「鶏とひととの生産性」という記事を昨日載せました。
長年、教師をしてきた友人からメールが届きました。
多くの人の心に深い傷を残す「生産性」という言葉。
彼女の許可をいただいたので、転載します。
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教育という現場で、1人1人が自分を大切にし、大切にされることを
何よりも重要な使命としてきました。
大切に生きるために学ぶのが学校。
だからいっぱい間違って、やり直して、たくさんの手助けをもらい、
また自分も助けていく。
国語や算数の座学も、運動会や修学旅行の行事も、
食べることも遊ぶことも、すべてが大切に生きることの学びだと。
子どもたちも教師も学校の中で学び合い育ち合ったのです。
そんな中でLGBTの仲間や子どもたちに出会えました。
悩みを抱え乗り越える中で、共に生きることが、お互いを尊重することが、
自分にも誰にとっても幸せで楽チンで豊かなことだと知っていきました。
たいへんなことも乗り越える力になる。
それなのに、国のトップに立つ人の意識は教育や社会づくりに大きな影響を及ぼすのに、
その自覚もなく、たくさんの人を傷つけていることに悲しみや憤りをおぼえます。
しかも傷ついた!と言われても気づかないなんて…。
今回の件、教育者としての立場だけでなく、
個人的に私も傷ついたなーと思うのです。
私は、ある病のためホルモン治療をした影響で、
子どもを作ることができなくなりました。
できることならお母さんになりたかった。
もっと若い時に夫に知り合えていれば、病気になる前に結婚していれば・・・
なんて、たられば言ってもしょうがないのですが・・・。
でも、今すんごい幸せだからすっごく大丈夫なんですけどね!
ただ、「生産性」なんて言葉目にすると、
つい自分の身に置き換えてしまうんですよ。
ましてや名指しされた当事者の方はどれほどの悔しさか。
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僕たちにできること。
色々な人がいて当たり前で、
他人を認めることが、幸せにつながるということ。
色々な人がいるからこそ、複層的で、豊かで、幸せなのだということを
噛み締めながら、暮らしていくこと。