信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

『御柱祭』 第3報の4

2010年03月18日 06時49分02秒 | Weblog
                               3月15日(月)  記

崖から降ろしたあと、右に振られ左に振られしながらも目的の場所に着きました。前回では「安置」と書きましたが、誤解の恐れがあるかもしれないので「仮置き」と言ったほうがいいでしょう。

市道のカーブしている脇の幅が広くなった場所を、仮置き場にしています。

さて、その場所に置くわけですが、まず先ほど杭や梃子棒などとともに切り出した、丸太を枕として置きます。長さは1ヒロ、1.5m位。それを5本、多くても少なくてもダメ。5本です。
その上に、引いてきた御柱を、表側を上に、必ず、表側を上にして置きます。表とはできるだけ表面に傷がついてない側です。
これも「こっちが傷が少ない、いやこっち側だ」といいながら何度か置き直ししました。

次に根元から何cm位だろう、15~20cmくらい頭側に寄ったところくらいに四角い穴を通します。
この作業は「もうちょっと上、上、いやあがりすぎ。下げて、はいOK」とタツジさんの見等を受けながら、『斧頭』の進さんがチエンソーで開けていきます。
これはなかなか大したもので、ずれることなく見事に穴が開き、すぽんとくり貫かれた木の塊が出てきたときは「おーっ」というどよめきと拍手が沸きました。と、すぐ老人会長のケサフミさんが「わし、もらっとくよ」とニコッとその木塊を確保。その絶妙のタイミングに皆の笑い声がしました。
ちなみに、以前はノミで穴を開けていたそうです。

ところでこの穴は、御柱を立てるとき、土中での安定のため横棒を差し込む穴と私は思っていたのですが、そこはわきまえて「これはなんの穴?」と聞くと、曳行のための綱を通す穴、だったのです。やはり私は初めて、聞かねば分らないものです。

この穴開け作業の一方、10本の杭をこの御柱を囲むように土中に打ち込みます。ま、10本というより2本5組といったほうが分り易いかもしれません。
打ち込んだあと、縄(なわ。稲わらで作ったものでなければだめ)をぐるっと杭に巻きつけながら二重に御柱の周囲を囲みます。最後に杭と杭の中間位置に、御幣(正しいかな? 神道で使う玉ぐしについている白い紙で作ったぴらぴらのようなもの)を綱に付けて今日の作業は終了、となりました。
3月28日の『山出し』まで、しばし休息の御柱です。

写真は穴あけの場面です。
いつも私の写真は見にくいのですが、カーブミラーの右側には双耳峰の鹿島槍ヶ岳、右端の杭を持っている人の背後には唐松岳、その右手に不帰劍(かえらずのけん)と天狗の大くだり、そして白馬三山が真っ白に青空の中に浮かんでいます。
近景の山の中腹は、冬枯れの樹木やまだ休んでいる畑に春の光が降り注ぎ、その明るさは「これぞまさに信州の早春」です。
白く輝く北アルプスと早春の光に包まれての作業は、なんともいえぬ幸福感を感じさせました。

そしてあと1週間もしないうちにウメもほころぶでしょう。梅の花がほころべば、オウバイ、サンシュユ、マンサク、コブシ、ハナモモなどが、この静かな山里を彩ります。
そして御柱祭のさなか、アンズ、モモ、リンゴと続き……。

うーん、たまりまへん。
またお便りします。

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