池の中央で咲き誇る蓮もあれば、やっと日の当たるところで咲こうとする蓮もある。
画壇で名を得る人もいれば、描きたいように描き倒して、後世の人々に感銘をもたらす画家もいる。
若冲が生きている間の評価については知りませんが、若冲のように描くことだけを純粋に追求し、結果を残したのであれば誰に知られずとも幸せだと思います。
それにしても、絵というのはすごい。
それとも、あれほどまでに自分を表現し切った若冲がすごいのか。
絵という手段の力をも思い知った展覧会でした。
写真の力とは・・・?カメラという媒介を通して行う表現の限界を、つい考えてしまいました。若冲のように、とまでは行くはずもありませんが、精進すれば何か道が見えてくるでしょうか。今は想像もつきませんが。
そして、見る人それぞれの状態によっても、取り合わせによっても無限に変化するのだろうと思います。うかうかしていられません。
が、もともと鈍感な上、日頃は身すぎ世すぎにとらわれて更に目が濁って何も見えません。正に忙しいとは心を亡くすことだと思います。
ただ、写真を始めたおかげで、今まで見落としていたものが、ふと眼にとまるようになったのは有難いことだと思っております。
ああ、実はこのブログもあと半月ほどでやっと一周年を迎えることが出来るのです。
今ここに書いたお返事の内容は今の私の心境すべてであります。
この文を推敲して一周年の日にUPしようっと(笑)
永遠の蓮2点、拝見いたしました。
最近のものから順番に拝見していましたので、ここのページには至っておりませんでした。
この取り合わせ、素材・色合い・ひかりの加減、素晴らしい。
ガン!と頭を殴られたような気さえします。
このところ、頭を殴られっぱなしで、かなり幸せな気分ですが、これがとどめとなりました。詳しいことは、なおえむさんのところに書かせていただきます。
>本題の若冲をすっかり素通りしてしまいましてごめんなさい。これはあまりに美術的で・・・
いえいえ、ちょっとコーフンしておりまして、お恥ずかしい限りです。鑑賞する者として、初心者なので好きなように書けるのは幸いです。もう少し判ってきたら、怖くて書けないと思います。
ああ、いちばんやっちゃいけないようなああいうものがかくもうつくしいとはなんという不思議なことでしょう。この線だって蓮の描いた自在な茎の線に少しも負けてはおりません。改めて何処にでも美はひそんでいるのだという神秘に打たれます。いいものを見せて学ばせて下さって本当にありがとうございます。
黒いマットの釉薬の筒型で思いだしたのですが、これは釉薬じゃないですがまさに黒マットの筒型の花器に蓮を入れたことがあります。蓮とはいってもこういう生命感の溢れた蓮ではないんですけど、さらに永遠の蓮といいましょうか生死を越えた無の蓮といいましょうか。。。乱れて恥ずかしい出来ですけれどよろしければ御覧下さい。
本題の若冲をすっかり素通りしてしまいましてごめんなさい。これはあまりに美術的で・・・
静かな朝、この時この池の蓮は満開を迎えました。
やはり日当たりが悪いせいか、咲き遅れた花がいました。が、ささやかな光を求めて首を伸ばすその姿はけなげで、美しいと思いました。
>この世に突き刺した・・・
うう、いい言葉だなあ。蓮という植物には確かに緊張感がありますね。
なにか、浄土からこの世を叱責するためにやってきたお使いのようです。
うしろのしましま?
ほんとだ。藍で麻布にすっすっと線を入れたもののように思えますね。
なんだったろう?蓮池のまわりに並べられた杭だったのだと思いますが・・・。
レンズが見せてくれたマジックですね。
蓮を花器に挿すとしたら、最も相応しいものは何でしょう。
・・・黒いマットな釉薬のかかった筒型の花器なんていかがでしょう。
見れば見るほど、考えれば考えるほどに新しい熱の種が見つかります。
でも、第3弾はとりあえずやめておきます。(笑)
また鑑賞する機会に恵まれたら、その時にでも。
何故こんなに魅かれるか、私なりにも考えてみたのですが、
>すべてひたすら忠実に自己の内面に向かったところが未だに光彩を放っている理由ではないでしょうか。
うん!若冲の魅力は「バラ寿司」ですから複合的な要因があると思われますが、シャリにあたるものは、これですね!
ただ、これは実際にそれを形にするまでが茨の道ですねえ。
自己の内面から発せられるものは何か、まず、その何かが何であるか(何だ?この文)見つけるのが容易ではありません。見つからなければ向かうことも出来ない。
私なんて「私はなにをしたいのだろう?写真において?それともほんとに写真なのか?」
とあっちへ行ったり、立ち止ったり、こうして年をとってしまうのがオチです。
でも、それでも進まなければ、ね。
>僕も精進したいと思います。いっしょに励みましょう。
ううう、涙ちょちょ切れるなあ。
でも「いっしょに」は無理ですよ。
ずっと先から、手招きしてください。
風もない澱んだ水面に映る陽に照らされた浄土の華。
ぐぐぐっと水面からこの世に突き刺した葉っぱや花の何という生命感でしょう!
うしろのしましまは何でしょうか?
藍で染めたものにも見えてしまいますけれどそんなわけないですよね???
ものすごく好きです、こういうものを作りたいなぁ。
それとも、あれほどまでに自分を表現し切った若冲がすごいのか。
>写真の力とは・・・?カメラという媒介を通して行う表現の限界を、つい考えてしまいました。
写真の場所で僕も撮りました。うわあ、うしろの正面さんの熱は今日も続いていますよ。
それにしても若冲は当時としても「異端的表現」だったわけですが、すべてひたすら忠実に自己の内面に向かったところが未だに光彩を放っている理由ではないでしょうか。(当時も評価はそれなりに受けていたようです)
「若冲というのはバラ寿司に似ているな」とは「美味い」ことを言ったものだと感心しました。ははは。写真もやはりバラ寿司に料理したいところです。
鯉の絵を描きたければ頭の中に鯉が泳いでいなければならない。わけです。おそらく写真も絵も実は見えないものを見ていることに他ならないのではないでしょうか。
僕も精進したいと思います。いっしょに励みましょう。レポートご苦労様でした。
え?3弾があるって?