日限山4丁目で現実おこっていることです。80代後半のおばあさんが1人で住んでいました。雨戸が閉まったままになりました。すでに半月以上になりました。お向かいの家の人が心配して、町の中で情報を把握していると思われる役の人に情報はないかと聞きました。するとないとのことでした。隣の人も、同様、何も知らないままでした。近所に家を出た目撃者がいました。しかしどこへ行ったかは知りませんでした。家での孤独死の恐れはないので近所は打つ手なく静観しています。
隣り町の事件ですが、孤独死を問題にしている人の、なんと隣家で孤独死がありました。1週間たって安否確認行動がとられたのでしょう。発見は1週間後でした。隣人と常日頃情報交換している関係なら隣人はすぐ異常を判断し、安否確認行動をとれたでしょう。
近所の助け合いが重要と西洗自治会が言い、災害時は、訓練では、班長が班員の安否確認に回っています。実際の災害時に班長が安否確認できるかはわかりません。災害時でないときも、個人から希望があった人だけ民生委員が、西洗福祉サポーターズと呼ばれるボランティアと一緒に定期的に安否確認に回っています。
しかし、この近所の助け合いシステムだけでは盲点だらけです。とは言え、完全システムの企画実行は不可能です。
システムを補完するのは、近所の住人が、具体的には、向こう三軒両隣の人間関係を改善するしかないのではないでしょうか。家族的付き合いという言葉がありますが、隣人に自分の心配ごとを平気で話せるオープンマインドは非常に重要と思います。
(注)戦後の貧困時代のことですが、私の父の家は二度も隣人に泥棒に入られました。警察が犯人を捜索し、逮捕し、報告してくれました。両親は、まさかと言って驚いていました。オープンマインドはいいが、泥棒が入りやすい家はまずいですね。地方は戸締りが甘すぎました。オープンハウスでした。
隣人は大嫌い、口もききたくないでは、隣人を心配させる人になるでしょう。でもこれは現実あることですね。近所の助け合いを言うはやすし、実践はかたしです。