波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

日本の金銭感覚・交渉力

2005-08-07 10:40:46 | 雑感
 山村明義氏の網誌(http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632/)を覘いたところ,8月7日付の記入に「ディスカバリー号の国際政治学」(http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632/1698406#1698406)というものがあり,日本がスペースシャトル計画等で米国に収めている上納金に対する見返りが少なく,[スペースシャトルの飛行には軍事目的の機密扱いのものがあり,それらの回で得た]軍事情報も原則的に日本はお零れに与れないことになっているそうだ.オウム真理教関連の企業に国防関係の仕事を発注したり,敵対国の間諜を日本内で闊歩させて拉致・誘拐を許しているだけでなく,他国に籠絡された政治家を国会に送り出したり,霞ヶ関で報道媒体関係者が官僚の机上の書類を捲ることを「報道の自由」で黙認していたりするなど日本側の安全保障制度上の不備等により,日本を対等の軍事同盟国として認知できないという「正論」を米国から噛まされたならば反論できないのは当然だ.これも米国から中途半端に独立し,その後,世界の常識の「独立国の条件」を法的に満たす政治的努力を怠り,経済的復興のみに驀進した昭和35(1960)年以降の日本の選択の負の遺産だ.
 また,国連の負担金に見られるように,国際的な計画に対する下手な金の使い方で御茶を濁している日本政府の金銭感覚・交渉力も,大阪市などで発覚している自治体の放漫財政同様,批判されて当然と言える.日本人は,米国と比較して,自分達の納めた税金の使われ方に対して非常に淡白というか,騙されて泣き寝入りしているというか,より上手な公金の使われ方などへの要求・執着心が希薄と言える.勿論,日本国内でも関西と関東以北では「金」に対する拘りというか認識の違いが見られる.後者では財・服務をより安く買う努力が何と無く格好悪い,下品な行為と見做されがちだ.米国内でも,雇用時の給料・待遇の交渉において,男女間に差があり,女は男と比較して「これだけですか?」という駄目元の念を押すことを怠りがちと言われている.
 此の様なより安く物・服務を手に入れるという人の意志が欠落しているだけでなく,口八丁でより安い価格・より良い条件を引き出す,という日々の実践の場が少なくなっているのも事実だ.御気楽な定価による小売販売に慣れてしまい,売り手との間の交渉次第で値段が動的に決まるというような体験が日々の生活から殆ど消えてしまった今の日本では,ヤオフク辺りで交渉力=値切り力を蘇生させるしか手立てがないのかも知れない.人間が生きていくためには,食べること,調理が不可欠で,調理をするためには,前提として,食材の調達が不可欠だ.義務教育の家庭科では調理を習うことになっているが,これに家庭経済的な側面を付加して,人間として生きていくための基本的な一能力としての物の売り買い能力=交渉力を鍛える授業,即ち,売り手と買い手に分かれての食材生産・購入の交渉・売買ゲームというようなものがあってもよいのではないか.昨今話題の総合学習の科目ならば此の様な複雑な主題も取り扱えるように思えるが.
 日本で自動車を買ったことが無いのであれこれ言えないが,米国では,自動車の購入が消費者の交渉力が試される重要な機会の一つとなっている.販売店間に顕著な販売格差が存在し,また自動車という物の単価が高いため,日々の食材等の値切りとは違い,事前の情報収集等や交渉力の巧拙如何によっては数千弗の出費の差となってしまう.最近は網路上での価格情報提供が進んでいるが,実際の販売価格はキャッチバー的な販売店の店頭に赴き,客にへばり付くだけでなく複数で取囲んで客をその場で落とそうとする販売員の連係説得を跳ね返し,此れを複数店舗を回って入手するしかない.この自動車購入をめぐる交渉・値切りは自動車が根幹を成している今の米社会にとって一つの通過儀礼だが,日本には此れに相当するようなものが果たして存在するだろうか.

註:
佐藤守氏の網誌の8月5日付記入(「税金泥棒は誰だ!」(http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050805/1123205611))で言及されている[同盟国である米国よりも]中共への忠誠度を自慢している趣の政治家を,衆議院議員として選出しているだけでなく,衆議院議長に祭り上げて余り疑問に感じない状態が続くようであれば,米国から対等の提携国としてまともに扱われないのは当然の報いと言えよう.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/07/2005/ EST]