波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

使用済への敏感度 その一

2005-08-02 02:31:51 | 雑感
 すっかり忘れていたが,今の集合住宅に引越して来たのが丁度二年前の今日だった.波士敦近辺の賃貸契約の慣例では,契約当初の契約期間終了前に賃貸契約を店子が解約したい場合,店子側が身代わりの入居者を見つけてこない限り,契約終了までの家賃を払う義務が店子側にある.このため,波士敦近辺,特に学生向けの集合住宅等では引越時期が分散せず,典型的な契約期間9月より8月までに呼応して,引越が8月末・9月第一週に集中し,波士敦市内及びその近辺は引越貨車で大混乱となる.引越と言えば歩道に置き去りの粗大塵の山が出来するのは日米変わらずで.新聞等では,この荒れ具合を日本の「台風一過」的比喩で表現するのが慣わしのようだ.
 塵の回収は毎日やっているわけではないので,引越の際の「後は野となれ山となれ」的塵の置き去りは近隣住民の怒りを買うことは間違いない.昔読んだ或る雑誌の記事では,粗大塵が包装出来る大きさならば,包装紙で綺麗包んだりして贈答品的な修飾を施して置き去りにすると,欲気の有る連中の置き引きに遇う可能性が高く,比較的早く塵が消えてくれる,という米版引越の知恵が披瀝(ひれき)されていた.勿論,日本同様,資源再利用系転売業者が引越の時期になると活発に活動しているのは言うまでもなく,時間的余裕のある連中は救世軍の回収所に引き受けてもらえる不用品を持っていったり,引越の特別投売りを前庭その他で開くことになる.最近のeBay等の線上取引の拡大は,かつて引越時に集中していた不用品の吐き出し(地元紙の「売りたし買いたし」欄への入稿等)を均す方向に働いているかもしれない.
 他人が使用した物を再使用するか,しないかの程度は文化によって異なると思われるが,最近の日本の若者の抗菌その他の清潔志向は明らかに人手に渡る形の再使用の妨げになるだろうが,資源再利用の御経が官民共に声高に唱えられている日本の状況は資源回収・再加工を加速させているに違いない.米国の場合,特定の例外を除き,清潔さに関して大雑把であるため,前者については全く問題なく,「もったいない」を最近国際的に売り出している日本が自己嫌悪に陥るくらいの再使用が徹底している.しかし,後者の使用済み物を丁寧に集めて再加工する事については,塵埋立地に余り困っていない,再処理を促進する政府の取り組みが弱い(地球温暖化の取り組みに見られるように,数年という選挙周期に沿った視野で環境問題を認識するので,数十年先,百年先のような遠い将来の事象については検討対象外となる),社会において再処理の強迫観念が十分醸成されていないこともあり,特定の地域や特定の資源(空き缶,瓶,紙類)について例外はあるものの,日本ほど広範に進んでいるとは思えない.但し,日本から環境保護に関心の無い共産圏国に多量の産業廃棄物が統計に残らない形で輸出されているならば,日本の資源再処理・加工も評価の割引が不可欠に違いない. 
(以下,その二に続く)
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