良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

歯列矯正をしています(*^_^*)

2010-09-29 10:55:23 | すてきパパママにご提案
じつは。
私は今、歯列矯正をしています ここ7,8年でしょうか、歯列矯正は子どもだけではなく、大人、特に母親になった年齢の女性の多くが、取り組むようになりました。 ひと時代前であれば「今さらあなたの年になって、歯列矯正をしてどうするの?」と思われるような年齢の女性です
 もちろん、私などはすでに52歳ですから、まさに「あなたが矯正をして、何がしたいの?」と仰天されるような年齢でしょう。
 すでに、このブログには何度も登場している医療関係者である私の大の仲良し2人。一人は私達家族のホームドクターで、もう一人は歯科のホームドクターです。この2人のおかげで、私は門前の小僧さながら、結構、いろいろな医療関係のこと、特に歯科についてコンサルタントになれるほど?!かなり詳しいですよ
 私の場合は非常に幸いなことに、この仲良しの歯科医のおかげで、歯の治療、歯のチェック等、恵まれた環境の中で暮らしています。
 彼女の言い分は、「あなたは人前に出る仕事をしている人。私が友人でありながら、もしあなたの歯に不都合があれば、私が格好悪い思いをしてしまうわ」というもので・・・確かにそうですねえ・・・一理あります。

 ということで。
上顎が前に出ている遺伝(要するに、出っ歯、です)という私の長年の懸案が、友人の強い勧めもあって、歯列矯正によって改善させましょう!ということになり、昨年の7月から歯列矯正を始めました
 年齢を重ねれば重ねるほど、歯周病のような病気が出てきて、人の歯は出っ歯、隙っ歯になる傾向にあるわけですから(みなさん、ご存知でしたか?)もともと出っ歯の私の場合は、より一層、年をとると醜い出っ歯になってしまう・・・わけですよね。
 そんな私だからこそ、よけいに彼女は私の口元を心配し、ずっと「この年齢だからこそ」歯列矯正をして、きれいに年をとること・・・を勧めてくれていたのでした

 私の矯正は、夜寝るときにだけ、矯正のための矯正具をはめる・・・というものです。
ですから、日中は普通生活のまま。この矯正だと、24時間装着する矯正よりも歯の動きはゆっくりですから、トータルにすれば長い時間かかってしまいます。けれど、日中に矯正具が原因で話しづらいとか、矯正具に歯垢がたまりやすくなり、虫歯になる可能性が高い、とか、そういう心配がありません
 始めてから1年2ヶ月。まさに、私の口元は、目に見えて改善されてきました 懸案の出っ歯は、ぐっと引っ込んできましたし、ガタガタだった歯並びも良くなって、少しずつではありますが、きれいに並ぶ歯が見えるようになりました。
 歯並びのために健康な歯を抜くこともなく、矯正具で日中イライラすることもなく、ひたすら、夜の間、マウスピースのように矯正具を装着するだけで、私は出っ歯から「普通の歯」に昇格しました。
 もちろん、まだまだ「夜だけの矯正」を続け、時間をかけてきれいな歯並びの歯を手に入れようとしています。これによって咀嚼(噛むことですね)も良くなり、口呼吸で口の中が乾くことからも解放されます。そうなれば、口臭もなくなるし、良いこと尽くめです

 じつは。
私には、忘れられない息子のひと言、があります。
昨年の12月、息子が心臓の弁置換手術を終えた時のこと。手術室からICUに戻った直後、面会が許されました。その時は、まだ息子の意識は戻っておらず、口には太い管が入ったままで、身体中、管だらけでした。普通の精神状態ならば、そんなサイボーグのような姿にかなりのショックを受けたでしょうが、その時の私は、ひたすら感激でした
 息子のベッドの横の機械では、息子の心拍数が数値で出ています。息子の心臓が動くたびに、ポーン、ポーン、という音が聞こえ、ハート形の光がピカピカ・・・息子の心臓が自力で動いている証拠です。手術が上手くいっても、人工心肺から息子自身の心臓に切り替えた時、果たして自力で心臓が動くかどうか・・・手術前日、主治医の先生にそう言われていたことを思えば、その「ポーン、ポーンの音・ハート形のピカピカ」は奇跡に思えました。息子はチューブだらけだけれど、間違いなく、心臓は動いている!!そう思うと、サイボーグのような姿とは裏腹に、まさに生きているという実感を伴った姿で、嬉しくてなりませんでした。
 それから2時間近く経ってからの面会、3時間後の面会、息子の意識は戻り、不思議な躁状態の息子はひたすらひたすらしゃべりまくって(実際の息子は、非常に寡黙です)いましたが、その半分以上は声がかすれていて、何を言っているのか聞き取れませんでした。日頃は、話すときも言葉を選び、決してノリノリで話す子ではないことを思えば、その時の息子は、幼児期以来の「おしゃべりくん」でした
 あとになって判明することですが、あの日、ICUで話したことのすべては、息子の記憶にはありませんでした。手術後、彼の意識は戻ったものの、話している時は意識下の意識での会話。あの「ペラペラ」は、彼の心の中の言葉だったんですねえ。だから、いつもはポーカーフェイスで、決して心の内を見せることのない息子のあの時の会話こそ、彼の本心。半分以上聞けなかったことは残念でなりませんが、さすがにそれは可哀想だと思った神様の息子へのお計らいだったのでしょうね。

 おっと失礼しました。話が横道に逸れました。そうです、忘れられない「息子のひと言」です
「息子のひと言」の意味を、より実感を持ってご理解いただくために、これだけ長々と説明をしたのですが・・・いつもは本心を絶対に見せない息子が、私が2度目の面会にICUに入った時、言った言葉がこれでした。
 「お母さん、お化粧、直して来なかったの?髪もバサバサだよ」何度も言いますが、彼には、母親にこう言った記憶は残っていません。けれど、この言葉は、彼の心の中から出た本心だった、ということです。
 
 あの時の私は、「自分をきれいに見せる」という思いなど、微塵もありませんでした。確かに、あの手術の日の朝、6時に家を出発をした時には、一応はきちんと「素敵なお母さん」の装いでした。厚化粧ではありませんが、いつもの私の顔。朝、着替えをしながら、万が一、その姿が息子が私を見る最後の姿だったら・・・そんなことをぼんやりと思ったのですから。
 けれど、長い手術の時間中、何度もお手洗いには行きましたが、かと言って、そこでお化粧を直したり、鏡を見たりする気にはなりませんでした。ですから、手術が終わってICUに入った時の私は、素顔というよりも、一度はしたお化粧がはげ落ち、髪は、手術前には長くしたままだったものを、手術後は簡単にシュシュで束ねていたのでした
 その姿が、息子には何とも言えない「情けない、やつれた母親の姿」に映り、とても情けなかったのかもしれません

 みなさまもご存知の通り、私は常に「元気印」です それは家庭でも同じで、滅多に「疲れたー」を言わないお母さんなんですね。ましてや、50歳になってからトライアスロンを始め、溌剌と父親と一緒に走りに行ったり、リビングにトライアスロンのレース中の写真なんかを飾ったりしている若々しい母・・・少なくとも、いつも元気で溌剌としていたいと、誰よりも考えている母が、幽霊のように、魂が抜け落ちたかのように息子のベッドの側に立ち、息子の手を握って涙を流している・・・きっと意識下の意識で、息子は「いったいこの人は何?僕の母親ではないでしょう?何ですか、この醜い人は・・・」と思い、思わずそう言っていたのでしょうね。

 私はこの時、痛いほど思ったものです
「母親は、いくつになっても、きれいでいなければならない
少なくとも、成人した子どもでさえ、そう思っている、ということです。母親が40歳になっても、50歳を過ぎても、「きれいでいようとする姿勢」は本当に大切だ、と最近、痛感しています。
 女性は、年を重ねれば味が出て、本当は素敵になっていきます。でも、容姿に関しては、衰える一方。それは仕方がありません。若い頃は、「若い」というだけで価値がありますものね。
 でもね、私は思うのです。女性は、いえいえ「母」は、老けていくに任せてはいけません 母だからこそ、いつまでも若々しく、きれいでいよう!きれいでいたい!そういう意識を持って日々暮らしていかなくてはいけない、そう思います。百歩譲って、きれいになるために「何か」をしないまでも、きれいでいなければいけないな、という思い、意識だけでも持っていなければ、ひたすら子どもにとってはもう価値のない存在になっていくのではないか?そう思うのです。
 だってね、子どもが小学生になれば、毎日は無理でも、きっとちょっとがんばればお腹がすけば目玉焼きも焼けるし、納豆ご飯だら自分で食べられるでしょう?2,3日は、洗濯ができなくても、そのくらいの洗い替えの下着はあるでしょう。お風呂だって、シャワーくらいなら自分で何とかなる・・・じゃあ、お母様の価値は?お母様がいる意味は?
 
 ママは、パパとは違うのです。子どもにとって、一番身近なママ、お母様は「素敵な人」でなければ、きっと意識の中では捨てられてしまうでしょう。
 さあ、今日の余暇の時間には、どんなことをして、素敵でいる努力をしましょうか