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モラルハラスメント・ブログ

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依存されることに依存する心理

2007年05月10日 22時32分39秒 | 日記
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自己評価の低い私は、自己評価の低さ故に、
多くの過ちを繰り返してきた。
他人に謙遜しすぎて、気分を害する思いをさせたこともあるし、
他人の気持ちばかり考えて先回りして、空回りしたり裏切られたりしたこともある。
自分の望む自分ではなく、相手の望む自分を演じるのだから、
本音で付き合いたい人にとって私は奇異に写っただろうから
自然と遠ざけられることもあったのではないかと思う。

自分は、他の人のように、堂々と生きてはいけない。
思ったことを言ったり、やりたいようにやってはいけない。
自分は他人より少し下の人間だから、そういう人たちと同じではない。
いつからそんな風に自分を卑下するようになったのかわからないが、
そういう間違った認識が自分の中にはびこっていた。

間違った認識のもと、私は、
普通の女性が結婚を望むように、
自分はそういう幸せを望むべきではないと思っていた。
なんせ自分は見た目も中身も普通以下なんだから、
普通の女の子よりも相手を立てたり自分を殺したりして
夫になる相手には尽くし特別サービスをしなきゃいけない。
いつからどこからそういう認識を持ったのか定かではないが、
多分物心ついた頃から「普通以下」という変な劣等感を
母親は私に植え付けていたのだろう。
離婚して自分と向き合うまでそんなことにも気づかなかったが、
思えば結婚する前から私は、奴隷の素質満点で、
王様になりたかった夫はそんな私を選んだのだろう。

「普通以下」と思い込んでいる、
そんな私だから、職場や友人関係の間で、
誰かに頼られたり相談されたり、
特別に扱われたりすると嬉しくてたまらなかった。
元夫は私を特別に扱ったし、後輩故に私を大先輩と立てて、
とても頼りにしてくれた。
私はそれが嬉しかったのだろう。
また、「結婚願望」が突然に浮上したときに、そのタイミングに、
元夫が突然現れたというのも電撃結婚をした理由だと思う。

結婚は、結婚生活は、
自分の望んだものではなかった。
普通に結婚して、普通以上に努力すれば、
絶対に幸せが手のひらに転がり込んでくると、
一度も結婚したことがないくせに私は変な自信を持っていた。
自分に自信はないくせに、
自分を切り売りすれば絶対に幸せになれるに決まっていると、
なぜかそういう自信に満ち溢れていた。
けれど普通以上に努力しても、どんなに頑張っても、
全然幸せにはなれなかった。
頑張れば頑張るほど良くなるに決まっていると思ったが、
頑張っても頑張っても何も変わらないどころか悪くなる一方だった。
それでも私は意地になって、これでもかこれでもかと頑張ったが、
夫はそれに被せるように意地になって、
そんなことで認めてやるかとでも言わんばかりに
ますます私を軽んじたし、疎んじた。

今思えば夫は何でも譲り何でも言うことを聞く私に甘え、
両親に甘え依存しているのと同じように私に依存したのだと思う。
そして私は、
夫に依存されることに依存していた。
自己評価の低い人が陥りがちな罠に、
私もすっぽりとはまり込んで、
身動きが取れなくなっていた。

依存したりされたり、
人間関係の上で、そういう立場関係を絶対に築かない人が居る。
そういう人は大人になれば何もなければ一人で立っているのが当然で、
日常的にもしくは過度に人に寄りかかろうとする人はよっぽど幼いか、
甘ったれた人間だと判断し、
そういう大人に成りきれて居ない人とは付き合えないと考え、
自然と距離を置くという。
知れば知るほど、それは自分とは別世界の話ではあるが、
「正常」な人はそういう距離感を持ち合わせているらしかった。

正常ではなく「普通以下」の私は、
(何度も聞くと不快な表現だろうが敢えて使う)
夫との人間関係の中で、あれもこれも私の責任にされたときに、
「ここからここまでは私の責任だけれど、
それはあなたの責任だから、私の責任にされたら堪らない。」
と言えなかったし思えなかった。
だから離れなかったし、距離を置くという選択肢すら思い浮かばず、
夫の甘え=依存を受け入れ、許し、譲り続けた。

夫にもいいところがある、私にもいいところがある。
同じようにお互いに悪いところもある。
人という字のようにお互い支えあって許しあうのが夫婦。
普通の夫婦ならそうなのだろうが、
私と夫は、人という字が大きく傾き、
私は懸命にふらふらになりながら夫を支え、
夫はのうのうと威張ってその上で涼しい顔をしているという
アンバランスな人という字を作っていた。
そして、夫は依存を当然のこととして私に押し付けてきて、
私は依存されることに依存していた。

依存されることに依存したい人は
本当は甘えたい人なんだと思う。
自分が愛され、赦され、受け入れられたい。
全部ありのままで、許してほしい。
だから相手に同じことをして、そうされたいと心から願う。
先に依存させることで、自分が依存する順番を待つ。
最初から一人で立とうと思っていないから、
支えてもらおうという甘えがあるから、
相手に先に寄りかからせようとする。
そして自分がいつか愛され、受け入れられる瞬間を
何年もかけて何年も相手を支え、
理不尽な依存を受け入れ続けながら待ち続けるのだ。

けれど、依存している相手は、甘えているほうは、
それが当たり前の役割分担だと思っているから、
人に負担を掛けて、自分は手ぶらでも重い荷物を持たせて当たり前と
思っているから、どこまで行っても甘えさせてはくれない。
他人から、たとえ
「奥さんばかり我慢している」と言われたとしても、
「いやあ、あいつは俺のために我慢するのが好きだから」と本気で思っている。
ずっと我慢しているのだから、
たまには甘えてもいいでしょうと媚びても、
何を馬鹿なことを言っているのかと一蹴されるか、無視されるかがオチである。
そして依存されることに依存している人は、
思うものが得られず、頭ではその依存から離れたいと願うようになるが、
心の奥底では自分もその人間関係に依存しているので、
なかなか離れられない。
寄りかかられることにある意味快感を覚え、
そこに自己のアイデンティティを覚え、
私しかできないという使命感すら持っている場合すらあるから性質が悪い。
その人間関係は正しくないと言われてもわからない人も居るし、
自分で自分に「つらいけど離れられない」とマインドコントロールを掛けている人もいる。
そして小さな小さな一縷の望みに掛ける。
もしかしたらいつか届くかもしれないと、叶わぬ夢を描く。

もともと、
「ただ依存したい男」と
「依存されることに依存しているが、本当は依存したい女」が一緒になって、
うまくいくわけがない。
けれど、「結婚」という魅力的な、
輝く宝石のような言葉の前で女はあまりにも無力で、
恋している時にはあらゆる意味で盲目で判断能力に欠けるので、
そういうことに気付かないのだろうと思う。
自己否定の強い私は、夫のプロポーズを受け、
相手の気が変わらないうちに結婚しようと思ったし、
他の被害者の方でも、
「結婚してくれるって言ってくれるんだったら誰でもよかった」と
言っている人が居た。
うまくいくはずのない結婚生活を、いくら続けても、
頑張っても努力し続けても、自分を変えても相手を変えようとしても、
やっぱりうまくいかないのだと思う。
自分が依存されることに依存するのを止めて、
一人で立っていられる人になるしかない。
年相応の大人になって、ひとりで居ることが怖くなくなって初めて、
堂々と誰かを愛せるのではないかと思う。

「愛とは相手の幸せを願うこと」と誰かが書いていた。
愛とは自分の幸せを願うことではなく、
相手が自分の幸せを願っていなければそれは愛ではない。
夫は何度も私に愛していると言ったが、
私の幸せを願ってはいなかった。
何度も「愛している」という言葉を振りかけておけば勝手に
自分を幸せにしてくれる女だと見下されていたのだろう。
愛とは、自分が自分一人で立っていられて初めて、
誰かを幸せにすると思ったり言えたりするのではないかと思う。
小学生や中学生が愛している、幸せにすると言った所で
その言葉が上滑りなのと同じように、
依存したりされたり、一人で立っていられない人間が、
相手の幸せを純粋に願えるわけがない。
一人で立っていられない人の「愛している」は、
「その愛に依存させてくれ」に他ならないと思う。

何が原因でこうも認識が狂ってしまったのかと思う。
夫は自分を過大評価しすぎて、満たされない人生を送っていたし
私は自分を過小評価しすぎて、空回りの多い人生を送っていた。
つまりは、最初から自分を自分のありのまま認められて、
等身大の自分を愛することができていたなら、
こういうことにはならなかったのではないか。
もし、等身大の自分を受け入れ、ありのままに愛することができていたら、
その正しい自己愛の上に正しい自信を身につけ、積み重ね、
ずっと堂々と生きられたことだろうと思う。
そうして堂々と甘えず寄りかからず、依存と関係ないところで生きていれば、
依存しようとする人や依存されようとする人とは無縁のところで
幸せを築くことができたのかもしれない。

今も夫や母親に依存され、父親に依存され、
もしくは自分が依存されることに依存し、
そのことによって縛られ、蝕まれ、
何が正しいのかわからなくなり、苦しんでいる人が沢山いる。
誰に対しても間違いなく「とりあえず離れて!」と申し上げている。

人間関係に迷い、つまづいたとき、
相手に依存はないか、自分に依存はないか見つめ直すと、
また違う視点が生まれるかも知れない。
年齢は大人なのにいまだに「ただ依存したいだけの男」が、
突然大人の男性に生まれ変わって人を愛せるようにはならない。
自分はもう大人なのにいつまでも娘に関わり、影響を与えようとし、
依存させようと手をこまねいているような母親には
冷たいと思われようがなんだろうが距離を置いた方がいい。

自分の中に「寄りかかりたい」という強い欲求を持っている女性には
いつまでたっても他力本願的な幸せしか用意されておらず、
他力本願であるが故に100パーセント満たされた幸せは訪れない。
私を幸せにするのは、「誰か」ではなく「自分」なのだと知った瞬間に
すっと楽になる人も居るのではないかと思う。
なぜなら自分にできることには限りがあって、
その範疇で幸せについてたな卸しして、整理できるようになるから、
過度に期待することもなく、失望することもないからである。
他人に望むから、裏切られるし、傷つくのではないかと思う。

大人になって、一人立ちしてまだ2年にも満たない私だが
最近になって特にそういうことを思う。
今の私は自分らしく、等身大の自分を愛し、許し、一人で立っている女性で居たいと
心から思っている。
その上で見返りを求めることなく、寄りかかることなく、
今の夫と、子供たちを強く愛していたいと思う。
二度と、依存されることに依存するような、満たされない人生は送りたくないと
心から思う。


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29 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (よしえ)
2007-05-11 00:01:58
去年からずっと読ませてもらってます。

今日のブログを読んで、なんかあたしも、依存されることに依存してるのかなぁって思ってしまいました。今、あたしにはサイトで知り合って何度かデートしてる相手がいます。その人は、あたしのことが大好きだと。けっこう色々言うことを聞いてくれる人で…でも、あたしはまだそこまで気持ちは強くナイんです。でも、言い寄ってくれることは嬉しくて。きっと何しても許してくれるんだろうなって……

こういうのって依存されることに依存してるって言いませんか?

そう思うとちょっと自分がイヤになりました。

あたしも自己評価の低い人なので、以前のまっち~さんと似てる部分があるかもです。

長くなってスミマセン。これからもブログ読ませてもらいます!
返信する
Unknown (ある)
2007-05-11 00:02:45
いまの気分はこれでしょうか。

『不安のしずめ方』 
人生に疲れきる前に読む心理学   加藤諦三



返信する
Unknown (ある)
2007-05-11 00:09:37
わかりにくかったですね。

心の奥底にある依存心について“気づき”と“対処”について書かれています。
返信する
Unknown (あやや)
2007-05-11 04:41:55
今回の記事を拝見して、数年前に知人がくれたカードに書かれたある「言葉」を思い出しました。

『おとなになるっていいな。 
 何でも 好きなことができる。』

もらったときは、「ふーん?」という感想でした。
いまになってやっと「ああ、これは”自分”を持っている人の言葉だ。」と分かりました。

子どもが最近、「ママが一番好き!」と、嬉しいことをよく言ってくれますが、私はちょっと考えて、娘にこう言いました。
「ありがとう。でも一番は”○○ちゃん(娘)”にしないとだめよ。だって、○○ちゃんがまず居ないと、ママのことを好きになれないもの。」と。
すると娘は「そうか~。じゃあ、一番は○○ちゃん!」と答えてくれました。

まだ小さいので、本当の意味?が分かるかですが、「自分を大切にね。」という気持ちを持って欲しいと思いながら子育てしてます。
(今までの自分を振り返りながら。)

こう、思えるようになったのも、まっち~さんからの数々のメッセージのおかげと思っています。
いつも、ありがとうございます。

それにしても・・・親の責任って、本当に重いですね。その子どもの人生を左右してしまうのですから。
最近、しみじみと感じます。

返信する
お疲れ様でした (なかこ)
2007-05-11 09:52:01
はじめまして。

始めてコメントさせていただきます。

まっち~さんのブログによって、自分の心が麻痺しないよう守ることの大切さに、限界まで我慢しないように周りに相談することの重要さを教えていただけました。

私事で恐縮ですが、離婚時には日記の存在が有効的と聞きます。当方はすぐに離婚を考えている訳ではありませんが、精神安定剤替わりに日記を付けようと考えてます。その場合、夫に特化したものが良いのか、日常的なものの方が良いのかご教授頂けましたら幸いです。

これからも、負担にならない程度に更新をしてくださいね。
返信する
はじめまして。 (モイラ)
2007-05-11 13:13:27
いつも拝見しております。
本日の文章の冒頭は、少しグサッときました…。数年前に大喧嘩して別れた親友と、こんな感じでした。私は、後者の「本音でつき合いたい」人間です。彼女の先回りした「思いやり」にうんざりしたんです。本人は相手を喜ばせたい一心なのだろうけど、我慢しているのが透けて見えるし、そもそもその「思いやり」が的外れな場合、ただの傲慢な自己満足ではないでしょうか?しかも「善意」と名がついている以上、抗議したら即こちらが悪者です。

自己評価の低さも含め、彼女はまっちーさんとよく似ている気がします。彼女も、「せっかく思いやりを示したのに裏切られた」と思っているのでしょうか。ならば、私は彼女にとってひたすら暴君の「モラ友」だったのでしょうか。加害者としての自分を今まで考えたくなかったのですが、やはり私が悪いということになるんでしょうね…。

ブログのテーマとずれた感想でしたら、申し訳ありません。
返信する
はじめましてです (とむ)
2007-05-11 18:47:59
まっちーさん、ブログ読ませてもらって3ヶ月になります。私事ですが、昨年8月に×①2人の子持ちと挙式し、10月に心身ともに疲弊して実家に帰ってきました。たった2ヶ月でしたが、まっちーさんの7年の結婚生活でのご苦労が手にとるように分かり、涙涙で読ませて頂いています。
二人の子供はモラ夫により、すっかりモラ子です。悲しい限りです。
私の場合は、一方的に離婚をつきつけられました。
弁護士を立てて交渉を始めましたが、埒があかず、現在、調停申し立てをしようか悩んでいます。
人に頼ってはいけない、と思いつつも、我慢できずにすがる思いでまっちーさんのブログに投稿してみようと思いたちました。
どなたか、モラとの離婚が決まってから調停された方をご存知ないでしょうか?
突然勝手な申し出で恐縮ですが、もしご存知でしたらご紹介いただけないでしょうか?

返信する
追伸です (とむ)
2007-05-11 18:50:19
もっと早くにこのブログの存在を知ることができたらよかった・・・泣。
返信する
とむさん、遅くないです! (うお座)
2007-05-11 19:24:39
私も今調停から裁判中ですが、結構長くかかっていますが、やまない雨はないですから!とむさんも、あせらずに、心身の回復をはかってくださいね。
 まっち~さんの書いてるの切実にわかります。
自己評価が低い私も、こんな私を選んでくれる人はいないだろうと、結婚していうこと聞いてきました・・。
 おそかりながら、私もやっと旦那に対し距離を置いて「あんたの尻拭いはしないっ」という態度が取れるようになって来ました。だいぶ、すっきりして楽になってきました。
いまは「自分はありのままで存在する価値がある」という言葉を胸に、自分を建て直し中です。
返信する
ありがとうございます (とむ)
2007-05-11 20:13:08
うお座さん、ありがとうございます!
初めてブログのコメント欄に投稿したものですから、あれ、こうしてここに投稿してよかったんだっけ?と思ってたらうお座さんから励ましの言葉を頂いて・・・。
ほんとにありがとうございます。
まっちーさん、すみませーん、今回の記事に関しての内容ではなかったのに。
でも、私は以前のまっちーさんに似ているかも・・・とこれまでの記事を読んでいてずっと感じていました。
そして、大きなお子ちゃま、旦那が私に甘えていたんだ、という事が、脱出後にようやく分かりました。また、私も依存する彼に依存していたことに気づきました。
自分を見つめ直すのは、なかなか難しい作業ですが、自分の幸せは自分でしか作れない、ということを、今、ひしひしと感じています。
うお座さんの、「自分はありのままで存在する価値がある」、この言葉を私もしっかり胸に刻みたいと思います。
ありがとうございます。

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