Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

キャッチボール

2007年06月11日 | 身辺雑記
ボールは、青空に浮かぶ白い雲に向かっていたが、やがて弧を描いて落ちてきて、息子が差し出したグローブのかなり上を通過し、道路のゆるいカーブの先へ消えていった。

息子がボールを追いかける。

その時、

「ビー、ビー!」と、短く軽自動車のクラクションが鳴った。

息子が走って行った方から、グレーと青が混ざったような色の丸っこい形の軽自動車がこちらへ向かって来た。

まあ、路上でキャッチボールをしてた私達が悪いんだから、謝らなくっちゃなと思い、軽く右手を挙げてその車の運転手に挨拶を送った。

運転席の女性は、何かムッとしたような表情で通り過ぎて行く。


子供の頃から臆病な所があった息子は、キャッチボールが苦手だった。
だから、小・中学校時代にキャッチボールをやった記憶がない。

尤も、今にして思えば、その頃は私の方が仕事が忙しくって、休みの日に息子と遊ぶなんて事を考えもしなかったようだ。

私の子供の頃といえば、学校から帰ると、近所にある空き地や公園で暗くなるまで遊び回った。

子供が、5~6人集まれば野球が出来た。

所謂、三角ベースだ。

6人なら、3対3に分かれるんだが、5人の場合は攻撃チームが2人守備が3人なんていう変則な構成で、ルールもその場に合わせてローカルルールを直ぐに作っていた。
そんな所へ後から何人か参加して来ると、チーム編成も変わり、ルールも変わる。

今考えても、子供時分にはみんな柔軟な発想を持っていたんだな。

そんな子供時代を過ごしてきた私達、団塊の世代って殆どの男子は野球が出来るんじゃないのかな。

私は、小学校一年生の時に目の手術を受けて、度の強い眼鏡が必要不可欠の日常だったので、走ることが苦手だった。

この度の強い眼鏡は重くって、走ると上下に揺れて視界が大きく揺れるので気持ち悪くなってしまう。
そんな訳で、走るときは出来るだけ上体が揺れない様にするもんだから、早く走れない。
当然、野球の守備も上手くできなかった。

そんな訳で、草野球でも人数が揃ったときはいつも補欠だった。
悔しかったけど、下手だったんだからしかたなかった。
それでも、野球は好きだったな~。

ひとりになると、近所の壁にボールをぶつけては、跳ね返ってくるボールを捕る練習をしてたな。


そんな訓練の成果か、去年の左膝半月板損傷依頼、一年以上もボールを握っていなかったのに、何の違和感もなくキャッチボールが出来る。


息子の姿が、道路のゆるいカーブの先から現れた。

「悪りい、悪りい、」

私は、手を挙げて息子に声をかけた。

「風が出て来たな、思ったより追い風が強かったんだな」

「シャワーでも浴びて、昼にしようか」




キャッチボールの基本は、相手の胸に目がけてボールを投げること。
多少ずれてもグローブが届くから受け取れる。

人の会話も相手に受け取れるような言葉を投げかければ、相手も受け取りやすいってもんでしょうね。



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