ロートレックを見て来ました。
パリの一番良い時代に連れて行ってくれるかのようなロートレックの絵。
1枚ポスターが貼ってあるだけで、華やかな空気が漂い、ざわめきさえ聞こえてくるようです。
実はわたしが初めて行った本格的な展覧会はロートレックでした。
もちろん、自分の意思で行ったのではなく、「担任の先生が是非みておくと良いでしょうと言ってたよ」と家で話したら祖母がそれじゃあ連れて行くか、ということになったのです。
行ったのは、冷たい雪の降る日曜日でした。
何故悪天候をおして出かけたかというと、多分最終日だったから、ではないかと思います。
国立西洋美術館に着くと祖母は「私は下で待っているから見てらっしゃい。」と、私を送り出しました。
今から考えると、小学生でよく一人で見てまわったと思います。
見てどれほどのことが判ったのか。
でも、ロートレックの絵はなんだか寂しいという印象をずっと抱いているので、それがその時の感想だったのでしょう。
華やかな場所の裏にある、悲しさ。
今回はそれを大人の目で見て、再確認しました。
あの日のことで断片的に覚えていることがもうひとつあります。
絵を見ている私のうしろで、カップルが、
「あの、女へんに帽子の右側の字(昌)に婦って書いて何て読むの?」
「さあ・・・?」と言ったこと。
そういえばたくさんそんな題の絵があるけど、なんて字なんだろう、と思いました。
その時見ていたのは娼婦をモデルにした絵に違いないのですが、絵のほうはちっとも覚えていなくて、そんな他人の会話をはっきり覚えているとは。
そんな字は読めないほうが幸せです。
娼婦や、サーカスの芸人や、踊り子。
ロートレックの、彼らに対する愛、堪能しました。
赤毛の女。身づくろい。
なんだか、さばさばとして強さを感じさせるその後ろ姿。
ちょっと救われた、なんて思うのは現代の一介の主婦の感傷かもしれません。
身に余るお褒めをいただき、痛み入ります。
絵を鑑賞するなんて子どものわたしにとっては晴れがましいことだったので、断片的にですが記憶に残っていたのでしょう。
肝心の絵の鑑賞より漢字のことが頭に残っているのは、多分当時の私にとっては漢字の読み書きのほうが身近なことだったからかもしれません。
娼、この字は悲しみを伴いますね。
「絵描きにとって、作品は人生を覗く窓だ」というフレーズを思い出しました。
ロートレックの短い人生と、華やかな社交、娼婦との生活。
とても、興味を持って見てきました。
良い展覧会でしたよね。
作家の人生が見えてくる展覧会は、何かとても刺激的で、興味がもてます。
本来の鑑賞方法ではないとは分かっていても。
所詮、素人ですから。
>「絵描きにとって、作品は人生を覗く窓だ」
・・・・ああ、深い言葉ですね。
そして見る側からは、作品は画家の人生を覗く窓です。
やはり、画家の生き方、人生は鑑賞の目に影響を与えますよね。
私、ロートレックが晩年、飲酒と体の病気から精神を病んだと初めて知りました。
身体を病むのはもちろん辛いですが、それでも何か面白いことがあれば、少し気が紛れます。
精神を病むというのはそういうことで気が紛れなくなった状態で、寝ても覚めてもつらいのではないか。
それでも絵を描くというのは、それが彼の生きるよすがになっていたのだろうかと思います。
絵も素晴らしかったけど、ロートレックその人も、とても好きになりました。
良い展覧会でした。
この次はいつまた会えるか判りませんが、どんな風にロートレックを見るか、自分が楽しみです。
映画「葡萄酒色の人生ロートレック」をだいぶ前に見ました。お奨めです。絵はbunnkamuraでかなりまえに。版画だけだったかも知れません。
「華やかな場所の裏にある、悲しさ。今回はそれを大人の目で見て、再確認しました」 時間をおいて、違うものを感じ取れる、年を重ねてなんとすてき!
守一もロートレックも作家自身が一級の芸術品、今はそう思えます。 深い人生があるのですね。 少しずつ解りかけています。
なんか、昔のことを語りだすなんて、ちょっと老化なんでしょうか。(笑)
娼婦のしょの字も知らなかったあの頃、ロートレックの絵を見て1枚1枚何を感じたか、タイムマシンがあったらその時の自分に聞いてみたいものです。
ちょっと見、美しいもの、かわいいものが好きな年頃ですから、ロートレックは好きになれなかったはず、と思うのですが、なにしろそこが記憶から抜けてしまっているので・・・。
ロートレックの気持ちが少しでもわかった気がするのは年をとったから、ですね。
そういうご褒美があるから、年をとることは素晴らしいとも思えます。
守一の絵は難解で、好きだけど、ただ好き嫌いではちょっと物足りない、どうすればいいの、と思っていましたが、蛙さんの文を読み、天から一本の糸が降りてきたような・・・・。
今度、作品を見るのが楽しみです。
私も、小さい頃に連れて行かれた展覧会はよく覚えてます。その日にパフェを食べさせてもらった事とか。
ロートレックの絵がいつまでも人の心を揺らすのは、パリの華やかさを支える人々の、決して華やかなことばかりではないだろう日常が、一緒に描かれているからでしょうか。
ロートレックには特別な想い出があります。
95年の震災の10日後くらいだったか、しばらく高校に通えなくなったまま、家で震えて過ごしていたのですが、そんな私をみるにみかねた母が、ムリヤリ連れ出した先が、大阪で開催されていたロートレック展でした。
ロートレックの絵に描かれているのは、華やかな部分ばかりではない、と気づいたのがその時です。
人の生き様とか、生活とか、社会とか、いろんなものが、その絵を支えていることが分かって、すごく勇気をもらったのでした。久々に観たいなあ。
私、ロートレックの後、多分高校で進路決定(コース選択)するまでは自分で展覧会を見に行ってないのです。ギャッ!
それから後は必要に迫られて行くようになりましたが・・・。
だから、子どもの頃親が連れて行ってくれたというのは、実に恵まれた環境にいらしたと思います。
絵でも本でもそうですが、経験したことにより目が開いたり、反対に見えなくなったりして、それぞれの年代で感じ方が違うと思うので、チャンスを逃さないことが大切ですよね。
阪神淡路大震災については、毎年の祈念日、ろうそくの光の映る瞳を見るにつけ、ああ、この方もどんなにかつらい体験をされたのだろう、それでもこうして生きているというのは素晴らしいと思っていらっしゃるだろうか、そうあって欲しいと願っております。
他人のつらさは同じ体験をしないと本当はわからないけど、他人のつらさを想像できる力を養うことは必要です。
お母さんは「今がその時」と思われたのでしょうか。
そして、つらさを乗り越えたところに素晴らしさがあることを、今なら感じられると思われたのでしょうか。
ロートレックもこんなに離れた時間と空間の彼方で、知らない女の子が再び勇気を持って生きるきっかけを作ったとは思わなかったでしょう。
人間って、素晴らしいですね。
そしてまた、この話に感動しているオバサンが東京にいます。素晴らしい。