阿佐ヶ谷住宅にあるギャラリーはTOTANGARELLYといいます。
HPによりますと、「プロジェクトそのものが1つのインスタレーションである」とのことです。
若いコたちはほんとに行動するね!!おばさんは感激。
TOTANGARELLY http://www.totan-gallery.com/
さて、初めて足を踏み入れる阿佐ヶ谷住宅の中・・・、
でた。いきなり階段室です。
ヨダレがでそうです。
居室と踊り場の上の隙間が泣かせる。
階段は急です。天井高が低いのにこの急な階段。プランの都合で仕方がなかったんでしょう。
さて、おそるおそる展示室の引き戸を開けると・・・、
そこは無限の、異次元の、ジャングルでした。
写真は撮って良いけれど、何かに出すならこの展示が終わってからにして下さい(それにしても太っ腹!)とのことなので、今は出しません。でも、HPで見られます。(上記HPの定点観測の項)
なので、こちらの写真と印象についてはまた後日。
さて、先ほど砂場でお会いしたうつくしげなる男性が帰ってきました。
彼は、フタボンコというユニットを組んでいて活動をしていらっしゃいます。
自己紹介で、最近の活動を教えていただきました。
http://documents.ycam.jp/omoide/
彼らはアートな機会を創造するデイレクターなのでしょうか。
アートというのは最初から最後まで自分の手で、という古く硬い発想に囚われている私は眼からウロコの落ちまくりです。(涙)
自分の作品に他人の手を加えてもらう・・・、なんとなく私はあの有名なジョン・レノンとオノ・ヨーコの出会いの逸話を思い出していました。
カレンダー、良い発想です。身近な人だけが撮れる、素直な表情がきっと見られると思います。買います。
民家らしく気取りのないのがよいですね。
しばらくだまって拝見します(笑)
中は日本的、昭和30年代の日本です。
シンプルでコンパクト、私はこんなサイズが好きです。
>しばらくだまって拝見します(笑)
あっ、そんなにたくさん記事はありませんよ。(笑)
メインの展示は2月18日で終わるので、約束を守ってそれ以降、記事をUPしますが。
インスタレーションの展覧会というのはその素晴らしさを伝えるのが難しいですね。
「場所性と終わりを考える」
「ヒトとヒト、時間の重なりを実体化する」
言葉の表している意味や関係者の思いがひしひしと伝わってくるようです。ちょっとさびしいなあ。
人様の財産にかかわることですから、口出しは出来ないし・・・。
経済が優先されるということの残酷さを目の当たりにしたような気がします。
でも、なんらかの有形、無形の思い出と、「思い出」という言葉で括れない「何か」を残そうとしている若いアーティストたちがいることを知ったのは喜びでした。
ものの命の長さを決めるのは人間。
その責任をもっと真剣に考える必要がありそうです。