良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

左手のピアニスト

2010-12-15 01:04:32 | つぶやき
 先日、キッチンで家事をしながら見るともなくNHKのニュースをつけていると「左手だけで弾くピアノの曲」というトピックが流れました
 急に興味が湧き、手を拭きつつリビングに戻ると、確かに右手は膝の上に置かれたまま、左手だけで演奏している映像が映し出されています。けれど、巧みなペダルワークもあり、奏でられる音楽は、それはそれは美しく、そして力強く、何と言うのでしょうか・・・とても豊かな音色なんです 感動でした

 昔むかし、ピアノの前に座り、鬼のような(失礼!)ピアノの先生の顔を思い浮かべ、泣きそうになりながら、なかなか上手く弾けない「左手」の練習をした・・・そんな記憶が甦りました あの時に練習していた「左手のメロディー」は、あくまでも伴奏的メロディーであり、それを聴くだけでは妙にマヌケな曲に思えたものです。
 ところが、その映像の「左手の曲」は、それだけで人を圧倒する魅力を持った、迫力のある、感動的なメロディーでした

 そのニュースでは、音楽大学でピアノを専攻しながらも、突然の病で右手の自由を奪われたピアニストが、「左手だけの楽曲」に出会い、再び音楽の道、演奏家としての道を歩み始め、ドイツを始めとするヨーロッパの国々から、左手のみで演奏する楽曲を探し出し、演奏する活動を続けている・・・ということを紹介していました
ニュースの始めの部分を見落とした私は、あとからインターネットによって、そのピアニストが「智内威雄(ちない たけお)氏」であることを知ります。

「左手だけで弾く曲」その演奏を聴くことがなければ、何とも不思議なもの、ですね。その言葉だけを聞けば、ハノンのような、指の動きをよくするための、左手専用の練習曲なのかな?と思ってしまいます。
しかし、それらは何と、バッハ、ラヴェル、というような、そうそうたる音楽家が作曲した立派な曲であり、練習のための「サブの曲」ではありません。
 では、いったいなぜそんな曲がたくさん出来上がったのか?
その理由を聞いて、私は本当に驚いてしまいました

 ヨーロッパでは、19世紀、20世紀と、大きな戦争が2度もあり、人々は戦場に駆り出され、豊かな伝統ある文化を持った国々は焦土と化しました そこでは、多くの音楽家達の命も奪われ、そしてまた、多くの演奏家が大怪我を負って帰還。そんな演奏家、ピアニストのために、作曲家は敢えて「片手のための曲」を作曲したのだそうです。
その驚くべき完成度の高い「左手だけで弾くピアノ曲」は、皮肉にもそんな社会的な、悲惨な情勢から誕生した産物だったのでした。
 しかし、世の中が平和になるに従い、それらの曲の必要性も低くなり・・・そして、いつしか演奏されなくなっていって、楽曲も埋もれていく・・・それを惜しんだ「左手のピアニスト」が立ち上がり、世界中から、左手のための楽曲を集めている・・・という話題だったのでした
 全く初めて耳にするその話題に、私は非常に心動かされました。智内さんが演奏するその「左手の曲」は、その日一日、私の頭の中で響きました

 それにしても・・・
私はそのニュースの内容にも驚かされ、そのあと、いろいろとインターネットで調べてもみて、非常に感銘を受けたのですが、私はそのニュースから、全く違う次元でも、考えさせられることが多かったように思います。

「マイナスをプラスに転じる」これはよく言われることです。「災い転じて福と成す」これも同じ、でしょうか。
身に降りかかった災いを嘆き、「失ったもの、マイナス」を嘆く・・・それは当然のことでしょう あの日に見たニュースで言えば、将来を期待されるピアノ科の学生だった智内さんが、ある日突然に病気の宣告を受け、動きにくくなった右手、痺れる右手は、もう二度と自由には動かない、と聞かされた時のショックは・・・私には想像もできません。
しかし、リハビリをしている時、たまたま出会った「左手の楽曲」で新たな道を見つけ、失った右手の自由、その「マイナス」をリセットし、右手が動かないという自分を「100」として考え、新たに歩み出す・・・
マイナスを背負った事実、その自分を「満点の状態」として考えれば、その時点で、すでにマイナスは現実からは消えていく・・・そこが「ふりだし」であり、そこが「スタート」と捉える・・・そう思えば、きっと、その時から人生観もかわっていくのでしょう もちろん、そのために、とてつもなく大きなパワー、エネルギーが必要だったことは忘れてはならないことでしょうが。

 そんなことをしみじみと考えていると、はるか昔ですが、こんなことがあったことを思い出しました
私が大学生の頃、ボランティアのクラブで活動をしている時、アメリカの車椅子バスケットボールの選手達のお世話をしたことがありました
 その日、私は彼女達のショッピングの手伝いをしたのですが、一日、彼女達と行動を共にしているとき、そのチームのエース選手が話してくれた言葉が印象的に残っています
 「もし私が事故に遭わず、今でも健常者だったとしたら、きっと平凡な生活をしていただろうなあ、って、いつも思うのよ こうして日本に来ることもなく、あなたに会うこともなかった。平凡がいけないことだなって思わないけれど、でも、今の私みたいに、こんなにイキイキと、張り合いを持って生きていなかったかもしれない・・・いつも、そんなことを思うのよ・・・」
 当時も、私は彼女の言葉に、深く深く考えさせられたことを、今でもよく覚えています

 彼女が不慮の大きな事故に遭い、足を失ったことは、それはれは大変不幸なことでした 彼女は絶望し、車椅子バスケットに出会うまでは、毎日、ひたすら泣き暮らした・・・と言います。両足で歩けていた頃の自分を思い出しては、頭を掻きむしり、気が狂いそうになった・・・と。
 けれど、車椅子バスケットに出会い、彼女の人生はそこでリセットされ、新しいステージが始まった・・・そして、私に語ってくれた「こんなイキイキと張り合いを持って生きていける毎日」がやってきたのでした。

 自分の身のまわりに起こる様々な「マイナス」 そのマイナスの値は、智内さんや車椅子バスケットのアメリカ人女性ほど、とてつもなく大きな値ではなくとも、人はみな、きっとその「マイナス」を嘆き、「マイナス」に視点を置き、なかなかそこから抜け出せないものだと思います
 けれど・・・
私は今回の「左手の楽曲」のニュースを見て・・・そしてまた、あらためて、彼女のことを思い出し・・・考えさせられ・・・そして、やっぱり尊い、強いエネルギーを感じさせてもらったのでした


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