静かな死 2006-11-02 20:47:48 | Weblog 「お前、こんなところで・・・」思わずつぶやきました。でも、ぽかぽかと陽があたって、安らかです。 « 秋の陽 | トップ | 後の月 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 この世に未練たっぷりで・・・ (tarutaru) 2006-11-03 21:52:56 >静かな死 死場所としてはいいところを選びましたね。この蟷螂くんは・・・ぼくもいつかは。静かに死ねたらいいんですけどそうとう往生際が悪そうです。この世に未練たっぷりで・・・特に食い物の恨みとか。あはは。 返信する いろんな数値に縛られてますからねー。 (うしろの正面) 2006-11-04 15:29:38 tarutaruさん、我々も死ぬときは、日向ぼっこしてたらウトウトして、いつの間にかあちらへ・・・、と逝けたら幸せですね。・・・って、最低でも30年は早い話でしたね。いかん、いかん。>特に食い物の恨みとか。あはは。あはは、それなら罪がなくって良いですね。私もいろんなこと気にしながら食べてますんで、恨みが残るかもしんない。この頃、メタボリック症候群なんてこともよく聞くし、中年以降はなかなか存分にはいただけません。 返信する 安らかに突っ伏して… (なおえむ) 2006-11-05 18:14:46 もしもお寺の石段でこんなふうにふと力を無くして人が死んでいたら、これは騒ぎ立てたりしないでそのままそっとしておいてあげようか、などというような気になりそうです。現代では誰だって木喰明満仙人みたいにイヌかカラスの餌食なりけり、というふうに厳かにはなかなかゆきそうもないですからね。 返信する 現代の日本では成し得ないですね。 (うしろの正面) 2006-11-06 12:24:15 なおえむさん、>もしもお寺の石段でこんなふうにふと力を無くして人が死んでいたら、これは騒ぎ立てたりしないでそのままそっとしておいてあげようか、などというような気になりそうです。 そうですね。静かに、還って行く人を見送る、という気持ちになりそうです。インドのベナレスには一度行ってみたいなあと思っているのですが、あの街には静かに最期の時を迎えようと貧しい人がやって来ると聞きます。やっと、街に辿り着き、道端で最期を迎えようとも、それは「行き倒れ」という名前には相応しくない姿に思えます。聖なるガンガーに最も近い場所で命がなくなるということは彼らにとってはこの上ない喜びなのかもしれません。この、鎌をお行儀良くたたんでいるさまが、なんとも哀れに思えてならないのですが、それは人間の、そして他人の感傷ですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
死場所としてはいいところを選びましたね。
この蟷螂くんは・・・
ぼくもいつかは。静かに死ねたらいいんですけど
そうとう往生際が悪そうです。
この世に未練たっぷりで・・・
特に食い物の恨みとか。あはは。
・・・って、最低でも30年は早い話でしたね。いかん、いかん。
>特に食い物の恨みとか。あはは。
あはは、それなら罪がなくって良いですね。
私もいろんなこと気にしながら食べてますんで、恨みが残るかもしんない。
この頃、メタボリック症候群なんてこともよく聞くし、中年以降はなかなか存分にはいただけません。
現代では誰だって木喰明満仙人みたいにイヌかカラスの餌食なりけり、というふうに厳かにはなかなかゆきそうもないですからね。
>もしもお寺の石段でこんなふうにふと力を無くして人が死んでいたら、これは騒ぎ立てたりしないでそのままそっとしておいてあげようか、などというような気になりそうです。
そうですね。静かに、還って行く人を見送る、という気持ちになりそうです。
インドのベナレスには一度行ってみたいなあと思っているのですが、あの街には静かに最期の時を迎えようと貧しい人がやって来ると聞きます。
やっと、街に辿り着き、道端で最期を迎えようとも、それは「行き倒れ」という名前には相応しくない姿に思えます。聖なるガンガーに最も近い場所で命がなくなるということは彼らにとってはこの上ない喜びなのかもしれません。
この、鎌をお行儀良くたたんでいるさまが、なんとも哀れに思えてならないのですが、それは人間の、そして他人の感傷ですね。