波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

今夏の小泉首相の靖国参拝

2005-08-10 07:46:23 | 雑感
 月曜日の衆議院解散以来,小泉首相の評価について各網誌は呻吟(しんぎん)している.勿論,清水の舞台から飛び降りる決意で一刀両断の立場をとるものもあるが,大抵のものが玉虫色になっている.自らの評価基準からすると,評価できるところと,できないものが混交していて,如何ともしがたい,という趣だ.
 来週の月曜日は8月15日で,果たして小泉首相は当日靖国神社に参拝するか,どうかについてもあれこれ揣摩臆測が飛び交っている.保守系の網誌の場合,9月11日の選挙で勝つためには,15日の参拝は不可避という予想が有力だが,ある網頁(出典失念)では,連合政権の提携者である公明党の顔を立てて,参拝しないのではないか,という予想があった.選挙に政権の命運を賭けた以上,支那が,形振り構わず金に任せて,永田町,特に媚支候補の買収の為に闇選挙資金を提供するというような破天荒な選択を取らない限り,小泉側にとって最大の関心事項は,国外という外野からの野次ではなく,来る選挙で間違いなく勝利を導いてくれる国内の組織力・動員力となる.よって,従来の安全保障政策上の選択で明らかになっているように,靖国参拝で公明党内の左派を刺激して,中央笛吹けど地方踊らず的な手抜きの選挙活動をやられないように,小泉側は公明党に妥協するするしかない.確かに,15日に参拝しないことで保守・中間層の期待を裏切り,自民党への投票数が減少することは十分考えられるが,15日参拝を外して彼等を落胆させても,自民党としては元々投票率が高くなると不利な傾向にあるので,彼等が抗議票を民主党に入れない限り大丈夫(靖国神社参拝が最重要課題と見做しているような投票者は,旧日本社会党左派の毒の回った民主党に元々投票することはありえない筈).即ち,毒饅頭ならぬ毒煎餅の毒(投票動員力)は既に自民党を「病膏肓に入る」的状況に追い込んでいるという症状分析だ.
 来週15日の首相参拝は,結局,来月の選挙において公明党の動員力を小泉側がどの様に値踏みするかによって決まるのではないか.勿論,『嫌韓流』の売れ行きに見られるように,首相の靖国参拝について今の若者の関心は高いと言えるが,如何せん,彼等には投票の実績が無いため,選挙に勝つことが本義である選挙参謀からは,前例に従い,期待できない層として軽視されるのではないか.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/10/2005/ EST]

米国での散髪:米国人の手仕事観

2005-08-08 23:33:34 | 米国事情
 今日は3ヶ月ぶりの散髪屋だった.米国での散髪屋体験は北東部の2州だけしかないが,日本のall-in-one服務,即ち,調髪,洗髪,髭剃り他を全て含めたものが標準であるのに対して,米の場合は,調髪のみが標準で,洗髪,髭剃り他は別料金となる.勿論日本同様,髪型にこだわる連中は,理髪店ではなく,高い料金を払って美容院に行くことになる.切った髪の毛の後始末もいい加減なもので,襟元・頭その他に髪の毛が残ることになるが,平均的な米人客は全く気にしないようだ.以前触れた,教科書・帳面が雨に濡れも,土足の床に寝転がっても平気という感覚と同系統になるだろう.洗髪も髭剃りも自宅で自分で出来るのだから,金を払ってまでやってもうらうものでは無い,という認識・金銭感覚に由良するのもかもしれない.
 米国人の手仕事振りや手仕事に対する認識をあれこれ観察していると,日本の「匠」というか,「何々の手仕事に神業を見た」云々というような手仕事にauraを感じる.或は神秘的なもの見出すことが米国人には無いのではないかという印象を持つ.換言すれば,特定の個人でしか出来ない手仕事は確かあるかも知れないが,基本的に技術は万人に伝授可能であり,特により良い機械の発明・工夫によってそれは実現可能だ,という万人平等主義的な技術観だ.この背景には,農作業・大工仕事・漁猟その他何でも集団で助け合って生き延びてきたという旧大陸からの入植者の伝統があると思われる.また,21世紀の現在でも,米国の家庭持ちの男にとって大工仕事他を見事にこなせることが望ましい父親像の一つであるのも,この名残かも知れない.
 この万人平等主義的な技術観辺りが,先の大戦において日米間の総動員の差異を生んだ遠因ではないか,と思われてならない.即ち,限られた時間の枠内で,如何に大量の技師,通訳,操縦士を効率よく養成するか,という課題が与えられた場合,日本的な職人観からすると,全ての職人に神業を求める或は求道者的な姿勢を要求するが,そのようにして獲得した技能は門外不出的な扱いになり,ある熟練工が生み出した高度な技能を他の職工全てが共有して職工全体,産業全体の技能の更なる底上げを図るというような姿勢が生まれにくいのではないか.各界に名人・達人は確かに存在していたが,全体でみると技能のばらつきが大きく,粒揃いになっていなかったのではないか.
 現在の日本車の信頼性は此の様な神業的なものへの拘り無しには考えられない.簡単に実現可能な所に目標を設定してそれで十分とするような姿勢では,確かに日本車が要求している精度を満たすことは不可能に違いない.しかし,時間的制約を超過して納期を逸して神業的なものを達成することよりも,所与の時間的制約内で使用に十分耐えるものであれば十分という時間的縛りが重要な物事においては,米国的な最低限の条件満足ならば可という仕事のやり方の方が秀でているのは言うまでもない.細部に拘り全体を見失うという日本人にありがちな失敗は,此の様な職人観や手仕事に対する神秘感と表裏一体のものではないだろうか.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/08/2005/ EST]

日本の金銭感覚・交渉力

2005-08-07 10:40:46 | 雑感
 山村明義氏の網誌(http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632/)を覘いたところ,8月7日付の記入に「ディスカバリー号の国際政治学」(http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632/1698406#1698406)というものがあり,日本がスペースシャトル計画等で米国に収めている上納金に対する見返りが少なく,[スペースシャトルの飛行には軍事目的の機密扱いのものがあり,それらの回で得た]軍事情報も原則的に日本はお零れに与れないことになっているそうだ.オウム真理教関連の企業に国防関係の仕事を発注したり,敵対国の間諜を日本内で闊歩させて拉致・誘拐を許しているだけでなく,他国に籠絡された政治家を国会に送り出したり,霞ヶ関で報道媒体関係者が官僚の机上の書類を捲ることを「報道の自由」で黙認していたりするなど日本側の安全保障制度上の不備等により,日本を対等の軍事同盟国として認知できないという「正論」を米国から噛まされたならば反論できないのは当然だ.これも米国から中途半端に独立し,その後,世界の常識の「独立国の条件」を法的に満たす政治的努力を怠り,経済的復興のみに驀進した昭和35(1960)年以降の日本の選択の負の遺産だ.
 また,国連の負担金に見られるように,国際的な計画に対する下手な金の使い方で御茶を濁している日本政府の金銭感覚・交渉力も,大阪市などで発覚している自治体の放漫財政同様,批判されて当然と言える.日本人は,米国と比較して,自分達の納めた税金の使われ方に対して非常に淡白というか,騙されて泣き寝入りしているというか,より上手な公金の使われ方などへの要求・執着心が希薄と言える.勿論,日本国内でも関西と関東以北では「金」に対する拘りというか認識の違いが見られる.後者では財・服務をより安く買う努力が何と無く格好悪い,下品な行為と見做されがちだ.米国内でも,雇用時の給料・待遇の交渉において,男女間に差があり,女は男と比較して「これだけですか?」という駄目元の念を押すことを怠りがちと言われている.
 此の様なより安く物・服務を手に入れるという人の意志が欠落しているだけでなく,口八丁でより安い価格・より良い条件を引き出す,という日々の実践の場が少なくなっているのも事実だ.御気楽な定価による小売販売に慣れてしまい,売り手との間の交渉次第で値段が動的に決まるというような体験が日々の生活から殆ど消えてしまった今の日本では,ヤオフク辺りで交渉力=値切り力を蘇生させるしか手立てがないのかも知れない.人間が生きていくためには,食べること,調理が不可欠で,調理をするためには,前提として,食材の調達が不可欠だ.義務教育の家庭科では調理を習うことになっているが,これに家庭経済的な側面を付加して,人間として生きていくための基本的な一能力としての物の売り買い能力=交渉力を鍛える授業,即ち,売り手と買い手に分かれての食材生産・購入の交渉・売買ゲームというようなものがあってもよいのではないか.昨今話題の総合学習の科目ならば此の様な複雑な主題も取り扱えるように思えるが.
 日本で自動車を買ったことが無いのであれこれ言えないが,米国では,自動車の購入が消費者の交渉力が試される重要な機会の一つとなっている.販売店間に顕著な販売格差が存在し,また自動車という物の単価が高いため,日々の食材等の値切りとは違い,事前の情報収集等や交渉力の巧拙如何によっては数千弗の出費の差となってしまう.最近は網路上での価格情報提供が進んでいるが,実際の販売価格はキャッチバー的な販売店の店頭に赴き,客にへばり付くだけでなく複数で取囲んで客をその場で落とそうとする販売員の連係説得を跳ね返し,此れを複数店舗を回って入手するしかない.この自動車購入をめぐる交渉・値切りは自動車が根幹を成している今の米社会にとって一つの通過儀礼だが,日本には此れに相当するようなものが果たして存在するだろうか.

註:
佐藤守氏の網誌の8月5日付記入(「税金泥棒は誰だ!」(http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050805/1123205611))で言及されている[同盟国である米国よりも]中共への忠誠度を自慢している趣の政治家を,衆議院議員として選出しているだけでなく,衆議院議長に祭り上げて余り疑問に感じない状態が続くようであれば,米国から対等の提携国としてまともに扱われないのは当然の報いと言えよう.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/07/2005/ EST]

使用済への敏感度 その二

2005-08-06 00:20:24 | 雑感
 米国の集合住宅居住者の引越は日本の其れと幾つかの点で異なっているが,特に目立つのが白物家電に関するものだ.日本の場合,集合住宅は一般的に家具その他が全く無い状態で賃貸に提供されるのが普通といえる.これに対し,米国の場合選択の幅が広いことは確かであるが,主な白物家電(冷蔵庫,洗濯機,据付型加熱調理器具)は,原則的に,部屋ないし建物内に据付けられていて賃貸人が持ち込む必要は殆ど無い.白物家電と言えば,日本では毎年何か新機能等による型番変更が予定され,俳句の季語のように白物家電の新型販売TVCMと季節の間には密接な関係が見られる.米国では,白物家電の新型販売は年毎ではないようで,TVCMも製造会社全体の印象を売り込むTVCMは放映されているが(例えば,GE, Maytag),各個別白物家電,例えば,何々新機能が付いた新型冷蔵庫についてのTVCMが放映されることは先ず無い.此方でも型番が毎年更新されているDVD関係の映像録画再生機器でも個別の型番のTVCMが放映されることも無い.即ち,一般的に,白物家電の型番の寿命が日本と比べて長いわけで,その理由としては,白物家電の機能が基本的な物に絞られていて,余り変化しない,ということが考えられる.此方の白物家電の操作盤をみると,高級品は別として,十年経っても全く変わっていないものが多い.日本で顕著な新しい機関(からくり)への期待というようなものを,米国人は白物家電に対して殆ど抱いていない,という需要側の要因が根本原因とも見做せるが,供給側も数年置きの買い替えを煽るようなmarketingをしない,或は,経営上又は組織的にやる必要がない(?)という理由も考えられる.
 また,「消費は美徳」という印象で見られやすい米国人の意外な側面が,電器具などの物持ちの良さだ.日本では当の昔に消えてなくなっている十年以上前の型番でも買い換えないで使用している事務機器や白物家電に御目にかかることが多い.新機能に対する要求が低い,あるいは基本機能だけで満足という価値観が強いところでは,新型が出たとしてもそれに直ぐ飛びついて買い換えるようなことは起きず,中古でも故障が無ければ良しで,新品を買うよりも経費節減になる,という考え方が説得力を持つようになる.更に,中古品に対する拒絶感の閾値(いきち)が日本人と比較して非常に低いことも当該傾向を強化する方向に働いていると推量される.
 平均的米国人の中古品に対する拒絶感の低さの原因は何に由来するのか色々考えてみたが良くわからない.相撲の「土が付く」という表現が示唆するように,普通の日本人には,地べたに付いたものは汚い→手放すか捨てる,という思考経路が刷り込まれている.高温多湿の国ならではの衛生観と言えようが,米国の場合,湿度が低くなるところが多いためか,汚れに対する許容度がかなり高いことは間違いない.手洗い所の床に防寒上着を平気で置き,土足を履いたまま寝台で横になったり,靴を裸で洗濯した衣類等と鞄内に同梱するなど当たり前,幼児の頃から土足可の床の上で転がって玩具をいじり指を舐めたりするのが常態である社会の衛生観からすると,他人が触ったものに触れる位は何でもないということになるのだろう.但し,南部の州で人種隔離政策が州是であった頃は,人種により手洗い所その他が峻別されていたり,黒人が白人の水泳プールで泳いだならば,水を入れ替えるとか,NY市辺りでも,白人黒人の混泳をしないのが市営ブールの不文律だったようなので,今は兎も角,昔は人種が絡むと話は別だったと言える.
 日本では義務教育の教科書が国費負担で使い捨てが当たり前になっているが,米国では此の様なことは原則的にないと言える.何故なら,教科書は学期中児童・生徒に貸し与えられて,学期が終われば回収され,次回の再利用まで教科書倉庫に保存されるというのが標準的な流儀なのだ.そのため米国の初等中等教育の教科書は複数回の再利用に耐えられるように,日本の並製本とは違い,上製本で,見返しのところに,大抵"This Book is the Property of:"云々という欄があり,貸与された者が氏名等を記入することになっている.先輩のお古を使うのが当たり前という社会通念があるところでは,中古の使い回しに対する拒絶感が低いのは当然かも知れない.教科書の使い回しは別に高校までのものではなく,大学・大学院でも,教科書は必要でなくなれば原則売り飛ばすもの,というのが此方の常識のようで,書店では,新本・古本両方が販売されているのが普通だ.
 土が付くの他に,雨に濡れる,ということに対しても,日米(多分欧米)では明らかな差異があるようだ.結核の長い歴史を持つ日本では,雨に濡れて呼吸器系の疾病に罹患することを恐れ,傘を差し,雨で濡れれば必ず体を拭いて服を乾かすのが当然となっている.昔通学していた小学校には突然の雨天のための貸し出し傘が常備してあったが,これも子供の体力・健康を考えてのものだったと考えられる.ところが,米北東部等の比較的湿度が低いところでは,乾きが早いためか,小雨程度では傘をささない者(特に男)が多い.本家の英国で男が傘を差すようになったのは比較的最近の18世紀中葉からで(http://en.wikipedia.org/wiki/Umbrella),傘は女の物=傘を差すのは女々しいという社会的認識が地下水的に米社会にも横たわっているようだ.雨でも傘を差さないと,学生の場合,本・帳面その他が濡れて紙がくたくたになってしまうが,それでも別に気にしないというのは前述の衛生観からの当然の帰結と言える.
 因みに,欧米系の近代軍隊(日本も含めて)では傘は御法度で外套着用となっているが,これは,傘を差せば片手の自由が失われて咄嗟の行動に支障を来たすことや,傘を差せば自分の居場所を敵に知らせることになる等の理由が背景にあると思われる.

註:
 米国の学生向けの宿舎等の場合,個室用として蜜柑箱を少し大きくした小型冷蔵庫を持ち込むことが多いが,これは各階・各区画共用の冷蔵庫では,いくら名前を書いておいても自分の食料品・飲料(特に麦酒)が他人に勝手に飲み食いされる仁義無き戦い的状況が頻発することに因る.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/06/2005/ EST]

TBS制作の『タイガー&ドラゴン』を視て

2005-08-05 01:22:51 | 雑感
 日本のTBSが今年4月から6月にかけて放映していた『タイガー&ドラゴン』(http://www.tbs.co.jp/TandD/)を知るきっかけとなったのは,糸井重里の網頁『タイガー&ドラゴンwithほぼ日テレビガイド』(http://www.1101.com/TandD/index.html)だった.結局全11回を通しで視たのは番組終了後一ヶ月程経った先週だったが,やはり放送と並行して視なくて幸いだった.と言うのは,放送と並行して視ていれば,次週の回はどうなるのか等あれこれ揣摩臆測して貴重な時間を浪費していたに違いないからだ.
 大学入学後のTV無しの10年間が始まる前は,大衆演芸物は落語を含めてあれこれ満遍なく視ていたと思うが,かといって古典落語に強い関心をもっていたわけでもない.落語をある程度知ることになったのは,TVではなくニッポン放送の早朝ラジオ番組「早起きも一度劇場」だった.東京の放送が四国の片隅で聴ける時間帯は,当時,夜から早朝に限られていて,深夜放送の「オール・ナイト・ニッポン」が朝5時終了して暫くの間は何とか聞ける電波状態だった.5時から確か短い報道番組が間にあったのか,それとも番組の冒頭に報道が挿入されていのか忘れてしまったが,「オール・ナイト・ニッポン」の後続の番組が「早起きも一度劇場」だった.「早起きも一度劇場」は,落語,浪曲その他の古典的録音を放送していた番組で,番組の冒頭には「東京オリンピック」で日本が女子バレー・ボールで優勝した瞬間の実況中継が挿入されていた.五代目古今亭志ん生の「火焔太鼓」や「唐茄子屋政談」を最初に聴いたのも当該番組で,『タイガー&ドラゴン』の第一回の元ネタである「芝浜」や浪曲の二代目広沢虎造の十八番「清水次郎長伝・石松三十石船」も当番組で知った.TVを持っていなかった10年間は,新宿の末廣亭(http://www.suehirotei.com/)で生の落語を一度観ただけで,落語とは殆ど縁が無かったが,故滝田ゆう氏の古典落語を描いた漫画を読んだのは此のTV無しの時代だった.
 『タイガー&ドラゴン』の各回において,元ネタの古典落語を当時(江戸時代)風に再現したものが含まれていたが,1970年代前半,古典落語をネタにした御笑い時代劇が何処かのTV放送網で日曜日夕方放映されいた.今でも覚えている配役が,岸部シロー(四郎)が演じていた若旦那で,「酢豆腐」の回では酢豆腐を食べさせられたり,「幇間腹(たいこばら)」の回では俄か覚えの鍼を幇間に打っていた.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/05/2005/ EST]

ONISHI and FRENCH:NY Times 日支共五十歩百歩批判記事

2005-08-04 07:47:19 | 雑感
 米国では購読していない新聞でも,その網站で個人情報を登録することにより,或る程度の期間中新聞掲載記事が全文無料で読めようになっている.御蔭で,新聞記事を読むために図書館に出向いたり,自腹を切って売店で新聞を買うということも殆どなくなった.しかし,印刷体版がの一面がどの様な記事構成になっていたかについては,新聞社によってはその日の第一面をPDFやGIF形式で提供している物もあるが,現物や有料電子版あたりで確認するしかない.とは言え,全国紙になると,各地域版,全国版が存在して,且つそれらについて,早版から最終版が出されるので,何を基準とするかという共通の諒解事項がなくては,第一面掲載云々と言っても余り意味は無いが.
 昨日NY TimesのNew England版最終版の一面に,比較的小さい大きさの元・現在同紙東京特派員の揃い踏み的記事が掲載された.

Ill Will Rising Between China and Japan
http://www.nytimes.com/2005/08/03/international/asia/03nationalism.html

元東京特派員は現在上海派遣記者となっているので,日本対中共の歴史問題等をめぐる昨今の関係緊張を報じたものだ.言論の自由のある国と全く無い国を,「言論の自由の旗手的存在と自負する国」の新聞が両者を対等に並べてあれこれ比較するのは無理がある,即ち,論議の前提であるはずの事前諒解事項:

「中共への常駐派遣記者が此れ此れの対当局・国・国民批判をすると国外追放処分になりますので,同紙の派遣記者署名の記事においては,当該方針に抵触する事柄は一切触れないことになっていますので,予め御諒承下さるよう御願いします」

を記事の冒頭或は最後で読者に対する警告的に注記するのが筋と思われる.しかし,最近の経済的紐帯の形成で米政権の対中共批判に凄みが欠落しているのを反映して,米の一般的対中共認識は軟化する一方だ.当該記事には,最後の方にそのような中共における検閲状況を確認する語句が用心深く一応含まれている.最近太田述正氏が,中共には文革その他で無実の罪で命を落とした人々に対する慰霊用公共施設等が無いのは何故云々という靖国神社からみの中共批判を展開していたが(http://ohtan.txt-nifty.com/column/2005/07/0797_5a4e.html),当該NY Times記事は,これと類似の批判を余傑氏から引き出して(彼の『鉄と犂』(http://www2s.biglobe.ne.jp/~youta/osamu053.htm)は中共当局の逆鱗に触れたようだ),同記事の最後を締め括り,記事が媚中的と見做されないように批判を巧く交わした終わり方になっている.日本に関する部分はOnishi記者の十八番の「築地節」の独演会状態で,保守派叩きに費やされていた.結局毎度御馴染,日本と中共は五十歩百歩で,双方とも米の高みの見物的批判を受ける対象という枠組み書かれた記事で,口では東京を持ち上げるが,本心は北京に在りという趣の米国で典型的な一極東観が窺われる仕上がりと言える.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/04/2005/ EST]

東京裁判研究会編『東條英機宣誓供述書』洋洋社 昭和23(1948)年刊を捲って

2005-08-03 00:58:42 | 読書感想
 勝谷誠彦氏の網上日記『勝谷誠彦の××な日々。』(http://www.diary.ne.jp/user/31174/)の今月一日の記入中に同書が言及されていて,未だ此方に届いていない『月刊WiLL』9月号に関連記事が二本掲載されているようだ.図書館で同本を手に取ってみると,戦後初期特有の酸化が進行した更紙刷りで170頁程度の内容だった.供述対象期間は,東條英機が昭和15(1940)年7月22日に第二次近衛内閣の陸軍大臣に任ぜられ国政に関与し始めた頃から始まり,昭和18(1943)年頃までの間の重要事項について述べているが,同書の最後の方で同期間外の事柄についても供述を行っている.よって,当該対象期間以前の昭和14(1939)年の日本海軍による海南島占領(支那事変の枠組みを越えた「南進」)等は供述対象になっていないようで,日米衝突の歴史的経緯を丁寧に振り返る点では物足らない仕上がりと言える.東條英機は日米開戦時の内閣総理大臣という貧乏籤を引かされた者で,真の責任者達は別にいる,という史観がある.東條英機によって陸軍を追われた石原莞爾は戦後,東條英機は意見・思想などなかった者(⇒懸案を実直に執行する官僚程度の器)という評価を下した.政治家ではなく,究極の官僚であった以上,自分が首班指名を拝命する以前の内閣が積み重ねてきた意思決定を政治家的な決断で突如覆すというような荒業は出来るはずもなく,政策の連続性を重んじる素直な官僚的意思決定を行い,日米開戦に首相として立ち会っただけ,という見方だ.即ち,東條英機のような官僚的思考法に囚われていた者であれば,あの昭和16(1941)年10月の段階で組閣の大命を受ければ,同じ決定(日米開戦)に至ったはずだ,と.東條英機に関する最近の論議で余り見られないのが彼の戦争指導のやり方,特に彼のやり方に反発した連中への対処や始めてしまった戦争を何時どの様な形で終結させるかという大局的判断などについての批判だ.政策実施の詳細にまで拘りがちであった究極の官僚としての東條英機には,戦争継続という既定路線を忠実になぞるようなことには向いていたかも知れないが,和平を何時どの様に開くかというような不連続的意思決定=政治家的決断は不得意であったに違いない.なお,政権末期に戦争指導や和平をめぐって重臣達との間に生じた確執等については当該供述書では触れられていない.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/03/2005/ EST]

使用済への敏感度 その一

2005-08-02 02:31:51 | 雑感
 すっかり忘れていたが,今の集合住宅に引越して来たのが丁度二年前の今日だった.波士敦近辺の賃貸契約の慣例では,契約当初の契約期間終了前に賃貸契約を店子が解約したい場合,店子側が身代わりの入居者を見つけてこない限り,契約終了までの家賃を払う義務が店子側にある.このため,波士敦近辺,特に学生向けの集合住宅等では引越時期が分散せず,典型的な契約期間9月より8月までに呼応して,引越が8月末・9月第一週に集中し,波士敦市内及びその近辺は引越貨車で大混乱となる.引越と言えば歩道に置き去りの粗大塵の山が出来するのは日米変わらずで.新聞等では,この荒れ具合を日本の「台風一過」的比喩で表現するのが慣わしのようだ.
 塵の回収は毎日やっているわけではないので,引越の際の「後は野となれ山となれ」的塵の置き去りは近隣住民の怒りを買うことは間違いない.昔読んだ或る雑誌の記事では,粗大塵が包装出来る大きさならば,包装紙で綺麗包んだりして贈答品的な修飾を施して置き去りにすると,欲気の有る連中の置き引きに遇う可能性が高く,比較的早く塵が消えてくれる,という米版引越の知恵が披瀝(ひれき)されていた.勿論,日本同様,資源再利用系転売業者が引越の時期になると活発に活動しているのは言うまでもなく,時間的余裕のある連中は救世軍の回収所に引き受けてもらえる不用品を持っていったり,引越の特別投売りを前庭その他で開くことになる.最近のeBay等の線上取引の拡大は,かつて引越時に集中していた不用品の吐き出し(地元紙の「売りたし買いたし」欄への入稿等)を均す方向に働いているかもしれない.
 他人が使用した物を再使用するか,しないかの程度は文化によって異なると思われるが,最近の日本の若者の抗菌その他の清潔志向は明らかに人手に渡る形の再使用の妨げになるだろうが,資源再利用の御経が官民共に声高に唱えられている日本の状況は資源回収・再加工を加速させているに違いない.米国の場合,特定の例外を除き,清潔さに関して大雑把であるため,前者については全く問題なく,「もったいない」を最近国際的に売り出している日本が自己嫌悪に陥るくらいの再使用が徹底している.しかし,後者の使用済み物を丁寧に集めて再加工する事については,塵埋立地に余り困っていない,再処理を促進する政府の取り組みが弱い(地球温暖化の取り組みに見られるように,数年という選挙周期に沿った視野で環境問題を認識するので,数十年先,百年先のような遠い将来の事象については検討対象外となる),社会において再処理の強迫観念が十分醸成されていないこともあり,特定の地域や特定の資源(空き缶,瓶,紙類)について例外はあるものの,日本ほど広範に進んでいるとは思えない.但し,日本から環境保護に関心の無い共産圏国に多量の産業廃棄物が統計に残らない形で輸出されているならば,日本の資源再処理・加工も評価の割引が不可欠に違いない. 
(以下,その二に続く)
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/02/2005/ EST]

江戸と明治の間  「へこ」が意味するもの

2005-08-01 06:55:23 | 江戸
 昨日網誌『ヒロさん日記』に「へこたれる」という言葉にまつわる話が載っていた.少々気になることがあったので,Gooの辞書(三省堂提供「大辞林」)で調べてみると,「へこ」には,少なくとも「褌(=ふんどし)」と「兵児(へこ)」という意味があることが分かった.Gooの辞書には,褌としての「へこ」の使用例として,『東海道中膝栗毛』でのものが掲載されていたので,江戸時代の江戸では間違いなく使われていた=江戸詰めの武士や商人を通じて全国的に知られていた可能性が高いようだが,後者の「兵児」は早くとも明治維新頃までは薩摩方面の地方語と思われる.愛媛県の中予(松山,今治近辺)では,男がしまりがなく気合が入っていない状態であることを意味する語として「へこだすい」(「だすい[=緩い]」←「堕する」?)という地方語がある.果たして,ここでの「へこ」は素直に江戸以来の褌を意味する「へこ」と解すべきなのか,それとも後述する明治末全国区的地位を得ていた「兵児帯」由来のものなのか,思わず気になってしまったのだ.
 和服の歴史を調べると,明治維新以前は薩摩方面限定であった「兵児帯」は,薩長閥の新政府のおかげで,日本全体に広がり,明治末期には既に全国区的存在になったことが知られている.例えば,夏目漱石の『我輩は猫である』の第9章では,漱石である苦沙弥先生の出で立ちが描写されている:
この座布団の上に後(うし)ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯(へこおび)をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。
(出典:http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html)
江戸生まれの江戸っ子で薩長を文化的に見下した感が端々に窺われる金之助(漱石)ですら明治39(1906)年頃兵児帯をしていたことがわかる.兵児帯も,褌同様,締りが悪いと着物の前が開けて下帯等が丸見えとなり,だらしないこと此の上ないため,意味合いによって語源を特定するのは難しい.結局,愛媛における昔の書き物その他をあたって古い使用例を探していくしかないのかもしれない.
 現代人が明治維新以降の事物をそれ以前の江戸時代に誤って投影してしまっているものは沢山ある.例えば,「であります」という語尾は元々長州言葉で,明治以降,新政府,特に陸軍を支配した長閥により,軍隊言葉として標準語に紛れ込んでしまった.よって,江戸末期の幕臣や佐幕派である新撰組の,武州生まれで関東育ちの局長近藤勇が「...であります」というような喋り方をすることはない.ところが,昨年NHKで放映された『新選組!』では,香取慎吾扮する近藤勇が「...であります」という件があり,「時代考証が比較的確りしている」とされるNHKでも脚本上の言葉までは考証が十分に及んでいなかったようだ.
 
註:
兵児帯については以下の網頁・網誌を参照:
http://www.kimono-taizen.com/know/hekoobi.htm
http://www.kimono-taizen.com/wear/w_heko1.htm
http://plaza.rakuten.co.jp/sekkourou/diary/200507220000/

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