良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

夢の中の子はだあれ?

2006-04-28 18:55:23 | すてきパパママにご提案
 今朝、目が覚めた時には、はっきりと「その子」の顔を覚えていたんですよねえ・・・目がクリクリとしていて大きく、髪はイガグリの坊主頭の男の子

 いったい何の話なのかって?そうですよねえ、いきなり 
じつは、私は今朝、目が覚める直前に、夢を見ていたのです どんな夢かと言うと、さっき書いたかわいいクリクリ坊主の男の子に、一生懸命に叱っている夢・・・たぶん3歳半くらいの子供でしたが、私は道路にぺたんのしゃがみ、その男の子の目線に合わせ、叱る、というよりも、一つ一つ話しては理解しているかを確認。そして、納得をさせて、諭している

 その子はね、私に言われると、しっかり私の目を見て、こっくりこっくりとうなずき、半べそをかいたような顔をしていたんですよ いやー、本当に利発そうな、良い子でした

 どうして私がそんな夢を見たのかは、よくわかりません 私の息子は目はクリクリとしていませんし、イガグリちゃんの坊主頭にしたこともありませんし まあ、とにかく、夢だったのですから、きっと私の頭の中に、何か「叱る」「諭す」という行為の記憶や意識が残っていたのでしょうね

 さてさて。そこで、「叱る」について、です
さあ、みなさんはどんなふうに、我が子を叱っていますか?満足のいく「叱り方」をしているでしょうか?上手に諭し、理解させていますか?

 子供はね、1歳に1歳なりの、2歳には2歳なりの、ちゃんとした理解力はあるものです もちろん、2歳よりも5歳のほうが、理解力は高いのですよ。でもね、1歳だから何もわからない、なーんてことは絶対にないんですね

 一度、自分の「叱る」という行為をじっくりと研究し、叱っている相手の我が子の「理解度」を冷静に観察してみるのも意味のあることだと思いますよ
 叱り方によって、子供の反応も違えば、理解度も違ってきます

 明日からは長いゴールデンウィーク パパもお休みで、家族揃ってのお出かけや帰省など、普段の生活とはちょっと違った毎日を過ごされる方も多いでしょうね
 そんな時、子供は案外バランスを崩すものです 体調を崩さないまでも、日中はとても楽しんでいても、やはりいつもとは違う時間の過ごし方をすると、妙に調子にのったり、ハイテンションでわけがわからないことを言ってみたり

 もしかしたら、いつもよりも「叱る」機会が多く、研究する良いチャンスかも
 どうぞ、素敵なゴールデンウィークをお過ごしくださいね
 

ちょっといい話

2006-04-26 22:28:28 | つぶやき
 私の親友は、2児の母でもある歯科医です
彼女は長年、大学の歯学部に勤務し、学生に講義をし、研究をしながら、付属病院で多くの患者さんの治療を担当していました。
 現在は、横浜市の東横線の日吉、というところで開業をしています。

 以前私は、自分の仕事の関係で、彼女に「歯と子供」というようなテーマで、少し教えてほしい、と頼んだ時に、彼女はこんなレポートを書いてきてくれました
 私は、その文章を読み、大変感動しました なぜなら、それは今まで、私の中には全くない発想だったからでした
 今日は是非みなさんにもそのレポートをご紹介したく、彼女が書いてきてくれたそのままのかたちで、ここにその一部分をご紹介します

 「歯」という身体の中の一つの大切なパーツは、大人になっても「大きさ」も「形」も変わらないまま、早くに完成してしまう特殊なものです。
 手や足、顔、頭の中身や性格は、まだまだ成長し、またどんどんと変化していきますが、「歯」は、ほんの6,7歳から10歳ぐらいまでの間にはえかわり、すべてが終わってしまうんですね。
 私の娘達に乳歯が生えてきたときは、私は全く何も思いませんでした。まだこれから変わっていく余地があるから安心?という気持ち、とでもいうのでしょうか。
 でも、永久歯が生えたとき、私は親として「何にも満足なことがしてやれないうちに、子供の身体の一部が、ひとつ完成してしまったんだ」という焦り、とか恐怖?がありました。
 わが子が生まれてからわずか6年、下の子に手がかかり、タイミング的にろくろく上の子に目を向けていなかったら、あっという間に、身体の一部の成長が終わっていた…何という事なのだろう…という思いです。
 その時、顔を出した永久歯は、娘が大学生になっても、社会人になっても、自分の結婚式でも、出産で入院した時でも、はえかわったその時から、ずーーーっとその歯を使って生きていくわけで、完全に完成されてしまったその永久歯の残りの人生は、磨り減ったり、虫歯になったり…と、退行してゆくだけです。

 いかがですか?この文章を読んで、どんなふうに感じられたでしょうか?
もちろん、こういう視点は歯科医ならではのもの、とは思います
 しかし、私達は今まで、こんな事を意識して、子供の歯、というものを考えた事はあったでしょうか?

 こんなに「歯を大切にする事」が叫ばれる時代になっても、このような考え方、発想、いえ、むしろ「事実」というべきこの事は、全く気づかれずにいた… 
 彼女が歯科医としてというよりは、むしろひとりの母親として感じた事をそのままで書いてくれたこの思いは、「子供の歯」への思いを、あらためて認識する良い機会になりました

となりの芝生は青い?!

2006-04-25 21:45:04 | つぶやき
 私は日頃、まだまだ両親の掌中にある、かわいくて幼い子供達と接しています 子供達はみな一様に、パパやママがいなくては生きてはいけない、弱者です 
 その子達は、幼稚園や保育園で、「それなり」の自分の世界を持ちながらも、やっぱり、両親の手の中で、嬉しそうに生きている・・・
 だからこそ、親も、「この子は、私達が何とかしてやらなければ」と思い、同時に、「まだまだこの子は自分達の思い通りになる」とも感じ「自分達の思い描くようにするのが、この子の一番の幸せである」と思うんですよね

 でもね・・・子供が自分の意志を持ち、自分で感じ、考え、行動するようになると、大なり小なり、どこの家庭でも親子の間に「ボタンのかけちがい」が生じてくるんです
 
 親の言葉が我が子に通じない 良かれと思ってしてやったことが、気に入らないと泣いたり、怒ったり

 そんなことを繰り返しているうちに、「うちの子は~~だけど、○○ちゃんは素直で良い子だなあ」とか、「△△ちゃんは~~なのに、なんでうちの子はこんななんだろう」などと思ってしまう

 子育てをしていると、とかく「となりの芝生は青い」と思うものですね。
でもね、おとなりから見れば、「おとなり」である我が家の芝生は、やっぱり青いのですよね


正しい発音、してますか?

2006-04-24 09:17:55 | すてきパパママにご提案
 「ママのパイパイ、だーいしゅき
 「きちゃポッポ、トーマシュだね
 「ちゃーんとマンマ食べてから、ねんねだよ

 幼児語って、聞いていると、何となく和みますね
あー、私の子供・・・こんなふうに私に向かって話してる 時には感動しちゃったり
 確かに、幼い頃の幼児語は、舌の動きや顔の筋肉の未発達もあって、上手に発音できない音を自分流に、発音しやすいように発音することによって生まれてくる言葉です
 もちろん、このあたりのことにご興味があれば、是非、ドクターや言語学者さんんの専門的な知識をご覧になってくださいね

 私の専門は・・・
医学的、学術的なことではなく、「子供の言葉」について、です
 幼児語は、そのうちに成長とともになくなり、大人と同じように発音できるようになり、また、幼児語を話すことを「恥ずかしいな」と感じる時期がくれば直っていきます。
 
 でもね、是非、お父さん、お母さんに注意をしていただきたいこと、それは幼児語ではなく、「発音」なんです
 つまり、十分に発音が出来るようになっているのに、単語、言葉そのものを間違って覚えてしまい、その間違いに対して指摘を受けないために、いつまでたっても「間違ったままの言葉を覚え、話している」というお子さんは多いものです

 たとえば・・・

「きのうね、ママといっしょにたかしやまに行って、スタベティーをぱれたの。帰りはね、駅からママのじでんしゃに乗ったんだ

 例文にしたかったので、これは一つの文章の中にたくさんの間違った言葉を並べた極端な例ではあるのですが・・・パパッと読めば、案外、意味はわかるのではありませんか?

 「昨日ね、ママと一緒に「高島屋」に行って、「スパゲティー」を「食べた」の。帰りはね、駅からママの「自転車」に乗ったんだ」ですね。

 そう、パパッと聞いていると、ちっともおかしくないから、十分に理解できるから、そのままで見過ごして(聞き過ごして)いるんですね
 でも、子供のためにも、出来る限り、覚え間違い、発音の間違いには気づいてあげましょう

 幼稚園やナーサリーのような団体生活、グループ行動などを始めると、子供達って残酷なものですよ
 ちょっとした間違いも「悪気なく」指摘し、結構、相手を傷つけたりするものです。それは悪い、とは言えません。だって、指摘をしたその子も、「アレ?おかしい」と思っただけなんですものね

 それとも・・・ママが間違って覚えて、話してる言葉があるのかな???

それはないでしょ!おねえさん!

2006-04-22 23:21:22 | こまりん子、こまりんパパママ
 
 いまどき流行の、都心のスパに行った時のこと
 脱衣のロッカースペースで、若い女の子達が話をしていました まさに裸のつきあいをする親しさ、なのでしょうね。大学生に見えるそのお嬢さん達は、一度入浴をした後、涼みに出て来て、そこで話していたようでした

 「ねえねえ、この横のはなーに?なんでこんなに大きく切った跡が残ってんの?
 「ああ、そこは2度目の手術の時に切ったところなの
 「ふーん、そうなんだあ じゃあ、その横の小さな傷は?」
 「ああ、そこね、そこは、3度目に切って、肋骨をけずったあとよ。」
 「へえー びっくりだねえ かなり驚きの、すごい傷だよね、驚いちゃった
 「うん・・・」

 ちょうど背骨の上あたりに、大きな傷のあるお嬢さんは、健気に応えていましたが、そばでたまたまその会話を耳にした私は、怒髪天をつき、そのくだらない、心ない質問をしたほうのお嬢さんの頭の中を、見てみたい気がしました
 私はときどき、人は、悪意がなければ、けっこう許される・・・そんな甘やかしの中で生きているように思います。しかし、本当に、悪意がなければ何でも良いのでしょうか?
 
 さっきのお嬢さん、ひとしきり質問攻めにした後は、もう「聞き終えた」の気分だったのか、晴れ晴れとスパのほうに消えました

 「無神経な人」って、いますよね
無神経な人は、ときどき、お腹にものがない、裏表がない、そんな表現をされて、平然と生きています 
 そして、本人は、いたって明るく、屈託なく、元気に育っているものです

 でも、もしあなたが「無神経」だ、と人から指摘を受けることがあったなら、きっとあなたのお子さんも、十中八九、そういう無神経な部分を受け継いでいる・・・と言えるでしょう

 無神経さは、決して明るさでも、屈託のなさでもない ただの、繊細さの欠落、相手の反応や表情を素早く読むことのできない欠点なんだと思うのですが・・・