、必ず整えなければならない条件があります
 それは・・・
  自分にとっての、良い指導者がいる、ということ
  良い指導者との間に、きちんとした真の信頼関係がある、ということ
  サポートの体制がしっかりと整っていること
  サポートする側に、がんばるものに対する深い愛情があること
です。この中の、どの一つが欠けても、なかなか人は「気持ち良く」がんばれない、がんばらせられない・・・そう思いました。

 そして、もう一つの大事なこと。
  本当の実力を知り、無茶なことはしない。退く勇気も必要、ということ
です。これはスポーツに限ったことではありません

 スポーツ三昧の3日間。スイム、バイク、ランの練習を通じ、また、それに真摯に取り組む人達を見て、私はたくさんのことを感じ、考え、そして、新しい素晴らしい世界を知ることになりました

いよいよオリンピック!

2008-08-07 19:50:23 | すてきパパママにご提案
 いよいよ、北京オリンピックが明日、開幕しますね
アジアで開催されるオリンピックは、1988年に韓国のソウルで開かれて以来のことです。
 韓国では、「パルパル以来、韓国では・・・」というような言葉をよく耳にします。パルパルとは、韓国語で「8 8」という意味です。1988年の開催年に因んで、このように呼ばれます
 きっと、中国でも今後、「オリンピック以来・・・」という話しが出てくるでしょうね、日本が「東京オリンピック以来、日本は・・・」と、さまざまな分野での進歩、発展を表現したように

 東京オリンピック開催は、1964年、昭和39年でした。
その年に私は、小学校1年生になったので、10月10日のことを大変よく覚えています
 ちなみに、大阪での万国博は1970年。この年、私は中学1年生になりました。こうして考えると、私は日本が急速に国際社会の中で成長を遂げていく道のりの上で、大人になっていったように思います

 話しをオリンピックに戻しましょう
私は、東京オリンピック開催によって、まさに「世界」を身近に感じるようになった、と言っても過言ではありません
 「チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)のチャスラフスカ選手」は、体操女子で活躍した選手ですが、あれほど舌を噛みそうな長い名前を覚えられたのも、やはりそれがオリンピックという特殊で、ワクワクするものに関連した人名、だったからでしょう そんな機会がなければ、チェコスロバキアという東欧の国は、小学校1年生の私にとっては遠い遠い最果ての国で・・・その後、長い間、知ることもなかった国だったでしょうから

 今朝、ニュースを見ていると、日本で言葉と技術を学び、日本での国家資格をとって介護士になる、という試みのために、インドネシアから100名あまりの人が来日した、という話題が流れていました
 6ヶ月間の日本語研修、その後、介護を学びながら3年間の実習を積み、1チャンスの国家試験に臨む、という国家間の新しい制度なのだそうです
 夫の駐在以来、我が家にとってインドネシアは、非常に身近な国なので、将来、インドネシア人に介護をしてもらえる・・・ということを想像するのは、何ら違和感はありません
 しかし、すでに日本在住の「フィリピン人の介護士」のコメントでは、なかなか、日本人にすんなりと受け入れてもらえないのが残念・・・ということでした
 確かに、言葉の壁があり、なかなかお互いに「ツーカー」で理解しあえる、というのはむずかしいでしょうが、同じ人間です
 「自分が不便を感じていることを助けてもらう」「自分の不自由なところを最大限に手伝ってもらう」ということを思えば、それがどこの国の人であっても、とてもありがたいことであり、嬉しいことのはずですよね

 にも関わらず・・・
旅行に行って知り合う、話しをする、ワイワイ言ったりする・・・そういう相手としては外国人もOKだけれど、実際、自分の生活に深く関わるということになると、「外国人では、ちょっとねえ・・・
 こういう思いは、たぶん日本人が、むかーしむかしから単一民族の国家に生きる人達であり、簡単に外国に行ったり来たりできない島国という環境だったからなのでしょう
 
 それにしても、国際化が叫ばれる中、こんなにまで「幼児期からの外国語教育」に熱心な家庭が増えた状況にありながら、「やっぱり・・・何かをするなら、何かをしてもらうなら、日本人が良い」などと感じている人達は、正直、外国語学習をして、いったい「何がしたいのだろうか?」と、私は思えてなりません。言葉なんて、単なる手段ですからねえ

 幸い、私は比較的若い頃から、外国の人達と親しく関わる機会が多かったために、「国」という意識を持つ以前に・・・
 「○○は、Brendaの国」
 「△△は、Linseyの国」
 「○○は、スカルディの国」
 「△△は、エイリーの国」etc. etc. 
と、まずは「人ありき」でした
 こういう関わり方をしたために、その人の国を「国家」として論じる以前に「その人」が私の中に存在し、それだけで、その国は私にとっては大切な、彼らが住む、愛すべき国、だったのでした

 私はこういう経験をしましたが、残念ながら、私の二人の子ども達には、環境的に私と同じような経験をさせてあげることができませんでした。だから、彼らが私と同様の感覚と持っているとは思えません
 しかし、それでもいろいろな面で外国が身近だった彼らが、何の理由もなく「外国人は・・・あんまり好きではない」などと、わけのわからない思いを持っている、とはさすがに思いません

 今回の北京オリンピック。参加国、参加地域、参加人数、すべて最多の大会だそうです
 明日の夜の開会式から始まり、やとえテレビを通しての観戦ではあっても、多くの外国を知る良いチャンスでもあります
 また、現代の若者にすっかり希薄になっている「私は○○人です」という意識も、決して国粋主義者のものではなく、グローバル化されたこの広い世界を生きている中で、一人ひとりが基本の姿勢として持っていなければならないアイデンティティーです
 
 是非、家族で一緒になって、オリンピックを「多くを知り、感じる機会」になさってくださいね

日焼けにご注意!

2008-08-05 23:16:34 | こまりん子、こまりんパパママ
 お久しぶりです 3か月間、お休みをいただきました また、どうぞよろしくお願いします 

 今日の話題は、夏休みの「日焼け」です。
子どもの日焼けした顔・・・まさに「夏」ですね

私も、一昨日は久しぶりに、屋外のプールに行ってきました 子ども達が幼い頃は、夏と言えば「プール」ということで、我が家も頻繁に子ども達を連れてプールに行きました。
 学生の頃からのダイバーで、水泳好きの父を持った我が家の子ども達は、幸か不幸かベビースイミングの頃からプール漬け 就学前には、すでに泳ぎの得意だった子ども達とのプールは、結構楽しいものでした
 しかし、すっかり大人になった子ども達と、当然のことながら、もう一緒にプールに行くことはなく、夫婦でプールには行くものの、真面目にスイム練習をするためのプールで、足を運ぶのは必ず屋内の25メーターや50メータープールです レジャーを兼ねたプールに行くのは、本当に久しぶりでした。

 一昨日は、トライアスロンチームのお仲間の家族とご一緒しました そのお宅のEちゃんは小学校2年生。とっても人懐っこく、チャーミングなお嬢さんです そして、夏になると、毎年、パパ、ママと同様の、きれいな小麦色になります。
 Eちゃんのパパ、ママは、日焼け大好きタイプ。昨日もご夫婦揃って日焼け用のローションを塗って、サンデッキにごろ~り アウトドア派のわりには、とても日焼けを嫌い、ランニングの時にも入念に日焼け止めローションを塗る夫とは対照的です
 大人の休日? 大人のプール? ジントニックを片手に、大いに盛り上がる2組の夫婦ではありましたが、1組は陽射しのまぶしい日向のデッキチェアで、1組はビーチパラソルの下・・・という両極端。傍目には、かなり面白い光景だったでしょう

 すでに、かなり素敵な夏色のお二人
毎年、初夏からじっくり、何度も屋外のプールで時間を重ね、はじめのうちは半日向?のようなところから焼かれるのだそうです もちろん、Eちゃんもこの頃から条件は同じ。
 その甲斐あって、夏本番のこの時期になると、ご夫妻ともにコパトーンのCMに登場できるほど、きれいな赤銅色です

 でもね
普通の人達は、ここまで手間をかけて日焼けをされているわけではなく・・・いえいえ、「日焼け」にこれだけの深い思いや知識があるほうが稀で 一般的には、いきなり「夏の勲章」のように突然、日焼けをする・・・ものではないでしょうか?

 昨年の今頃、私は夫が入院する沖縄県名護市の病院と家を、何度も往復していました
 沖縄県名護市は、あの人気スポットである「美ら海水族館」の玄関にあたる町です。そしてまた、近くには今帰仁(なきじん、ここには、世界遺産の今帰仁の城(グスク)跡があります)、部瀬名(2000年7月に開催された沖縄サミットG8首脳会議の会場となった万国津梁館 ばんこくしんりょうかんのあるリゾート地)、恩納村などの名所、リゾート地も多くあり、当然、夏休みのハイシーズンは、多くの家族連れの観光客であふれます そんな名護市の県立病院・・・そこが、夫の入院先でした。

 私が主人と一日を病室で一緒に過ごし、面会の終了時間になって近くのホテルに帰る時、私はいつも「救急外来」のロビーを通って外に出ます。
 そこで目にするのは、ほぼ9割が観光客と思しき人達で、小さな子どもから大学生、パパ、ママまで、見ただけで同じ症状に困って救急病院にかけ込んだ人達でした

 なぜ彼らが救急病院に駆け込んだと思われますか?
それは「日焼け」です

 ほとんどの人の皮膚は真っ赤になり、中には顔が真っ赤に腫れて大きく膨らみ、泣き続けている子どもも多かったですねえ・・・
 全員が、急激な日焼けによる「軽度のやけど」を負っているのでした。総じて彼らの服装は、タンクトップやサンドレス。観光客の定番衣装です。

 もちろん、私も「観光客」として沖縄に行き、予定通りの旅程を終えて帰宅していれば、まさに沖縄の伊江島で、楽しい時間を過ごした観光客、のままでした
 しかし、夫の自転車落車事故によって、まさに怪我の功名で、沖縄にかなり詳しくなり、親交が急速に深まったわけです・・・
 
 夏の沖縄の陽射しは、尋常なものではありません 晴天の日中、日向に立つと、すぐに手や肩などが、じりじりと射すような直射日光によって日焼けしているのが「感じ」られます。
 ものの5分ほどで、赤くなり、痛くなります。
 実際、沖縄の人達は、よほどのことがない限り、日中は日向に出ることはないそうです 
 病院の玄関でお客待ちをしているタクシードライバーのおじい達も、木陰に簡易椅子を出し、陽射しを避けた状態で座って話しています。
 地元の看護師さん達にお聞きしても、昼間の日盛りには絶対海に出ることはなく、出る時には水着の上に必ずTシャツを着て、ほとんど夕方に遊ぶ・・・ということでした。
  「見ていると、観光客の人達は大変サア。あんなことしてたら、やけどするサア」とうのが現地の方々のお言葉でした。
 
 じつは、同じようなことが、夫のインドネシア駐在中にもありました。
国際的リゾートであるバリ島は、首都ジャカルタから飛行機で1時間のところにある、イスラム教国インドネシアの中ではめずらしいヒンズー教の島です
 ここでも、タンクトップにサンドレスは、世界中からの観光客達。ホテルの医務室には、軽度の日焼けによる発熱ややけどの処置をする人がわんさかいましたねえ・・・
 これは首都ジャカルタでもそうなのですが、インドネシア人の富裕層の人達は、ほとんど「半袖」の装いをされることはありません。
 なぜなら、富裕層の人々は、強い陽射しの日中に、日向を自分で歩くことはなく、常に運転手付きの車移動をしています(これは、駐在する外国人も同じです)。
 自分で運転しているのではないので、駐車場から目的の場所まで歩く必要もなく、デパートの玄関で自分の運転手を呼ぶアナウンスをしてもらえば、車は冷房の効いた玄関までやってきます
 どんな施設の中も冷房が効いているので、日向を歩く必要のない層の人達にとっては、長袖を着ていることが、強い冷房から身体を守る手段でもあるのです こんなこともあって・・・バリ旅行を経験された多くの人達の中には、タンクトップやサンドレスで過ごし、旅程中はやけど化した日焼けに悩まされ、帰国してからは強い冷房の中、薄着だったために、帰国をしたら風邪を引いていた・・・これはよく聞く話しでした

 話しを沖縄の病院に戻しましょう。
そう、その「やけどするサア」と心配されていた人達が、やっぱりやけどをして、救急病院にやってきていた、というわけです
 やけど化した日焼けの痛さに泣き叫ぶ子ども達・・・
 真っ赤に晴れた首筋や背中を氷で冷やしてもらって、神妙に順番を待合室で待つ大学生・・・

 沖縄の青い海、青い空・・・
私も狂喜乱舞しました。あれを見れば、すぐさま海にじゃぶーんと飛びこんで行きたいですよね。それに、2泊3日、長くても3泊4日の日程であれば、日中の行動は当然のことです

 しかーし
南国での日焼けが、大人でも想像のできないほどの重傷の「やけど」になってしまう怖いものである、ということを、一つの知識として、親が知っている必要があります
 そして、南国ではなくとも、地球温暖化の影響で、どんどんと気温が上がり、陽射しも南国並に強くなっている本州でも、日焼け対策は子どもにとって必要不可欠です

 子どもにも安心な日焼け止めを、こまめに塗って外出をすることや、首筋や肩、背中などを直射日光から守る服装や(昨年の今頃のブログに書いていると思いますが、沖縄の幼稚園、保育園で園児用に使用される体操帽?綿で出来たキャップには、必ず日焼け止め対策の日よけが、首筋のところまで垂れているのですよ)、発汗を考えた素材などにこだわることは、「親の大切な役目、責任」であると考えます

 日の暮れた後、名護の救急外来で、母親に抱っこされて泣き叫ぶ顔が腫れ上がった子ども。その横で、やっぱり日焼けして真っ赤になった肩を恐る恐る掻く上の子。短パンにビーチサンダル姿で、疲れた顔の父親・・・楽しいはずの家族旅行が、とんだ結果になるのを見るのは辛いものでした。
 どうぞ、たかが日焼け、などとは思わず、しっかりと対策をしてくださいね