かけっこの遅い子、算数の得意な子、髪の毛がクネクネしてる子、
国語が苦手な子、背が高い子、車椅子の子、
目が青い子、耳がよく聞こえない子、
ことばがうまく話せない子、力がすごく強い子、
じっと座ることができない子、おしゃべりな子、
大きな声で「ハイ!」と言える子、上手に作文を書ける子、
いろんなことをたくさん覚えている子、じゅぎょう中にとつぜん大きな声をだす子・・・
あなたのまわりには、いろんなおともだちがいます。
それを「個性」といいます。
個性には、いいとか悪いとか、えらいとかえらくないとかありません。
みんな同じだけ、大切な1人のにんげんです。
顔も、背の高さも、声も、せいかくも、学校のせいせきも、ぜんぶおなじ人はいません。
いろんな個性の人がいます。
それが、あなたが生活している社会というものです。
まわりのおとなたちの顔を思い出してみてください。
おとなになると、もっといろんなひとがいます。
ひげがたくさんはえていたり、やさしい学校のせんせいだったり、
かみの毛がつるるつだったり、おっぱいが大きかったり、
テレビで歌ってたり、くちびるが真っ赤だったり、
きれいな服をきていたり、
お腹がいたくなるとみてくれるお医者さんだったり、
サッカーの選手だったり、おまわりさんだったり、
よぼよぼのおじいちゃんだったり・・・
サッカーの上手なおとなは、学校の先生をすごいなあと思っています。
かみの毛がつるるつなおとなは、おっぱいの大きい女の人が好きです。
ひげがたくさんはえているおじさんは、おまわりさんにいつもありがとうと思っています。
きれいな服のお姉さんは、よぼよぼのおじいちゃんにとても優しくしています。
いろんなひとが、ほかのひとのことを、
すごいとか、ありがとうとか、
好きとか、会いたいとか、
お手伝いしようとか、見習おうとか・・・
みんな自分と同じだけ、大切な1人のにんげんと思いながら、
みんなで仲良く、助け合いながら、生活しています。
それが、あなたが生活している社会です。
もし、夏休みにおもいっきりプールで遊びたいと思っていたら、
ゲームをしたいと思っているおともだちのじゃまをしてはいけません。
プールの時間がえらくて、ゲームの時間がどうでもいいとか、ありません。
みんなが、なにかしたいと思っているきもちは、どちらも同じくらい大切です。
もし、ゲームの時間の方がえらかったら、あなたはずっとプールで遊べなくなります。
もし、サッカー選手のほうが、学校のせんせいよりえらかったら、
あなたにべんきょうを教えるおとながいなくなります。
もし、テレビのお笑い芸人が、おじいちゃんよりえらかったら、
あなたは、生まれてこなかったかもしれません。
かながわ県というところにある「しょうがいしゃしせつ」でおおぜいの人が、殺されました。
犯人はけいさつに捕まったあと、殺した理由を、「しょうがいしゃはいなくなればいい」と話しているそうです。
しょうがいしゃという言葉を聞いたことがあると思います。
さいしょに書いたように、
すごく算数ができることも、
かけっこが遅いことも、
うまく話ができないことも、
歩けないことも、
耳が聞こえないことも、
すべて、あなたたちが持っている個性です。
どっちの個性が大切だとか大切じゃないとか、
価値があるとかないとか、
上とか下とかそういったものは、
この社会にはありません。
犯人はこれから、けいむしょということろに入れられて、
大きくて重くてつらい罰を受けながら、
個性というものを、いっしょうをかけて学ぶことでしょう。
安心してください。
あなたは、これまでと同じくらい、あなたの個性を大切にしてください。
そして、あなたの個性とおなじくらい、おともだちの個性も大切にしてください。
あなたもおともだちも、大切さはまったく同じなんですから。
安心してください。
まわりのおとなは、そのままのあなたが大好きです。