波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

ONISHI and FRENCH:NY Times 日支共五十歩百歩批判記事

2005-08-04 07:47:19 | 雑感
 米国では購読していない新聞でも,その網站で個人情報を登録することにより,或る程度の期間中新聞掲載記事が全文無料で読めようになっている.御蔭で,新聞記事を読むために図書館に出向いたり,自腹を切って売店で新聞を買うということも殆どなくなった.しかし,印刷体版がの一面がどの様な記事構成になっていたかについては,新聞社によってはその日の第一面をPDFやGIF形式で提供している物もあるが,現物や有料電子版あたりで確認するしかない.とは言え,全国紙になると,各地域版,全国版が存在して,且つそれらについて,早版から最終版が出されるので,何を基準とするかという共通の諒解事項がなくては,第一面掲載云々と言っても余り意味は無いが.
 昨日NY TimesのNew England版最終版の一面に,比較的小さい大きさの元・現在同紙東京特派員の揃い踏み的記事が掲載された.

Ill Will Rising Between China and Japan
http://www.nytimes.com/2005/08/03/international/asia/03nationalism.html

元東京特派員は現在上海派遣記者となっているので,日本対中共の歴史問題等をめぐる昨今の関係緊張を報じたものだ.言論の自由のある国と全く無い国を,「言論の自由の旗手的存在と自負する国」の新聞が両者を対等に並べてあれこれ比較するのは無理がある,即ち,論議の前提であるはずの事前諒解事項:

「中共への常駐派遣記者が此れ此れの対当局・国・国民批判をすると国外追放処分になりますので,同紙の派遣記者署名の記事においては,当該方針に抵触する事柄は一切触れないことになっていますので,予め御諒承下さるよう御願いします」

を記事の冒頭或は最後で読者に対する警告的に注記するのが筋と思われる.しかし,最近の経済的紐帯の形成で米政権の対中共批判に凄みが欠落しているのを反映して,米の一般的対中共認識は軟化する一方だ.当該記事には,最後の方にそのような中共における検閲状況を確認する語句が用心深く一応含まれている.最近太田述正氏が,中共には文革その他で無実の罪で命を落とした人々に対する慰霊用公共施設等が無いのは何故云々という靖国神社からみの中共批判を展開していたが(http://ohtan.txt-nifty.com/column/2005/07/0797_5a4e.html),当該NY Times記事は,これと類似の批判を余傑氏から引き出して(彼の『鉄と犂』(http://www2s.biglobe.ne.jp/~youta/osamu053.htm)は中共当局の逆鱗に触れたようだ),同記事の最後を締め括り,記事が媚中的と見做されないように批判を巧く交わした終わり方になっている.日本に関する部分はOnishi記者の十八番の「築地節」の独演会状態で,保守派叩きに費やされていた.結局毎度御馴染,日本と中共は五十歩百歩で,双方とも米の高みの見物的批判を受ける対象という枠組み書かれた記事で,口では東京を持ち上げるが,本心は北京に在りという趣の米国で典型的な一極東観が窺われる仕上がりと言える.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/04/2005/ EST]