日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

9班羽佐田恭正氏、89歳で1月19日逝去

2024年02月07日 | 社会

氏とは家とバス停を結ぶ道が同じなのでこの道でよく会い、歩きながらおしゃべりをやってきました。最近も会い、元気におしゃべりをしたと思っていたのに予想外の報に驚きました。急逝でした。本人の希望で家族は家族葬で葬ったそうです。日限山いぶき会が訃報を流したのは死後1週間ぐらい後でした。

氏は会社を退社した後、会社が所属する企業グループの退職者ボランティア組織に参加し、ボランティア活動をやってこられました。

やがて町のボランティア活動に行動が集約してきて、日限山いぶき会(老人会)に所属し、色々な活動で活躍されました。その際、自分の企業グループの退職者ボランティア組織がやっていたことで、日限山4丁目に応用可能な活動は躊躇することなく日限山4丁目に持ち込みました。これは有効な手法で、現在もその活動はいくつか活きています。

奥さんをなくされた後も、体力が弱くなった後も、気持ち元気を失うことなく、ちょっと無理をしている感じでしたが、町のボランティア活動を続けておられました。たとえば町の北辺沿いの大通りの歩道の植栽の草取り(ハマロード活動)はかなりの重労働ですが、頑張って出ていました。ボランティア不足になりやすい町の仕事にあえて出るボランティア精神を持っていました。

次から次へと、50年前に誕生した新町日限山4丁目を支えてきた第1世代が消えていきます。淋しく思いますが、氏は、成就感をもって生を終えたと思います。

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能登半島地震被害を見るにつけ日限山4丁目(西洗自治会)の防災が心配

2024年02月07日 | 社会

1995年の阪神淡路大震災で横浜市は地域防災拠点運営、家庭防災員制度、防災ライセンス制度、救命講習の拡充に注力しました。

2011年の東北太平洋沖地震被害で、気が緩んでいた横浜市の防災活動に活が入り、地域防災について見直しが始まりました。しかし、市は明確な方針を出せないまま、現実的な対策として各自治会の防災活動強化の動きが出て、消防署などは自治会支援体制を強化しました。

西洗自治会は、当時、先駆的に自治会の防災活動、具体的には初期消火、救出訓練に力を入れていた日限山3丁目の港南プラザ自治会から刺激を受け、また学びながら、消火栓を使った初期消火機能を強化すべく、初期消火設備の設置、住民訓練組織としての西洗火消しの会の拡充と、継続的住民訓練の実行に注力し続け、手厚い上永谷消防出張所、港南消防署等の支援を受けて来ました。7基ある初期消火設備のうち1基は無料で、1基は補助金で設置しました。年に2回も放水訓練を実行し続けることができました。訓練用家庭用消火器は毎月1回上永谷消防出張所にあるものをすべて西洗自治会が借り続けていると言ってもいいと思います。

西洗自治会は、町の防災は家庭から、また近所からの考えで近所の助け合いを重視しています。災害時助け合い地図は、班の区割りではなく、道路を挟んで向かい合った家々(近所)の協力を重視して区割りしたもので、これは日限山1・2丁目の日限山自治会が先駆的に始めた防災的区割りに学んだものです。

2018年から、西洗自治会にちょっと変調が生じ、役員会重視、班重視といった原理原則論が強くなり、地域防災拠点運営でも、自治会防災でも家庭防災員の起用がなくなるなど、町の防災(共助)に不安が出てきました。

20240101の能登半島地震の恐るべき被害を見て、西洗自治会の防災活動に活が入ることを祈ります。日限山4丁目は地震被害は小さいだろうとの予測は、非現実です。地震被害を受けた人は、こんな被害は初めてだと一様に言います。自分の町は安心安全と思いたい気持ちが普段の防災意識を麻痺させているという現実があります。

地震で起こりやすい大火災は、重要な研究課題の一つです。根幹的課題です。てんぷら、灯油ストーブ、プロパンガス応用機器、電気ストーブ、配線などの電気設備機器、タバコなどの火種の不始末などです。政治家田中真紀子氏の豪邸800㎡が燃え落ちたのはお線香2本が原因だったとの説があります。お線香だって地震で可燃物と接触すれば大火の原因になります。

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6日(火)朝、4cmぐらいの積雪が残った

2024年02月06日 | 社会

日限山4丁目は、昨日午後から雪になり、今朝はやんでいました。積雪は4cmぐらいでした。気温が零度になることがなかったので融解が進んでいます。

今日は気温が上がりませんが、7日以降は日中10℃ぐらいまで上がる日が続くようです。したがって道路の雪は放置しておいた方が消滅が早いのではないかと思います。今日除雪して雪を道路の脇に積みあげると雪の消滅が遅れます。

町は高齢化がひどく、道路や歩道全面の除雪は困難です。道路や歩道は、雪のない歩きやすい細い道を設ける程度でいいのではないでしょうか。

なお、8日(木)早朝、0℃になるとの予報です。7日までに消えてくれればいいが、道路や歩道に雪が残っていると、雪のない面でも凍結している恐れがあります。転倒に気をつけましょう。

今はないが、昔は私は体力があり、日限山小学校まで、通学路となっていた歩道の中央部の除雪を行なっていました。まず家の前の道路の除雪を行なってから、小学校の方へ行ったので、すでに歩道の中央部は雪が踏み固められ、氷の板をはがすような重労働でした。厚めの鉄製の小さめの角スコップでないとはがす作業はできず、この作業に参加してくれたお母さん方、老人などは少数でした。

今朝は、氷の板になっていません。歩道に細い道をつけることはプラスチック製、アルミ製、薄めの鉄製角スコップでできるでしょう。今朝は小学生の保護者や学援隊が数人ですが除雪に出ました。

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七尾湾で1人でも海に出る33歳の女性水産会社社長

2024年02月05日 | 社会

七尾湾で能登牡蠣養殖をやっている会社の若い女性社長ですが、従業員は被災して会社に来れません。社長はまずは養殖施設(生産)を守ろうと思い、1人でも船を出し、修理を始めました。それを見て、一人では漁に出れないでいた近所の漁師たちが彼女のところに行って協力を申し出ました。

彼女は、未来はわからない、収獲出荷はまだこれから検討しなければならない、今はまず養殖施設を守っている実情を説明し、協力を受け入れています。

彼女は養殖施設修理の見通しをえると、すぐ出荷の道を探し、見つけるでしょう。1人でも企画実行する人に道は開かれるとはこのことだと思います。

海底が露出した港を見て、漁に出ることはできないと思うと漁に出るチャンスは来ないでしょう。何とか露出した海底の上にある漁船を海に引きずり降ろし、一人でも漁船漁業に出ようと思う元気漁師が現われれば、周りの、できないと思い、やらない漁師たちも協力に回るでしょう。

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倒れても立ち上がる不屈の精神

2024年02月05日 | 社会

能登半島珠洲市は地震の被害を受け、住民は避難所で生活していますが、金沢市、加賀市などで避難生活している若い人が、町復興を夢見、有志が集まって被災地に行き、崩壊した神社から、破壊を免れたお祭りに使う切子灯篭(能登特有の大型切子灯籠)などを探しだし、保管可能な倉庫に移したそうです。

若い人たちは、町の復興のためには町の人々の団結が必要、お祭りは団結に必要、先ずはお祭りの切子灯籠を保存し、復興の希望にしょうと思ったそうです。

切子灯籠は浄土真宗特有の明かりと思っていたが、能登では大型化し、神社のお祭りにも使われているそうです。

能登半島北端は、電車も通っていない、人も住んでいない辺鄙な地ではないかと思っていたが、ちゃんと人々が住んでいて、営々と町づくりの努力を続け、小村から村へ、町へ、そして今では小市へ発展して来ました。今回地震で立ち上がれないほど叩かれてしまったが、不屈の精神で復興が始まる気配を感じます。

地震は本当にこわいと思います。それにもまして人の生きる力はすごいですね。町づくりは人々を元気にしますね。

横浜の産業は労働サービスと言われています。つまり横浜に住んでいる人は、東京などに働きに出て、労働を売り、横浜に帰って寝ています。日本で一番住みやすい都市はと人々に聞くと横浜との返事が返ってきます。喜ぶべきことか、悲しむべきことか、複雑な気持ちになります。

横浜市は育てるべき産業を見出せず、苦悩しています。港のクレーンは動いていません。観光産業ということで港地区に大投資を続けてきました。しかし消費的です。生産の喜び、経済発展の力強さを感じるに至っていません。

特に内陸部の日限山地区は、過去50年、典型的なベッドタウンでした。住民の心は東京にあるような町でした。心がわが町にあるような町にするのはこれからですね。

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西洗自治会・港南プラザ自治会は白紙に新防災対策を書く決心をしてほしい

2024年02月04日 | 社会

昨年の日限山中学校地域防災拠点運営委員会(西洗自治会と港南プラザ自治会との共同委員会)防災訓練は西洗自治会が主担当でした。しかし大地震は来るとの認識がまったくない、訓練内容実質ゼロの防災訓練で、両自治会員は拠点委員会の防災意識が乏しいことに驚きました。

隣り町の自治会役員会との協働がうまく行かない問題はあると思いますが、それにしても訓練内容の貧困さは目にあまりました。原因ですが、防災訓練での家庭防災員の活動を嫌う西洗自治会の役員達の感情に関係がありそうです。何が原因でこんな感情が育ったのでしょうか。

この感情は最近生じたものではありません。2000年、日限山中学校地域防災拠点運営委員会規約・運営マニュアルができてから連綿と今日まで続いてきたものです。規約・運営マニュアルは、憲法のように自治会役員会で思われてきました。この規約・マニュアルでは、防災訓練に協力するボランティア組織は防災協力員会となっています。

2011年まで前年度の役員が、防災協力員になることになっていました。訓練実行経験者が防災協力員になるということで素晴らしい仕組みと考えられました。現実は違っていました。前年度役員は、次の年、防災協力員になることを嫌い、非協力者が続出しました。しかし防災協力員会は存続し、その間、いわゆるボスとボス仲間が誕生していました。

しかし、委員会・両自治会は問題を放置し、保守でした。自治会役員は、心の中で不平不満を膨らませながら、我関せずで、保守でした。拠点防災訓練は準備も実行も嫌という感情が役員の間に蔓延しました。不幸なことにこの感情が、今日も拠点の防災訓練について消えていません。改革がおこっていません。昔の規約・運営マニュアルが今も生きている始末です。委員会も両自治会も改革を実行できていません。改めて調査企画実行する人が役員にも防災協力員会にもいません。現われていません。

2005年頃から家庭防災員が問題提起し、家庭防災員起用を提案しました。しかし、防災協力員会は強烈に反対し、感情的に家庭防災員を排除してきました。縄張り争いです。役員会も防災協力員会に同調していました。

2012年、さすがの防災協力員会も、会員不足を嘆き、家庭防災員も含め、普通の防災ボランティアが防災協力員会に入ることを認めました。しかし、防災協力員会の古参は、新会員を排除し続けたので、ますます防災協力員会の信用・訓練企画実行力は低下してしまいました。

不運なことに新型コロナウイルス禍が始り、委員会も両自治会も改革どころではなくなりした。

2022年は港南プラザ自治会が主担当で拠点防災訓練を実行しました。こちらの自治会にはわずかの防災協力員が残っていたので多少の防災訓練を行いました。しかし、実態は、上永谷消防出張所頼みの訓練でした。

2023年は西洗自治会が主担当で拠点防災訓練を実行しました。こちらは悲劇です。西洗自治会には防災協力員は1人もいませんでした。古参は2019年には全員防災協力員会を退会していました。ところが西洗自治会は何も手を打っていませんでした。家庭防災員排除の悪習もそのまま、西洗火消しの会起用も考えませんでした。打つ手なく、古い規約・運営マニュアルにしばられたまま、防災倉庫見学でお茶を濁しました。

制度的に見ても永続性のない防災協力員会に、防災意識より、縄張り意識の強い人達が跋扈し、両自治会の防災機能を狂わせてきたことは致命的でした。こんな防災協力員会を放置し、むしろ同調してきた事なかれ主義の両自治会に問題がある思います。

横浜に大地震が来る恐れが高まっています。両自治会は、現在の委員会規約・運営マニュアルが完全に役に立たないものになっていることを悟り、能登半島地震被害から学びながら白紙に新規約・新運営マニュアルを書くことを勇断をもって始めてほしいと思います。

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窓の外に一角鬼と二角鬼が現われた

2024年02月03日 | 社会

       

突然、庭に二匹の鬼が現われたので「鬼は外! 福は内!」

鬼達は、孫々するどころか、ポーズをとっていました。

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現在の横浜市の家庭防災員は町防災員として機能することが期待されている

2024年02月03日 | 社会

15年前の家庭防災員の研修内容と、現在の研修内容を比較すると、現在は「家庭」防災員としてではなく、「町」防災員として機能することが期待されています。消火栓を使った初期消火、下敷きになった人の救出など研修内容に盛り込まれています。

研修内容は拡充していますが、市民の研修応募者数は減少しているようです。そのため家庭防災員研修制度を廃止する考えがでるほどです。しかし、消防隊・消防団拡充と言っても簡単ではありません。やはり住民による町の防災体制の拡充は必要です。家庭防災員研修制度はやめてはいけません。

日限山4丁目は高齢化がひどく、第一世代(老人)の町の防災ボランティア活動は限界に来ています。

第二世代は、夫婦共稼ぎなどが多くて町の仕事を考える余裕がないという問題があります。しかし、第二世代が、何らかの形で、町の仕事を担わないといけない時が来てしまいました。

町の仕事を増やし、一段と自分を忙しくしてしまうことは大変なことですが、町の仕事の経験が自分の調査企画実行力に幅を持たせることになるのではないかと前向きに考え、頑張ってほしいと思います。

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近所の助け合いというが、近所の人間関係は希薄になっている

2024年02月02日 | 社会

日限山4丁目で現実おこっていることです。80代後半のおばあさんが1人で住んでいました。雨戸が閉まったままになりました。すでに半月以上になりました。お向かいの家の人が心配して、町の中で情報を把握していると思われる役の人に情報はないかと聞きました。するとないとのことでした。隣の人も、同様、何も知らないままでした。近所に家を出た目撃者がいました。しかしどこへ行ったかは知りませんでした。家での孤独死の恐れはないので近所は打つ手なく静観しています。

隣り町の事件ですが、孤独死を問題にしている人の、なんと隣家で孤独死がありました。1週間たって安否確認行動がとられたのでしょう。発見は1週間後でした。隣人と常日頃情報交換している関係なら隣人はすぐ異常を判断し、安否確認行動をとれたでしょう。

近所の助け合いが重要と西洗自治会が言い、災害時は、訓練では、班長が班員の安否確認に回っています。実際の災害時に班長が安否確認できるかはわかりません。災害時でないときも、個人から希望があった人だけ民生委員が、西洗福祉サポーターズと呼ばれるボランティアと一緒に定期的に安否確認に回っています。

しかし、この近所の助け合いシステムだけでは盲点だらけです。とは言え、完全システムの企画実行は不可能です。

システムを補完するのは、近所の住人が、具体的には、向こう三軒両隣の人間関係を改善するしかないのではないでしょうか。家族的付き合いという言葉がありますが、隣人に自分の心配ごとを平気で話せるオープンマインドは非常に重要と思います。

(注)戦後の貧困時代のことですが、私の父の家は二度も隣人に泥棒に入られました。警察が犯人を捜索し、逮捕し、報告してくれました。両親は、まさかと言って驚いていました。オープンマインドはいいが、泥棒が入りやすい家はまずいですね。地方は戸締りが甘すぎました。オープンハウスでした。

隣人は大嫌い、口もききたくないでは、隣人を心配させる人になるでしょう。でもこれは現実あることですね。近所の助け合いを言うはやすし、実践はかたしです。

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今日の西洗公園は昨日の裏。午前9時で4℃、曇り、微風。居場所どころか修行場

2024年02月02日 | 社会

寒さに負けず、心身を鍛える修行場でした。修行僧のごとき二人の老人が、ゲートボール1試合、真剣に勝負しました。試合中は寒いと思いませんでしたが、道具を片付け終わって一息入れたら、寒さで指先に痛みを感じ、今日はお休みが正解と思いました。

試合の前の休憩時間、二人は、どうして日本は文字の発達が遅かったかと、寒空に下で「高尚な」議論をしました。紀元前後まで日本の集落は血縁的共同体、紀元前後に近づくにしたがって、地縁的共同体に変化してきたが、各集落、水稲栽培など自然の恵みを生かして食料生産などに励んだので生活不安が少なく、争いが少なく、会話でことがすみ、証文を書く必要がなかったのではないかということで意見の一致をみました。古代、日本は平和だったという結論です。

紀元前後になると朝鮮半島(楽浪郡)と交流するような国社会が登場し、漢字に触れる人が増えて行ったのでしょう。大陸と交流した人は漢文を書くことができたのではないでしょうか。

日本語を漢字(かな)で表記するようになったのはいつか興味深い研究課題ですね。このかなからひらがな、かたかなが誕生しました。あは安から、アは阿からというようにです。

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午前9時には10℃をこえ、晴、無風で、西洗公園は最高の居場所

2024年02月01日 | 社会

早くも2月。通常なら極寒のときですが、今日はぐんぐん暖かくなりました。

1月の公園北広場は落ち葉が少なく、掃除は楽でした。公園は巨木になったケヤキのほか、クスノキの巨木が目立ちます。これらのほかに結構高木になっているシラカシがたくさん植わっています。

これからシラカシの落ち葉が増えていきます。常緑樹だから落ち葉はないというのは間違いです。春夏は常緑樹の落ち葉が増えます。秋になるとドングリが大量に落ちてきます。

2月はまだ落ち葉掃除は楽です。

公園南広場から見慣れない元気老人男性が自転車を押して公園中央の階段の上に現れ、「この公園は、自転車でそっちに行けないな、いったん一般道に出て回りこまないとだめか」と言いました。私は、園内のツツジにそって西に回りこめば、こちらに来れると教えました。

その老人は、北広場にいた私の前に来て、にこにこしながら、「私は丸山台から来ました。ここではぺタンクはやっていないのですか」と聞きました。丸山台に住んでいてペタンクをやりたいと思って近隣公園を回ってペタンクをやっている公園を探していました。

「ここではペタンクはやっていません。隣町の港南プラザ公園でやっています」と教えると、また嬉しそうな顔をして、道順を私に聞いて公園を去っていきました。ペタンクって昔のスポーツなのに今人気なのかと思いました。ゲートボ―ルをやりたいと言ってくれれば私が喜ぶのにと残念に思いました。

港南区ではゲートボールを楽しむ人は激減中です。老人スポーツとしては衰退中です。100人を割りました。50人を割るのも時間の問題でしょう。区ゲートボール連合の、学校や若い人々への働きかけがないからです。また連合および各地区のゲートボール部は、ほとんど、土日にできるゲートボール場を持っていません。日限山4丁目のゲートボール部も西洗公園北広場でしかゲートボールができせん。土日は北広場は子供たちの遊び場として開放されています。

区ゲートボール連合の大会は、地下鉄港南中央駅近くの港南ふれあい公園でやっていますが、土日はやはりこの公園も一般市民に開放されているのでできません。

一度、市ゲートボール連合が日曜日にこの公園で大会を開いたら、地元の人が、市ゲートボール連合は非常識だ、この公園は地元の人優先だ、やめよと怒鳴り続けていたので往生しました。

60代の新人も交えて楽しく3人でゲートボールを1試合楽しみました。2人対1人でやりました。1人チームは1人で5人役です。目がまわったのではないでしょうか。私は新人と組み、2人で5人役をこなしました。新人はゲートボールはむずかしいがすごく刺激的だと驚いていました。

もっともっと多くの人が西洗公園を活用してくれるといいと思います。ペタンクをやりたい人は日限山いぶき会に申し出てください。ペタンクの道具は公園倉庫にあります。

火曜日9:00-10:00は北広場で太極拳をやっています。武術から心身の健康術に進化しています。

公園での芸術活動、青空囲碁将棋ゲームもいいのではないでしょうか。家を出て公園で遊びましょう。公園を健康居場所に育てましょう。全世代型公園にしましょう。

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政党あるいは派閥の不法を見ると、お金の取り扱いは要注意

2024年02月01日 | 社会

自民党あるいは自民党派閥の政治資金規制法違反などが大問題になっています。すると自治会や自治会員の地方自治法違反が気になり始めました。

この分野は知識がないのですが、ちょっと勉強してみると、1991年地方自治法の改正があり、自治会は認可地縁団体としての法人登記できることになっています。ただし、横浜市では区長が行う告示をもってこれに代えることとなっていますので、自治会が法務局への法人登記を行う必要はありません。

西洗自治会は隣りの港南プラザ自治会と共有ですが、自治会館の土地と建物を所有しています。地方自治法の改正にともない西洗自治会は認可地縁団体という法人になっていると思います。

しかし、西洗自治会は、営利性がなく、公共性が高いので税金は免除されています。ただし、営利目的で事業を行うと地方税を納める責務が生じます。要注意と思います。また自治会員あるいは外の人・団体が西洗自治会を利用して営利目的で事業をやることに西洗自治会が甘いと公共性が低いとなり、同様に要注意となります。自治会を利用した自治会員の営利行為にも疑惑の目が注がれるので要注意と思います。

なお、町のボランティア組織、趣味の会など営利性がない団体は任意団体です。税金などの規制はありません。

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