波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

使用済への敏感度 その二

2005-08-06 00:20:24 | 雑感
 米国の集合住宅居住者の引越は日本の其れと幾つかの点で異なっているが,特に目立つのが白物家電に関するものだ.日本の場合,集合住宅は一般的に家具その他が全く無い状態で賃貸に提供されるのが普通といえる.これに対し,米国の場合選択の幅が広いことは確かであるが,主な白物家電(冷蔵庫,洗濯機,据付型加熱調理器具)は,原則的に,部屋ないし建物内に据付けられていて賃貸人が持ち込む必要は殆ど無い.白物家電と言えば,日本では毎年何か新機能等による型番変更が予定され,俳句の季語のように白物家電の新型販売TVCMと季節の間には密接な関係が見られる.米国では,白物家電の新型販売は年毎ではないようで,TVCMも製造会社全体の印象を売り込むTVCMは放映されているが(例えば,GE, Maytag),各個別白物家電,例えば,何々新機能が付いた新型冷蔵庫についてのTVCMが放映されることは先ず無い.此方でも型番が毎年更新されているDVD関係の映像録画再生機器でも個別の型番のTVCMが放映されることも無い.即ち,一般的に,白物家電の型番の寿命が日本と比べて長いわけで,その理由としては,白物家電の機能が基本的な物に絞られていて,余り変化しない,ということが考えられる.此方の白物家電の操作盤をみると,高級品は別として,十年経っても全く変わっていないものが多い.日本で顕著な新しい機関(からくり)への期待というようなものを,米国人は白物家電に対して殆ど抱いていない,という需要側の要因が根本原因とも見做せるが,供給側も数年置きの買い替えを煽るようなmarketingをしない,或は,経営上又は組織的にやる必要がない(?)という理由も考えられる.
 また,「消費は美徳」という印象で見られやすい米国人の意外な側面が,電器具などの物持ちの良さだ.日本では当の昔に消えてなくなっている十年以上前の型番でも買い換えないで使用している事務機器や白物家電に御目にかかることが多い.新機能に対する要求が低い,あるいは基本機能だけで満足という価値観が強いところでは,新型が出たとしてもそれに直ぐ飛びついて買い換えるようなことは起きず,中古でも故障が無ければ良しで,新品を買うよりも経費節減になる,という考え方が説得力を持つようになる.更に,中古品に対する拒絶感の閾値(いきち)が日本人と比較して非常に低いことも当該傾向を強化する方向に働いていると推量される.
 平均的米国人の中古品に対する拒絶感の低さの原因は何に由来するのか色々考えてみたが良くわからない.相撲の「土が付く」という表現が示唆するように,普通の日本人には,地べたに付いたものは汚い→手放すか捨てる,という思考経路が刷り込まれている.高温多湿の国ならではの衛生観と言えようが,米国の場合,湿度が低くなるところが多いためか,汚れに対する許容度がかなり高いことは間違いない.手洗い所の床に防寒上着を平気で置き,土足を履いたまま寝台で横になったり,靴を裸で洗濯した衣類等と鞄内に同梱するなど当たり前,幼児の頃から土足可の床の上で転がって玩具をいじり指を舐めたりするのが常態である社会の衛生観からすると,他人が触ったものに触れる位は何でもないということになるのだろう.但し,南部の州で人種隔離政策が州是であった頃は,人種により手洗い所その他が峻別されていたり,黒人が白人の水泳プールで泳いだならば,水を入れ替えるとか,NY市辺りでも,白人黒人の混泳をしないのが市営ブールの不文律だったようなので,今は兎も角,昔は人種が絡むと話は別だったと言える.
 日本では義務教育の教科書が国費負担で使い捨てが当たり前になっているが,米国では此の様なことは原則的にないと言える.何故なら,教科書は学期中児童・生徒に貸し与えられて,学期が終われば回収され,次回の再利用まで教科書倉庫に保存されるというのが標準的な流儀なのだ.そのため米国の初等中等教育の教科書は複数回の再利用に耐えられるように,日本の並製本とは違い,上製本で,見返しのところに,大抵"This Book is the Property of:"云々という欄があり,貸与された者が氏名等を記入することになっている.先輩のお古を使うのが当たり前という社会通念があるところでは,中古の使い回しに対する拒絶感が低いのは当然かも知れない.教科書の使い回しは別に高校までのものではなく,大学・大学院でも,教科書は必要でなくなれば原則売り飛ばすもの,というのが此方の常識のようで,書店では,新本・古本両方が販売されているのが普通だ.
 土が付くの他に,雨に濡れる,ということに対しても,日米(多分欧米)では明らかな差異があるようだ.結核の長い歴史を持つ日本では,雨に濡れて呼吸器系の疾病に罹患することを恐れ,傘を差し,雨で濡れれば必ず体を拭いて服を乾かすのが当然となっている.昔通学していた小学校には突然の雨天のための貸し出し傘が常備してあったが,これも子供の体力・健康を考えてのものだったと考えられる.ところが,米北東部等の比較的湿度が低いところでは,乾きが早いためか,小雨程度では傘をささない者(特に男)が多い.本家の英国で男が傘を差すようになったのは比較的最近の18世紀中葉からで(http://en.wikipedia.org/wiki/Umbrella),傘は女の物=傘を差すのは女々しいという社会的認識が地下水的に米社会にも横たわっているようだ.雨でも傘を差さないと,学生の場合,本・帳面その他が濡れて紙がくたくたになってしまうが,それでも別に気にしないというのは前述の衛生観からの当然の帰結と言える.
 因みに,欧米系の近代軍隊(日本も含めて)では傘は御法度で外套着用となっているが,これは,傘を差せば片手の自由が失われて咄嗟の行動に支障を来たすことや,傘を差せば自分の居場所を敵に知らせることになる等の理由が背景にあると思われる.

註:
 米国の学生向けの宿舎等の場合,個室用として蜜柑箱を少し大きくした小型冷蔵庫を持ち込むことが多いが,これは各階・各区画共用の冷蔵庫では,いくら名前を書いておいても自分の食料品・飲料(特に麦酒)が他人に勝手に飲み食いされる仁義無き戦い的状況が頻発することに因る.
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