極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

察しの文化ともの言う文化のすれ違い

2011年09月20日 | 今日の風の吹きまわし
火曜日。午前11時30分、目覚ましがジジジジ!今日はカレシが英語教室ダブルヘッダーの忙
しい火曜日。20度まで届きそうないい天気。だけど、眠いよ・・・。

朝食を済ませて、カレシは第1ラウンドへ。すでに英語がかなりのレベルに達している人たちな
ので、新聞や雑誌の記事をテーマに活発なディスカッションが進むらしい。英語が国語の国に移
住すれば、英語での会話能力を向上させないことには日常生活に困るし、就職にも差し支える。
だから英語教室に通うわけだけど、初級レベルの生徒は終始うつむいて自分から話そうとせず、
当てられても口を開かないことが多いとか。アジアの学校では先生が絶大な権威を持っていて、
生徒は授業を静聴するものという観念を刷り込まれているらしいけど、たぶんにアジア的な心理
も働いているんだろう。それが、一度勇気を出して英語を口にしてうまく行ったら最後、ほとんど
が積極的に「会話」に参加するようになり、「ネイティブ並み」の完ぺきな英語にはほど遠くても自
信を持って外へ出て行くという。素人先生のカレシの英語そのものを教えるよりもその「勇気」の
敷居をまたがせようという教え方はそれなりの成果を上げているということだろうな。なんたって
英語で生活できるようになるためには英語を「しゃべらにゃ損々」なんだから。

もっとも、英語は目的ではなくてコミュニケーションの手段だから、しゃべるためには相手が必要。
独り言でも、テニスなら壁にボールを打ちつけたり、ゴルフなら打ちっ放しで自分のフォームを研
究するようなもので、練習にはなるだろうけど、会話にはならない。小町でもよく「英語を話せる
ようになる方法」についての質問トピックが上がる。TOEICのスコアが高いのに会話ができない、
どうしたらいいかという質問のよく見かける。だけど、文法も、発音も、語彙もTOEICもゴルフや
テニスのフォームのようなものじゃないのかな。練習すればするほど「英語を話せる」ようになる
かもしれないけど、それは必ずしも「英語で話ができる」ということではないように思う。これは英
語に限らずとも、すべての外国語学習に共通することで、しゃべることはひとりでもできるけど、
おしゃべりは相手がいないとできない。で、おしゃべりがテニスのラリーのように続くにはよく弾
むボール(話題)が必要で、さらにボールから目を離さない(その話題に関心や知識を持つ)よう
にしないとネットを越えて打ち返せない。(これは母語が同じでも普通にあることだけど。)

だけど、「言わなくてもわかるはず」式の相手に察してもらうことを期待するコミュニケーションが
基本の人たちは、相手にボールを送る「言わなければわからない」式のコミュニケーションを学
ぶところから始めなければ、いくらTOEICが満点でも「英語で会話をしたい」という願いはなかな
か叶えられないかも。早い話、「しゃべらにゃ損々」の前にまずは「しゃべらにゃならぬ」ということ
になるわけで、それは自分の能動的エネルギーを消費しなければならないということに他ならな
い。だから、ある程度の年月を海外で生活していて、英語(あるいは現地語)が上達しないと愚
痴っている人はあんがいこの「言わなければわかってもらえない」コミュニケーションが苦手なの
かもしれないと思う。でも、そういう人は「(日本語と違って)英語では自分の気持をうまく伝えら
れない」と、いかにも英語が粗雑な言語のように言うことが多いけど、あんがい本音は相手が
「自分の気持を察してくれない」ということなんじゃないのかな。つまり、期待のすれ違い・・・。

ああ、言葉、されど言葉。同じ言語で育った同士が口も手も目も駆使してさえ、勘違いやら思い
違いやら行き違いやらで悲喜こもごもの毎日なわけで、人間同士が気持をわかり合うのはほん
とに難しい。それでも、やっぱりわかり合いたいのが人間の人間らしいところ。だから、ワタシも
人さまの「気持」のすれ違いに悶々としながらも翻訳稼業をやめられないのかなあ・・・。