信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

『八ヶ岳倶楽部』② 柳生博著『八ヶ岳倶楽部 森と暮らす、森に学ぶ』

2010年09月10日 14時53分28秒 | Weblog


2008.09.10(金) 記

「お父さんの嬉しそうな顔。いつもこんなんやったらええのに」。今は何言われてもいい。長年の念願がかなったのだから。

柳生さんとの会話の一部。
「自然への接し方や、考え方に尊敬していました」「いや、それはどうも有難う」
「前からずっと田舎に行きたいと思い続けながら、柳生さんの本も背中を押された部分もあって、大阪から信州に移住しました」「え、そうですか。信州のどちらですか」「Sの近くです」「Sですか、そうですか。頑張りましたね」「Sはご存知ですか」「ええ」…。

実は私、柳生さんの俳優としての印象はないんです(誠にすいません。ホントに申し訳ありません)。
柳生さんの動物や植物などの自然に対する謙虚な接し方や考え方に、共感したり、教えられたりすることが多く、ナチュラリストとしての尊敬であり、ファンでした。したがって『日本野鳥の会』の会長になられた時は、適任だと思って嬉しかった。

突然ですが、読み手としての私は『本』を4種に分けられるのではないか、と考えています。それは
①楽しむ手段として ②知識や情報を得る手段として ③自分の考えを検証したり深化させる手段として ④発想のヒントとなるものとして と考えています。

で、柳生さんの本というのは『八ヶ岳倶楽部 森と暮らす、森に学ぶ』という下の写真の本で、これは私にとって④の部類に入るものでした。



この本は今から10数年前、職場が大阪の堺市にあり、最寄り駅の南海高野線堺東駅の駅ビルに高島屋が入っていて、その地下に旭屋書店がありました(今でもあるのかな)。
ここでこの本と出合いました。今でも書棚のどのあたりにあったか、はっきりと覚えています。

今考えると何故か思い出せないのですが、すぐに買えず、その本屋さんに毎日立ち寄っては「まだある、まだある」と安心し、誰かに先に買われることを心配して、あまり人の目につかない場所に移したりしたこともありました。

同じ頃、移住先の候補の一つとしてオカンの祖父の代まで住んでいた奈良県の黒滝村が随分気に入り、よく通っていました。
信州か、黒滝か?実に悩ましい問題でしたが、両方で家を探していました。

村は『黒滝・森物語』や『赤岩なんとか』(名前はいずれもうろ覚えです)などを建設し、リゾートっぽくなっていきます。これはこれでOKです。移住してこんなところに働き口があればなおさらいいなぁ、と思っていました。

仕事に疲れると、さまざまな書物を持ってよくここにきました。
『森物語』に流れる川の河原(水の音が快い)、温泉と野天のジャグジー、ごろんとできる芝生、庄屋屋敷(だったかな?)、吊り橋。ゆっくりできるいい村でした。しかし、満足はしつつも何かが足らないような気がずっとしていました。

足らない何か?、解決に一つのヒントを与えてくれたのが、柳生さんのこの本でした。
(A4をオーバーしました。続きは次回に)


付録
夜、もともと牛部屋だった所で今は書斎兼書庫でパソコンを触っていると、床に何か動くものが。沢蟹でした。団体で来てくれれば唐揚げにして夕食の一品にするのに。しかしまあ、うちのネコちゃんたちに見つからなかってよかったこと。
捕まえて、真っ暗闇の中をわざわざ沢まで離しに行きました。