ここは、沖縄でも、南太平洋でもありません。
四国の南西の端っこ、高知県大月町の柏島です。
写真の右側が四国、左側が橋で結ばれた柏島。
この小さな川のようなところは、エメラルドグリーンの太平洋です。
この夏、まだ旅行の行き先が決まっていない人は、
柏島へGOGO!!
ここは、沖縄でも、南太平洋でもありません。
四国の南西の端っこ、高知県大月町の柏島です。
写真の右側が四国、左側が橋で結ばれた柏島。
この小さな川のようなところは、エメラルドグリーンの太平洋です。
この夏、まだ旅行の行き先が決まっていない人は、
柏島へGOGO!!
大切な友が旅立った。
冨恵洋次郎。BarSwallowtail のバーテンダー。
洋次郎は、まっすぐなやつだ。
「したい」と思うと行動に移さずにはいられない。
成功するとかしないとか、そういうことには、
無頓着かと思うほど、したいことに向かって突き進んでいた。
しかも、周りを巻き込む巻き込むww
彼の打算のない少年のような心の奥から生まれた「したい」は、
周りに感染していき、気がつけば、
「したい」はとても大きなものになり、みんなでそのしたいに向かって進む。
そういう人を動かす力がある。
「もうしゃあないなあ」とか
「まったくやれやれ」とか
周りは言いながらも、
甘えん坊の末っ子洋次郎を誰も放ってはおけず、
いつのまにか、みんなの全力が、
ことを成し遂げていった。
彼のその思わず人が動いてしまう力は、
人を結びつける力でもある。
僕には、広島にたくさんの大切な友がいる。
その多くの縁は、洋次郎が結びつけてくれたものだった。
彼には、人の本質を見抜く能力がある。
彼の名が世に通れば通るほど、企みがあって近ずくものや、
恩恵にあやかろうと思うもの、利用しようと近ずくものが現れた。
そのことごとくを、彼は見破る。
そして、突き放すでもなく、拒絶するでもなく、
適当な距離感で、なんとなく付きあって行くのだが、
それが、洋次郎をよく知るものからみると、彼のその態度で、
その人間がどういう類の人なのか、
なんとなくわかってしまうのだ。
だから、洋次郎が向き合って付き合っている人間同士は、
すぐに打ち解けて、すぐに友になれた。
通夜と告別式に参列する中で、多くの友に再会した。
強い結びつきがより強くなった友、
やっと心が触れ合えた友、
かけがえのない存在だと確認し合えた友…
洋次郎は、生きている。
多くの大切な友との結びつきの中で、
彼は、生きている。
内心嬉しいくせに、
照れ隠しに素っ気ない顔をしながら、
立っている。
でかい体で、ただただ、立っている。
洋次郎、ありがとう。
冨恵洋次郎が、逝った。
早すぎる。
親友と呼べる友だった。
とてつもなく大きいやつだった。
洋次郎と出会ったのは、2009年。
ピースボランティアとして、平和公園で修学旅行生たちに
原爆の話をしていました。
その翌年、洋次郎を主役とするドキュメンタリーと写真グラフを
朝日新聞デジタル並びに朝日新聞に掲載しました。
<!-- わたしがつなぐ広島 -->
2012年。スワロウテイルは火災に見舞われる。
それでも洋次郎は、語り部の会を友人の飲食店を借りて、続けてきた。
語り部の会を始めてから、11年。
洋次郎の意志は、広島の夜の街に引き継がれています。
6日の告別式の後、
Bar Swallowtailでは、140回目となる「原爆語り部の会」が
開かれます。
以下は、公式ページの告知です。
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7月5日 18:00〜通夜
7月6日 11:00〜葬儀
場所
サンセルモ玉泉院 広島中央会館
〒730-0821
広島県広島市中区吉島町6-18
082-544-0948
喪主 冨恵浦郎(トミエウラオ)
毎月恒例の6日は原爆語り部の日です。
被爆から72年が経ちます。被爆者の平均年齢が80歳を超えるなか、当時の出来事を話してくださる方は年々少なくなってきます。この貴重な機会にぜひいらしてください。
「第140回原爆の語り部〜被爆体験証言者の証言〜」
今回の証言者の方を紹介します。
寺本貴司(てらもとたかし)さん
10歳のとき学童疎開先から病気のため自宅(爆心地から1キロ)に帰宅したところで被爆。
日時:2017年7月6日(木)18時30分〜
場所:スワロウテイル薬研堀店2階CAMEL
会費:1000円
定員:20名ほど
*特に予約は必要ありませんが5名以上の場合はメッセージください。
〒730-0035広島市中区薬研堀1-8スワロウテイル薬研堀店2階CAMEL