日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

近所の助け合いというが、近所の人間関係は希薄になっている

2024年02月02日 | 社会

日限山4丁目で現実おこっていることです。80代後半のおばあさんが1人で住んでいました。雨戸が閉まったままになりました。すでに半月以上になりました。お向かいの家の人が心配して、町の中で情報を把握していると思われる役の人に情報はないかと聞きました。するとないとのことでした。隣の人も、同様、何も知らないままでした。近所に家を出た目撃者がいました。しかしどこへ行ったかは知りませんでした。家での孤独死の恐れはないので近所は打つ手なく静観しています。

隣り町の事件ですが、孤独死を問題にしている人の、なんと隣家で孤独死がありました。1週間たって安否確認行動がとられたのでしょう。発見は1週間後でした。隣人と常日頃情報交換している関係なら隣人はすぐ異常を判断し、安否確認行動をとれたでしょう。

近所の助け合いが重要と西洗自治会が言い、災害時は、訓練では、班長が班員の安否確認に回っています。実際の災害時に班長が安否確認できるかはわかりません。災害時でないときも、個人から希望があった人だけ民生委員が、西洗福祉サポーターズと呼ばれるボランティアと一緒に定期的に安否確認に回っています。

しかし、この近所の助け合いシステムだけでは盲点だらけです。とは言え、完全システムの企画実行は不可能です。

システムを補完するのは、近所の住人が、具体的には、向こう三軒両隣の人間関係を改善するしかないのではないでしょうか。家族的付き合いという言葉がありますが、隣人に自分の心配ごとを平気で話せるオープンマインドは非常に重要と思います。

(注)戦後の貧困時代のことですが、私の父の家は二度も隣人に泥棒に入られました。警察が犯人を捜索し、逮捕し、報告してくれました。両親は、まさかと言って驚いていました。オープンマインドはいいが、泥棒が入りやすい家はまずいですね。地方は戸締りが甘すぎました。オープンハウスでした。

隣人は大嫌い、口もききたくないでは、隣人を心配させる人になるでしょう。でもこれは現実あることですね。近所の助け合いを言うはやすし、実践はかたしです。

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今日の西洗公園は昨日の裏。午前9時で4℃、曇り、微風。居場所どころか修行場

2024年02月02日 | 社会

寒さに負けず、心身を鍛える修行場でした。修行僧のごとき二人の老人が、ゲートボール1試合、真剣に勝負しました。試合中は寒いと思いませんでしたが、道具を片付け終わって一息入れたら、寒さで指先に痛みを感じ、今日はお休みが正解と思いました。

試合の前の休憩時間、二人は、どうして日本は文字の発達が遅かったかと、寒空に下で「高尚な」議論をしました。紀元前後まで日本の集落は血縁的共同体、紀元前後に近づくにしたがって、地縁的共同体に変化してきたが、各集落、水稲栽培など自然の恵みを生かして食料生産などに励んだので生活不安が少なく、争いが少なく、会話でことがすみ、証文を書く必要がなかったのではないかということで意見の一致をみました。古代、日本は平和だったという結論です。

紀元前後になると朝鮮半島(楽浪郡)と交流するような国社会が登場し、漢字に触れる人が増えて行ったのでしょう。大陸と交流した人は漢文を書くことができたのではないでしょうか。

日本語を漢字(かな)で表記するようになったのはいつか興味深い研究課題ですね。このかなからひらがな、かたかなが誕生しました。あは安から、アは阿からというようにです。

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