信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

『八ヶ岳倶楽部』③  いよいよ『倶楽部』へ

2010年09月11日 06時22分09秒 | Weblog
2010.09.11(土) 記

足らないもの。
それはおしゃれなカフェでも、娯楽や休憩施設でも、景色でも、村人のもてなしでもなかった。
その村は、気に入った美しいロケーションであるけれども、私にとって「満足はしているものの、何かが足りない」という気持だった。その理由は、いまそこにあるものを、お金を払って利用者として利用する。自分はお客さま。サービスを受ける側。こういう事だったから、物足りなさを感じていたのだった。
このことに気づかされたのが、柳生さんの本だった。

私が何かをしたい場所、何かができる場所、自分が主体的に動きたい場所、動ける場所であること、要するに「私の動く場所」が欲しいのだ、という潜在的なものに気がついた、のだった。
つまり、この村の施設のあり方がどうというのではなく、自分自身が問題だった。
このことにやっと気づき、それから後は迷うことはなくなった。

本来の姿である雑木林に作り変えるために、下草を刈る。今ある人工林を伐採する。樹木や潅木を1本ずつ手で植えていく。時には草すら植えねばならない。
ここには温泉どころか入浴施設も、もちろんごろんと横たわれる芝生もなかったでしょう。あるのは、つらい作業とヤブ蚊。作業をしつつ時には「なぜこんなことを」「やめようか」という気になったこともあると簡単に想像できる。

しかし、枕木を1本横たえることによって、わずか2mだけれども道が林の中に伸びていく。丸太を輪切りにしてその場所に置けば、小鳥の声聞くベンチになる。
大きな石を子どもたちと運び、ここに置くことによって炉で火が燃え上がり、そのまわりを家族の笑顔が取り囲む。
そんな1日の終わりが、また翌日のつらい作業の力となり、さらには親にとっも子どもたちにとっても無限の共有の財産になっていく。
私が求めていたこと、探していたことは、こういうことだったのだ(※)。

それから10数年、『八ヶ岳倶楽部』はまだ成長中なのか、ある程度落ち着いているのか、今はどんな姿なのか、私には欲してもできなかったことを人生の先輩である柳生さんがやってこられたことを、一目見たかった。

お盆休み中からか、青年、壮年、老年とあらゆる世代が、1人で、2人連れで、家族でといろんな形で、すごい数の人が訪れていました。でも、目立ったのは壮年から老年。
この写真の人も老年に入りつつある方ですが、ここに来て満足したようで、そんな顔をしています。(帰る時に写した写真です)



(※)
行き届いた施設に行ってそれを使わせてもらう。これはどんどん利用したらいいと思う。私も信州に来てよく利用する。また信州はこういうところが多く、アウトドア派にとっては最高のところです。みなさん、来てください。私が今やりたいことはゴムボート(カヤックと言うのかな)での犀川川下り。それと白馬で気球やハングライダー(だったかな?)で空を飛ぶやつ。この2つはやりたい)

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