明日は何をしようかな…

趣味の手芸や読書などのことを中心に、日々の生活のことも書いてみたいと思います。

聖書を読む?

2014-01-30 | 雑文

突然キリスト教に目覚めた
ということではないんです

 

      

 

私の両親はプロテスタントのクリスチャンで
その環境のもとで育ちました。

幼稚園もその教会が運営する幼稚園に
わざわざ通い、小学校に入っても
日曜日は教会学校へ行くのが当たり前の
生活を中1ぐらいまでしてました。

結局のところ自分の意志で
バプテスマ(洗礼)は受けませんでしたが
それは後悔してないし
間違ってもいなかったなと思っています。

が、やっぱり物事の善悪など色々考える時に
道徳的な基本は聖書からきているように思う今日この頃。

三つ子の魂百までとはいうものの
きっちり刷り込まれている気がします。

幼稚園でも教会学校でも聖句暗唱というのがあって
【今月の聖句】みたいなのを覚えさせられるんですけど
何年も通っていると繰り返しになるので
今でもスッと口から出てくるのが恐ろしい。

でもイチバン好きなのは聖句ではなくて
こどもさんびかの一節

 ことりたちは小さくてもお守りなさる神さま

わたしたちは小さくてもおめぐみなさる神さま

悪いことは小さくてもおきらいなさる神さま

歌の声は小さくても喜びなさる神さま


こんな表紙でした(Amazonから)


ここ30年ほどは←もっとかな?
実生活の方が忙し過ぎて
そういうことも忘れがちだったけど
この頃、原点回帰なのか
聖書が気になるようになってきました。

教会学校も高校生ぐらいになると
聖書研究のクラスがあって
深く掘り下げる機会もあったようだけど
それ以前に行かなくなってしまったので、
聖句を覚えて意味を解説してもらって
聖書の物語を聞くだけで終わっていたなと気がつきました。

お正月に大塚国際美術館に行ったときにも
さまざまな画家が描いた宗教画を見ているうちに
そういえば、聖書のお話を聞くときに
こういう大きな絵を数枚見ながら
「へぇ」とか「こわ~」とか思ってたよなぁ…
ということを密かに思い出しました。

今なら地理もわかるし歴史的な背景も理解できるから
もう少し興味深く読むことができるのではないかな…

そうだ、今年は聖書を読んでみよう!

と思い立ったのはよかったのだけど…

ずいぶん前に娘が小学校の校門の前でもらってきた
ギデオン協会の新約聖書は訳が柔らかすぎて違和感。
以前、母にそのことを話すと
「そうなのよ、最近の聖書は読みにくいのよ」
と言われた覚えが…

やっぱりな

昔読んだ、あの聖書のリズムじゃないと…

じゃあ、私が読んでいた時代の聖書って
いつ出版されたものだったんだろう???

 

      

 

年明け早々、捜索開始!
もちろん、ネット上で

検索の結果、
1954年版だったことが判明。

まず文語版・口語版があり、
文語版の中身を見てみると…さすがに違うわ

口語版の聖書の中身をみて
自分が覚えている聖句と照らし合わせて
しっくりくるのが1954年版だったというわけで…

聖書は版権(?)が切れているのか
ネット上でデータが公開されていることを
発見したのが今回の収穫かも。

が、PCじゃ読みたいときにパラパラと…
という訳にはいかないし、
紙の本は重いし、そこそこのお値段だし…

もしやと思ってamazonを見てみると
まさかのKindle!
電子化されたKindle版がありました。

無料ではなかったけど200円までで
色々なバージョンがあり目移り~

が、決められず現在に至る

 

      

 

聖書探しの決め手になった聖句はこちら

わたしはぶどうの木
あなたがたはその枝である
ヨハネ15:5

どうしてかって?
ぶどうの絵と共に描かれた絵皿が
長い間 実家の壁に掛けられていたから

人間、こんなもんでしょ

Comments (2)
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