中央日報によると、<中国メディアは日本を訪問中のダライ・ラマが12日に横浜で行われた記者会見で、釣魚島を「尖閣諸島」と呼んだと報道した。だが、発言内容と脈絡は詳しく紹介されなかった。AP通信は録音した記者会見の内容を分析した結果、単に「その島々」とだけ称したと報道した。
発言をめぐる議論は中国共産党全国代表大会を迎え独立を要求するチベット人の焼身自殺が相次ぐ中で出てきた。新華社通信は青海省同仁県で12日にチベット人青年2人が焼身して死亡したと伝えた。大会開幕前日の7日からこの日まで9人のチベット人が焼身自殺した。中国政府はダライ・ラマがチベット人の分裂を扇動していると非難してきた。>
中国によるチベットやウイグルに対する侵略は度を増しているようだ。
中国は長期戦略により、迫害は常態化しチベット・ウイグルの人々の疲弊と諦めを待っている。
今日は、以下の記事を読み涙が滲んできた。
この現実を知り、より多くの方々にお知らせしたく全文を掲載しました。
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写真家うるまの世界一周放浪記!!
とても大切なことを記した。
僕の2012年10月30日の日記です。
どうしても書かずにはいられず、どうしてもアップせずにはいられなかった。
長いけれども、読んでもらえればと思う。
中国四川省とチベット自治区との境界線付近、チベット文化が色濃いカム地方でのある一日に起こった出来事のことである。
2012年10月30日の日記。
中国四川省カム地方
今日見た出来事を出来る限り、正しい文章と描写で書きたいと思うのだけれども、正直自信がない。
早朝、カンゼからダオフに向かうシェアタクシーに乗った。その時、ふたり連れのチベット人がこの車が行くから一緒に行こうといってくれた。彼らはダオフ出身で、ふたりとも若いのでそんな感じには見えなかったけれどもタンカを描く職人だった。車の中で片言の中国語でやりとりしていたのだけれども、それだけでも充分そのふたりがいい人たちであることはわかった。
そのうちのひとりはパンツォと言う名前で、途中から乗って来た夫婦のために席を譲り狭い助手席をふたりがけするなどして優しい人だった。
僕が日本人だというと、彼らはうれしそうに喜んでくれて、日本のことは好きだといって、そして中国は嫌いだとくわえた。
カンゼを出た車はルーフォーまで行き、そこでダオフ行きに乗り換えることになった。彼らもダオフに行くので、車を移る時もこっちだよ、と言って手伝ってくれた。
車はすぐに走り出し、30分もすると公安による検問所に到着した。四川省カム地方はチベットエリアである。チベット自治区内ではないけれども、中国政府とチベットとの衝突はこれまで数えきれない。今年に入ってから僧侶の焼身自殺も多く起こっていて、つい数ヶ月前までは外国人はこういった検問所で追い返されて入域することさえ出来なかった。ここの検問所はこの地方にある他の検問所に比べて随分としっかりとしていえる印象を受けた。
色達で交番に軟禁され尾行されて宿の部屋まで公安がやって来たり、アチェンガルゴンパでは何もしてないのに職務質問されたりと、これまでカム地方にきてから公安に睨まれ続けているので、嫌だなと感じた。
前の車の検問が終わり、乗っている車の番になった。公安の係官が車に歩いて来る。目が据わっていて、冷たい印象を受けた。その係官は何も言わず助手席のドアを開け、そこに座っていたパンツォをいきなり掴み車外に強引に引きおろしたかと思うと、彼を殴り始めた。すると何人かの公安がさっと近づいて来て、止めるのかと思ったら彼らも一緒になってパンツォを殴ったり蹴り始めた。パンツォはその間、一切抵抗することはなく殴られ続けている。地面に倒れ、鼻血を流している。
あまりに突然のことだったのと、まったくもってそんなことを予期していなかったので、正直、意味がよくわからなかった。ただ公安がチベット人に対して日常的に暴力をふるっているのだということは、その公安たちの慣れた感じからすぐにわかった。
驚いて何も言えない僕ら他の乗客をよそに、公安はパンツォを建物内に連行して行った。そして僕らのところにも公安がやってきて身分証明書の提出を求めた。この調子だと間違いなく日本人である僕も外国人だということで連行されてしまうとおもったのだけれども、なぜか他の検問所よりもチェックは甘く、パスポートを一瞥しただけだった。
車はパンツォとその友人を残して動き出し、このまま彼らは公安に捕われてでてこれないのだろうかと思ったのだけれども、50mほど移動して他の車の通行の邪魔にならない場所に停車した。そして10分ほどすると、建物内からパンツォが出て来て車に乗り込んで来た。どうやら一緒にダフオまで行くことができるようである。僕はこのとき、彼が無事に戻って来たことに安堵したと同時に、突然目の前に現れた冷徹な暴力に言葉を失い、また自分の無力さにうちひしがれていた。
車は走り出し、チベット人たちは口々にいま起こったことについて話している。何を話しているのかわからないけれども、この出来事は彼らにとって日常茶飯事であるということがその落ち着いた様子からわかった。パンツォは無意味に殴られたのにもかかわらず、怒ることもなく落ち着いていて、時折笑顔を浮かべながら話をしている。
しかし、チベットと中国政府との衝突の問題を実際目の当たりにした僕は、冷静で居ることができなかった。
初めて見のあたりにした無意味で徹底的な冷たさを持った暴力の現場。あの暴力には意味がないのである。怒りもなければ憎しみも主義主張もない。ただ殴りたいから殴っただけ。動機のない暴力なのである。そんなものはこれまで見たこともなかったし想像したこともなかった。それがまず僕にとって衝撃的だった。
そして、パンツォを始めチベット人たちの忍耐強さ。何もしてないのに殴られているというのに、抵抗することがない。怒りに我を忘れ反撃するでもない。暴力を受け止め、受け入れている。それは暴力が何も生み出さないことをきっと知っているのだと思う。その彼らの無抵抗の強さ。それを持っているからこそ、殴られて車に帰って来た時も、平然としていられるのだと思う。
彼らチベット人は、きっと違う次元に居るのだと思う。中国公安のような人たちが辿り着くことができない精神的な深みにいる。そこからこの世界を捉えている。だからこそ強く居られるのだとおもう。
彼らの前では暴力は弱く、無抵抗は限りなく強く見える。公安がチベット人を虐げれば虐げるほど、中国は追い込まれていく。それをわかっていない。彼らはそれだけの精神世界を持ち合わせていない。彼らにとって世界とは狭く息苦しいに違いないと思う。
チベット人が持ち合わせる世界観の広さと深さと優しさ。その一片も想像することができないだろう。
僕は外の風景を見ながらそんなことをずっと考え続けていた。あまりにも心が衝撃を受けていたので、もはや風景はほとんど目に入っていなかった。
その後、車は無事目的地ダオフに辿り着いた。
車を降り、パンツォに向かい合う。なんて言えばよくわからない。僕が何か言いたそうにしているのにもごもごしている様子を気遣って彼は笑顔で、僕は大丈夫だよ、と言った。その笑顔の屈託のなさ。いままで見た笑顔の中でもっとも優しい笑顔だった。
僕はなんとか、一言だけでもいいから彼に何かを伝えたくて、ペンと紙を取り出し、そこに中国語で「我愛西蔵人」と書いた。その意味は「僕はチベット人のことが好きです」、といった感じである。
頑張れとか、大丈夫??とか、そんな言葉ではなく、彼らに僕が日本から来たと伝えた時に「日本のことは好きだよ」と言ってくれたように、僕もチベットが好きだと伝えたかった。それ以外に僕には何も言うことができなかった。それ以外の言葉はどれをとっても正しくないように思えた。
そして同時に、彼と僕との間でコミュニケーションを取る上で、中国語を介さないといけないということにもどかしさを感じた。もし僕がチベット語を話し、またはパンツォが英語が話すことができれば良かったのだけれども、そのどちらもできなかった。中国語でしか彼に何かを伝えることができない皮肉。それでも僕は彼に何かを伝えなければ気が済まなかったのである。
その後、パンツォは僕を知り合いのチベット人が経営する宿まで連れて行ってくれて、本当はツーリストは外国人料金を払わないといけないのに、パンツォが「僕の友達なんだ」といってチベット人価格で泊まらせてくれるように交渉してくれた。
そして彼は何事もなかったように、じゃあと言って立ち去ろうとした。僕は彼のこのやさしさに触れて、もう言葉を発することができなかった。手を差し出し握手をして、僕のいまの気持を伝えたかったけれども、それだけではものたりなかったので、さっき車を降りた時に「我愛西蔵人」と書いたノートを切り取り、彼に渡した。かれはそれを受け取って、またあの優しい笑顔でありがとうと言ったのであった。
今日のこの出来事のことを、どうすれば正確に伝えることができるだろうか。僕が感じたもどかしさや衝撃。目の当たりにした公安の暴力の冷たさ、チベット人たちの精神世界の広さ。
この出来事は、この旅に大きな意味を持つことになると思う。これまでであらゆる意味において、一番深く僕の心の奥底に響いた。パンツォと別れたあと、部屋に入りしばらく言葉を発することができず、ただずっとぼぉーっと過ごした。
僕は完成されていない未熟な写真家だけれども、それでもやはりひとりの表現者として、今日僕が見た世界は文字だろうが写真だろうが伝えなければならないと感じている。
正直、僕は使命感というものを感じたことはない。むしろ使命感から物事を表現するということ自体に僕は否定的である。僕はただ自分のために写真を撮り、自分の心のバランスを保つためだけに文章を書いている。すべては自分のためなのである。これまでずっとそうしてやって来たし、これからも基本的なスタンスはそうだろうと思う。
でも今日この出来事を目にして、それを目にした人間として、それをきちんと伝えなければならないという一種の使命感のようなものを感じた。自分から使命感にかられて行動を起こして何処かに向かうことはないけれども、向こうから突然やって来た出来事に対しては違う。だからここに記すことにした。
僕はここに何の主義主張も入れるつもりはない。チベット人と喧嘩したり、漢民族の人たちと仲良くなって楽しい時間を過ごしたり、そういうこともあった。それを語らずにこの出来事だけを語るという取捨選択をしている時点で、もはや何かしらの主義主張がここにあるということができるわけだけれども、でもそれ以上のものをこの文章に入れ込むつもりはない。ただこういうことが今日ここで起こり、僕はこう感じたということを知ってもらえればそれでいいと思っている。
僕は、僕の文章と写真を目にする人びとが世界を覗くために存在するひとつの媒介である。
あとはそれに触れた人びとが感じるままに任せたいと思う
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タンカ:チベット仏教の仏画の掛軸の総称
写真家うるまの世界一周放浪記!!
発言をめぐる議論は中国共産党全国代表大会を迎え独立を要求するチベット人の焼身自殺が相次ぐ中で出てきた。新華社通信は青海省同仁県で12日にチベット人青年2人が焼身して死亡したと伝えた。大会開幕前日の7日からこの日まで9人のチベット人が焼身自殺した。中国政府はダライ・ラマがチベット人の分裂を扇動していると非難してきた。>
中国によるチベットやウイグルに対する侵略は度を増しているようだ。
中国は長期戦略により、迫害は常態化しチベット・ウイグルの人々の疲弊と諦めを待っている。
今日は、以下の記事を読み涙が滲んできた。
この現実を知り、より多くの方々にお知らせしたく全文を掲載しました。
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写真家うるまの世界一周放浪記!!
とても大切なことを記した。
僕の2012年10月30日の日記です。
どうしても書かずにはいられず、どうしてもアップせずにはいられなかった。
長いけれども、読んでもらえればと思う。
中国四川省とチベット自治区との境界線付近、チベット文化が色濃いカム地方でのある一日に起こった出来事のことである。
2012年10月30日の日記。
中国四川省カム地方
今日見た出来事を出来る限り、正しい文章と描写で書きたいと思うのだけれども、正直自信がない。
早朝、カンゼからダオフに向かうシェアタクシーに乗った。その時、ふたり連れのチベット人がこの車が行くから一緒に行こうといってくれた。彼らはダオフ出身で、ふたりとも若いのでそんな感じには見えなかったけれどもタンカを描く職人だった。車の中で片言の中国語でやりとりしていたのだけれども、それだけでも充分そのふたりがいい人たちであることはわかった。
そのうちのひとりはパンツォと言う名前で、途中から乗って来た夫婦のために席を譲り狭い助手席をふたりがけするなどして優しい人だった。
僕が日本人だというと、彼らはうれしそうに喜んでくれて、日本のことは好きだといって、そして中国は嫌いだとくわえた。
カンゼを出た車はルーフォーまで行き、そこでダオフ行きに乗り換えることになった。彼らもダオフに行くので、車を移る時もこっちだよ、と言って手伝ってくれた。
車はすぐに走り出し、30分もすると公安による検問所に到着した。四川省カム地方はチベットエリアである。チベット自治区内ではないけれども、中国政府とチベットとの衝突はこれまで数えきれない。今年に入ってから僧侶の焼身自殺も多く起こっていて、つい数ヶ月前までは外国人はこういった検問所で追い返されて入域することさえ出来なかった。ここの検問所はこの地方にある他の検問所に比べて随分としっかりとしていえる印象を受けた。
色達で交番に軟禁され尾行されて宿の部屋まで公安がやって来たり、アチェンガルゴンパでは何もしてないのに職務質問されたりと、これまでカム地方にきてから公安に睨まれ続けているので、嫌だなと感じた。
前の車の検問が終わり、乗っている車の番になった。公安の係官が車に歩いて来る。目が据わっていて、冷たい印象を受けた。その係官は何も言わず助手席のドアを開け、そこに座っていたパンツォをいきなり掴み車外に強引に引きおろしたかと思うと、彼を殴り始めた。すると何人かの公安がさっと近づいて来て、止めるのかと思ったら彼らも一緒になってパンツォを殴ったり蹴り始めた。パンツォはその間、一切抵抗することはなく殴られ続けている。地面に倒れ、鼻血を流している。
あまりに突然のことだったのと、まったくもってそんなことを予期していなかったので、正直、意味がよくわからなかった。ただ公安がチベット人に対して日常的に暴力をふるっているのだということは、その公安たちの慣れた感じからすぐにわかった。
驚いて何も言えない僕ら他の乗客をよそに、公安はパンツォを建物内に連行して行った。そして僕らのところにも公安がやってきて身分証明書の提出を求めた。この調子だと間違いなく日本人である僕も外国人だということで連行されてしまうとおもったのだけれども、なぜか他の検問所よりもチェックは甘く、パスポートを一瞥しただけだった。
車はパンツォとその友人を残して動き出し、このまま彼らは公安に捕われてでてこれないのだろうかと思ったのだけれども、50mほど移動して他の車の通行の邪魔にならない場所に停車した。そして10分ほどすると、建物内からパンツォが出て来て車に乗り込んで来た。どうやら一緒にダフオまで行くことができるようである。僕はこのとき、彼が無事に戻って来たことに安堵したと同時に、突然目の前に現れた冷徹な暴力に言葉を失い、また自分の無力さにうちひしがれていた。
車は走り出し、チベット人たちは口々にいま起こったことについて話している。何を話しているのかわからないけれども、この出来事は彼らにとって日常茶飯事であるということがその落ち着いた様子からわかった。パンツォは無意味に殴られたのにもかかわらず、怒ることもなく落ち着いていて、時折笑顔を浮かべながら話をしている。
しかし、チベットと中国政府との衝突の問題を実際目の当たりにした僕は、冷静で居ることができなかった。
初めて見のあたりにした無意味で徹底的な冷たさを持った暴力の現場。あの暴力には意味がないのである。怒りもなければ憎しみも主義主張もない。ただ殴りたいから殴っただけ。動機のない暴力なのである。そんなものはこれまで見たこともなかったし想像したこともなかった。それがまず僕にとって衝撃的だった。
そして、パンツォを始めチベット人たちの忍耐強さ。何もしてないのに殴られているというのに、抵抗することがない。怒りに我を忘れ反撃するでもない。暴力を受け止め、受け入れている。それは暴力が何も生み出さないことをきっと知っているのだと思う。その彼らの無抵抗の強さ。それを持っているからこそ、殴られて車に帰って来た時も、平然としていられるのだと思う。
彼らチベット人は、きっと違う次元に居るのだと思う。中国公安のような人たちが辿り着くことができない精神的な深みにいる。そこからこの世界を捉えている。だからこそ強く居られるのだとおもう。
彼らの前では暴力は弱く、無抵抗は限りなく強く見える。公安がチベット人を虐げれば虐げるほど、中国は追い込まれていく。それをわかっていない。彼らはそれだけの精神世界を持ち合わせていない。彼らにとって世界とは狭く息苦しいに違いないと思う。
チベット人が持ち合わせる世界観の広さと深さと優しさ。その一片も想像することができないだろう。
僕は外の風景を見ながらそんなことをずっと考え続けていた。あまりにも心が衝撃を受けていたので、もはや風景はほとんど目に入っていなかった。
その後、車は無事目的地ダオフに辿り着いた。
車を降り、パンツォに向かい合う。なんて言えばよくわからない。僕が何か言いたそうにしているのにもごもごしている様子を気遣って彼は笑顔で、僕は大丈夫だよ、と言った。その笑顔の屈託のなさ。いままで見た笑顔の中でもっとも優しい笑顔だった。
僕はなんとか、一言だけでもいいから彼に何かを伝えたくて、ペンと紙を取り出し、そこに中国語で「我愛西蔵人」と書いた。その意味は「僕はチベット人のことが好きです」、といった感じである。
頑張れとか、大丈夫??とか、そんな言葉ではなく、彼らに僕が日本から来たと伝えた時に「日本のことは好きだよ」と言ってくれたように、僕もチベットが好きだと伝えたかった。それ以外に僕には何も言うことができなかった。それ以外の言葉はどれをとっても正しくないように思えた。
そして同時に、彼と僕との間でコミュニケーションを取る上で、中国語を介さないといけないということにもどかしさを感じた。もし僕がチベット語を話し、またはパンツォが英語が話すことができれば良かったのだけれども、そのどちらもできなかった。中国語でしか彼に何かを伝えることができない皮肉。それでも僕は彼に何かを伝えなければ気が済まなかったのである。
その後、パンツォは僕を知り合いのチベット人が経営する宿まで連れて行ってくれて、本当はツーリストは外国人料金を払わないといけないのに、パンツォが「僕の友達なんだ」といってチベット人価格で泊まらせてくれるように交渉してくれた。
そして彼は何事もなかったように、じゃあと言って立ち去ろうとした。僕は彼のこのやさしさに触れて、もう言葉を発することができなかった。手を差し出し握手をして、僕のいまの気持を伝えたかったけれども、それだけではものたりなかったので、さっき車を降りた時に「我愛西蔵人」と書いたノートを切り取り、彼に渡した。かれはそれを受け取って、またあの優しい笑顔でありがとうと言ったのであった。
今日のこの出来事のことを、どうすれば正確に伝えることができるだろうか。僕が感じたもどかしさや衝撃。目の当たりにした公安の暴力の冷たさ、チベット人たちの精神世界の広さ。
この出来事は、この旅に大きな意味を持つことになると思う。これまでであらゆる意味において、一番深く僕の心の奥底に響いた。パンツォと別れたあと、部屋に入りしばらく言葉を発することができず、ただずっとぼぉーっと過ごした。
僕は完成されていない未熟な写真家だけれども、それでもやはりひとりの表現者として、今日僕が見た世界は文字だろうが写真だろうが伝えなければならないと感じている。
正直、僕は使命感というものを感じたことはない。むしろ使命感から物事を表現するということ自体に僕は否定的である。僕はただ自分のために写真を撮り、自分の心のバランスを保つためだけに文章を書いている。すべては自分のためなのである。これまでずっとそうしてやって来たし、これからも基本的なスタンスはそうだろうと思う。
でも今日この出来事を目にして、それを目にした人間として、それをきちんと伝えなければならないという一種の使命感のようなものを感じた。自分から使命感にかられて行動を起こして何処かに向かうことはないけれども、向こうから突然やって来た出来事に対しては違う。だからここに記すことにした。
僕はここに何の主義主張も入れるつもりはない。チベット人と喧嘩したり、漢民族の人たちと仲良くなって楽しい時間を過ごしたり、そういうこともあった。それを語らずにこの出来事だけを語るという取捨選択をしている時点で、もはや何かしらの主義主張がここにあるということができるわけだけれども、でもそれ以上のものをこの文章に入れ込むつもりはない。ただこういうことが今日ここで起こり、僕はこう感じたということを知ってもらえればそれでいいと思っている。
僕は、僕の文章と写真を目にする人びとが世界を覗くために存在するひとつの媒介である。
あとはそれに触れた人びとが感じるままに任せたいと思う
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タンカ:チベット仏教の仏画の掛軸の総称
写真家うるまの世界一周放浪記!!