信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

帰信?(信州に帰る)道中記 その1

2008年02月11日 10時02分42秒 | Weblog
お久しぶりです。9日(土)の雪、いかがでしたか?
ここ信州ももちろん雪。一晩で40cmほどの積雪です。さらさらの雪で口で吹けば飛ぶほど。スキーにはいい雪です。月曜日の休日には『雪見露天風呂』?
大阪は11年ぶりの大雪だったとのこと。慣れないので大変でしたでしょう。でもなんとなく心がウキウキしたのではないでしょうか。雪とはそんな不思議な力があります。

さて一週間前の3日の日曜日のこと。
2日(土)の早朝に長野を出て、午後、堺にあるお墓に参った翌日の日曜日、できるだけ早く長野に帰りたかったので大阪を早立ち。「あの人にもこの人にも会いたい」、「『551の豚まん』も喰いたい」、という気持ちも抑えてすぐに家路に着いた理由は、植林委員として2年間の役目も終え、この日に新規役員との引継ぎ会があったからです。

西名阪松原ICから天理ICに向かって、雪は降っていたものの快走。ま、この程度の雪は信州ではどうって事はないし、車も4WDのスタッドレスタイヤなのでノープロブレム。
ところが、途中の電光掲示板に「ユキ 天理東~山添 通行止め」と出ているではないか! 「少々の雪は慣れてまっさかいに」と大阪弁で頼んでも無理だろうし、困った、どの経路で帰ろうか、と思案しつつ走っていたら、天理東で係員により名阪国道から強制的に出されました。

出たあと、南に向かって走って行くとやがて天理教の建物群。旧25号で行くか、このまま南へ桜井まで行くか。
私としては何と珍しいことに、SAで地図ももらわず、道路地図も持ってこず。そこで40年前にこの近辺をふらついていた記憶を呼び覚まし、呼び覚まし、「そうそう長谷寺の道があった。これなら確か榛原、名張へ行くはず」。
と決めたのはいいが、そこに行く途中、なんと懐かしい『巻向(まきむく)』集落に出くわしたのです!

この近辺は若い頃、犬養孝の『万葉の旅』、部分的にはエロ本として読んでいた岩波文庫の『古事記』や古代の神々に関する本を持ってほっつき歩いたところ。『山辺の道(やまのべのみち)』も幾度か歩いた。大阪まで付き合ってくれた愛犬ロクと一緒に後部座席で寝ているオカンとも歩いた(別の人だったかな、それならヤバイけど)。ということはヒミコの墓に比定されていた箸墓(はしはか)も近所にあるはず。箸で陰部を刺し貫いて死んだ、という伝説も思い出す。『巻向』という地名が30年、40年の時間を一瞬に飛び散らす。

「ここからだったら、確か針(ハリ。都祁村)に行けるはず」と左(東)へ入る。
家並みには三輪素麺の看板がいたるところに掲げられている。
「そうそうこんな看板、あった、あった。この道、この道」「この近辺の集落は相変わらず豊かやなぁ」
と比較的強く降る雪の中を半分ドライブ気分。やがて巻向川に沿って山の中へ、山の中へと入って行くのでありました。

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