まど

細く開いた窓を覗いてみると、そこにはNikonD70Sを前に困惑している女がひとり・・・

椿の散華

2008-04-06 21:08:07 | Weblog

私の育った家には数本の乙女椿がありましたが、乙女椿ときたら、可愛いには可愛いのですが、侘びだとか寂びだとか色気とかにはほとんど無縁だし、葉っぱにしたって色が濃過ぎるような気がするし、あの硬さも花と合っていないように思えて、嫌いでした。

唯一、これはいいと思ったのは、ままごとの時で、花にボリュームがあるし、じゃんじゃん咲いてじゃんじゃん落ちるので、使い放題だったのです。
春先のことで、地面のひんやりとした冷たさが移った花を木の下から拾い、手のひらにのせて落ちないように運ぶ。
今から考えれば、これはかなり素敵な荷物でした。

大人になっていろいろなところで椿を見る機会があり、だんだんと椿の魅力がわかるようになりました。
本物の椿の美しさに気づいたのはもちろんですが、あるとき雑誌の1ページに載せられた写真に釘付けになりました。

京都東山 法然院   椿の散華

散華とは仏に供養するために花を散布することです。
ここ法然院では季節に応じた花を25輪、二十五菩薩になぞらえて並べるそうです。
通常はこの伽藍は非公開で、散華も庭から見ることになるのですが、1年に2回、4月1日~7日、11月1日~7日は特別公開され、間近に見ることが出来ます。
椿が置かれる春の公開、いつかは是非拝見したいものです。

 

写真は、写真家 水野克比古さんが雑誌に出されたものを取り込みました。
写真集「京都法然院歳時記」を出されています。(←見たい。)

 

 


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8 コメント

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散華って。。。 (tarutaru)
2008-04-06 22:25:15
>椿の散華

初めて知りました。並べ方の規律もあるようで
独特の世界を感じます。

乙女椿は庭に咲いていますが色気がないかなあ。乙女の色気は感じますけど・・・あはは
侘び助だの曙だの白玉だの・・・椿のボリューム感がよくていろいろ植えました。
僕のブログにアップしたのは藪椿でしょうか?乙女?


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乙女椿は幸せいっぱい、でしょう。 (うしろの正面)
2008-04-07 12:37:45
tarutaruさん、早速のコメントありがとうございます。

そうか、乙女椿には乙女の色気があるのか・・・。
うーん、これは異性だからこそ敏感に感じられるのでしょうね。
おっと、話が椿から外れそうです。(笑)
人間の色気につきましては、長い話になりそうなのでまた別の機会に委ねるといたしましょう。

tarutaruさんの庭にもいろいろな椿がありそうですね。
椿もものすごいたくさんの種類があるようで、それだけ愛されてきたということでしょうか。
名前がまた、良いですよね。

ただ・・・、椿って、薄幸なイメージがあって、それがもののあはれとかに通じるような気がするのですが、どうでしょう。
ただ、首から落ちるからとか、椿姫のイメージに囚われているから、とかで感じたのでしょうか。
tarutaruさんの椿、薄幸です。薄幸だからこそ、より美しいと思いますが。
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Unknown (mako(雑感ノート))
2008-04-07 12:56:01
浄土の荘厳を表現する手段として、お経の中に花々が登場しますよね。椿も登場するのでしょうか?

この情景は、いいですね。
乙女椿は知りませんでした。
武士は、椿を嫌ったようですね。
首からすとんと落ちますからね。

五弁の椿という小説がありました。
映画にもなりましたね。
子供のころ、母親に「子供の見る映画ではありません」と言われたのを覚えています。
見ましたけど、別にどうという映画ではありませんでした。
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椿はいろいろな人に例えることが出来る・・・。 (うしろの正面)
2008-04-08 12:51:33
makoさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。

椿は仏教とは本当は遠いような気がするのですが、このお寺の散華に関しては、遠い昔旅の僧が椿を手折ってご宝前にお供えしたという故事から始まっているようです。
ここ、法然院が東山の第十六峰、椿ヶ峰というところにあるので、昔から椿がたくさん自生していたのかもしれません。(←ああ、見たい・・。)

>この情景は、いいですね。
ほんとうに。花が我が身を捧げて仏に供養をしている(実際は人間がそうやっているわけですが)その姿がひとしお美しく感じられます。

五弁の椿、父親の復讐をするんでしたっけ?
実は、菊川怜が明治座で座長を張り、五弁の椿をやりまして、その時「ポスターの表情は大変良いが、菊川怜に明治座の公演の座長は荷が重過ぎるのではないか?」と思い「どんな話だろう」とあらすじを読んでみたのです。血のつながりのない父親の復讐のために、産みの母親を筆頭に五人の憎き人間を殺すんでしたね・・・。
母親が間男をしたとか、復讐をするとかだったので、makoさんのお母様はそのようにおっしゃったのですね。
>別にどうという映画ではありませんでした。
ふふふ、オトナでしたねえ、makoさんは。
でも、昔の人で真面目な方はこういう不道徳なのは許せないでしょうね。私は自分のことはさておき、不道徳を許さないタイプの婦人というのはすごく好きです。それこそ、白い侘び助のようだと思います。



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Unknown (健太郎)
2008-04-10 07:29:21
おはようございます。
今朝の横浜は雨、 ボタン桜も心なしか寒そうに見ます。

はっきりとした記憶ではありませんが椿に関して好きな話があります。
「千の利休に招かれて伺ったところ何のもてなしも無くただ時間だけが過ぎ去ったが 茶室の方丈からは庭一面に敷き詰められ真っ赤な藪椿が見えるだけだった。」
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素敵な荷物 ()
2008-04-10 09:49:48
 そろりそろり運ぶ少女。

 京都法然院へ、 哲学の道から入ったのは五年前のこと。谷崎潤一郎のお墓の隣りに 日本画・福田平八郎のお墓がありました。 陰翳礼賛も静謐な絵も共感し感動します。

 境内はいたるところに落ち椿。灯籠の上、鉢のなか… 侘びのせかいに浮かぶ花にも、魅かれます。
 おかげさまで懐かしい旅を思い出しました。
うしろの正面さん ありがとうございます。
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さすが・・・。 (うしろの正面)
2008-04-10 13:10:45
健太郎さん、コメントありがとうございます。

なんだか、ものすごく暖かい日があると思うと、今日のように冬に逆戻りかと思われる日がありますね。
椿には、すこしきりりと冷えたくらいの空気が似つかわしいと思います。
あんまり暖かいとデレッとしそうですよね。

千利休の話、美しいですね。
私はお茶をやりませんので、茶道のこころを知りませんが、一期一会のもてなしとはこういうことか、と感じ入ります。

今日、婦人雑誌を眺めていたら、千利休の話が載っていまして、弟子だか息子だかに庭掃除をさせ、「これでよろしいでしょうか」とお伺いをたてると、「まだまだ」。何度目かにお伺いを立てたところ、「まだまだ」と言いつつ履物をはき、塵ひとつなく清められた庭に木をゆすって葉を落とした、と。
椿の庭も利休の美意識により手間をかけて散らされたものかもしれません。
たった一人のお客のために・・・・。幸せな人ですね、そのお客は。
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大人には与えられない荷物でした。 (うしろの正面)
2008-04-10 13:29:44
蛙さん、私は蛙さんの椿の絵に触発されて、昔のことを思い出し、そして雑誌のこの記事を思い出したのです。

乙女椿、好きじゃないと言いつつ、記事のような思い出がありました。
素敵な荷物・・・・。
こんなものをくずれないようにそっと運ぶ、それがその時の私のお仕事だったのです。
なんという贅沢な仕事、時間。そしてなによりその「気持ち」です。
もう二度と私には与えられないでしょう。
大人になるって、素晴らしいことだけど、別の素晴らしいものを捨ててこなきゃならないのですね。

法然院に谷崎潤一郎も福田平八郎も眠っているんですか。
谷崎には八重桜が似合いそうな気がしていましたが、やぶ椿も案外良いかもしれません。
木陰で光を含んでいる滑らかな暗い赤、喜びそうです。
法然院、いつか行きたいです。ほんとに行くことになったらお知らせしますので、ポイントなどご指導下さいね。

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