極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

波乱に満ちたごぶさたの1年10ヵ月

2018年07月10日 | 今日の風の吹きまわし
2018年7月9日(月曜日)。現在進行形の新ブログのログインページを見たら、更新が「2年前」になっ
ていて開けてみたら、何と2016年9月17日。大変ごぶさたいたしましたぁ。毎日(自分で文字数を制限
している)新ブログを更新しながら、続けている仕事をしたり、演劇熱が嵩じて芝居の脚本を書き始めた
りしているうちに、「饒舌」ブログには手が回らなくなってしまったというのが裏事情。でも、ネット上に場所
を取っておきながら、放置したままでいてはお行儀がいいとは言えないな。ごめんなさい。

最後の記事で書いたメトロバンクーバーの住宅事情は、やっと何となく翳りが見えて来たところだけど、
戸建てはほぼ高止まりで、マンションはまだ値上がり中。高くなり過ぎた戸建てを諦めてマンションを買お
うという人たちが増えたらしい。3年前の3月に8900万円で買った我が家も、市の固定資産税のベース
になる州の査定評価が去年9600万円になり、相場では1億2千万円で売りに出しても売れるというから
おそろしい。すぐ上の(同じ間取りの)ユニットは去年の6月に9500万円で売れたそうで、数年前に着工
前の事前販売で7200万円だったそうだから、わずかな間にすごい値上がり益が出たことになる。

この上階のユニット、双子の幼児が走り回ってうるさいという問題があって、一時は何とか我慢できるレ
ベルだったのが、最後の記事の数ヵ月後あたりから急にひどくなった。朝は6時半から寝ている上でドタ
バタ。昼もドタバタ。夜になってもダイニングエリアの真上で1時間も2時間も地団太を踏むようにドタバタ。
親が階下に大きく響いていることを知りながら何の対策も講じていないようだったのがムカついたけど、
幼児が9時半になっても走り続けているのは異常なな感じだったから、対策の取りようがない状況だった
のかもしれない。でも、毎日がこれではワタシもひどいストレスでうつっぽくなるし、いつも季節的に仕事
の多い春には昼も夜も集中できないしで、まさにぶっちぎれる寸前。4月になって管理組合に苦情を出す
ことしたところで直前にユニットが売りに出て苦情は出さないで済んだけど、不動産サイトに載った写真
に何と高価そうなダイニングテーブルの4隅に分厚いタオルが取り付けられていて絶句。防音対策じゃな
くて子供が安全に走れる対策を講じていたわけ。噂によると双子は2人とも何らかの障害があったらしい。
そう聞くと子供に同情を感じないわけでもないけど、それでもねえ・・・。

6月には一家が引っ越して騒音問題は解決したけど、持ち主はどちらも南アジア系のアメリカ人夫とカナ
ダ人妻の夫婦で、アメリカ国籍者は世界のどこに住んでいても値上がり益に課税されるんだけど、自宅
なのに共同名義にせずに妻だけの名義にして、ちゃっかり夫の持分にかかるアメリカの税金を回避(とい
うか脱税に近いような)したらしい。後でわかったことだけど、夫はアメリカの税務が専門の弁護士。カナ
ダの客にいかにアメリカの税金を回避するかをアドバイスしていて、実際にそれを実践してみせたってこ
とかな。聞くところによると、川向こうの(南アジア系が多い)サレーのずっと南側にある新興の高級住宅
地に引っ越したらしい。まあ、要するに、元々からそういう人たちだったってことだな。

惨憺たる数ヵ月だったけど、入居した新しい持ち主は建設や産業関連の法律が専門で法廷で弁論もす
る弁護士で、週末に4、5歳の女の子が泊まりに来る以外は「独身」。先手を打って前住人との経緯を説
明した「お願いレター」をシェリーにドアの下に入れてもらったので、子供だから走ることはあってもほん
のときたまでわずか数秒のことだし、アジア系と違って子供は早く寝かせているようで、マンションの「普
通の静けさ」を取り戻すことができたのは何より。このウィークエンドパパ、アウトドア派らしく、自分の娘
とは言え週末に小さな女の子と家にくすぶっていたくない人のようで、昼間はいたって静か。小さい子を
持つ親と言っても、この違いっぷりには驚く限り。

まあ、その経験から住宅問題をテーマにして芝居の脚本(処女作)を仕上げることができたから、人生は
まさに塞翁が馬。その前に書いていたのを棚上げして書き始めて、Arts Clubの資金開拓部門の部長の
キャシーに個人的に指導してもらいながら、何度も何度も手直しをしたり、大幅に書き直したりして、やっ
とこれならと思うところまで書き進めたんだけど、最後の見直しをして地元の劇作家の育成を支援をする
センターに送ろうというところで一大事が起きて中断。

昨年11月30日、カレシが心筋梗塞を起こして救急センターに駆け込み、そのまま5日間に緊急のステ
ント(2個)挿入、病室に入って間もなく心停止になってたまたま傍にいた男性看護師の心臓マッサージと
電気ショックで事なきを得、落ち着いたところでバイパス(3本)手術。救急センターで心筋梗塞だと言わ
れて「冗談だろ」と言い返したカレシだけど、これくらい運に恵まれた人はいないんじゃないかと思うくらい
の幸運続きだった。猛烈な胸焼けと吐き気で始まって、胸の痛みがどんどん広がるのに、かっこ悪いか
ら救急車は嫌だと駄々をこねたカレシが意を決して救急センターに向かったのは午前1時。小都市なの
で夜半過ぎは交通もほぼ途絶えていて、カレシはスピード違反と信号無視で日中でも10分かからない
病院に5分ちょっとで到着。自分で車を運転して(しかも妻を同乗させて)来るとは危険極まりないと看護
師に叱られながら何本ものチューブやワイヤをつけられたカレシ。そのときには右冠動脈が99%閉塞し
て一刻を争う状態だったなんて、今振り返ると信じられないけど、予想もしなかった突然のことで2人とも
危機感を持てる状態になかったんだと思う。

午前2時に緊急呼び出しを受けた当番の心臓専門医が駆けつけて、すぐにカテーテルでの血管造影と
ステント挿入。寒々とした廊下の椅子で仮眠していたワタシが治療室に呼ばれたのは午前4時半過ぎ。
カレシが開口一番に「胸を開けて手術するんだって」。あ、そうなのと言ったワタシ。先生の説明では左の
冠動脈にもステントを入れ難い部分が90%、80%と塞がっているので、バイパス手術の方が安全で確
実ということだった。救急センターに駆け込まなかったら「今生きていないよ」と言われ、左冠動脈も心筋
梗塞が起こるのは時間の問題で、そっちの方が先に詰まったら助かる確率は限りなくゼロに近かった
とも言われても、まだあんまり危機感がなかった2人・・・。

すでに入院しているということで優先順位が上がって、カレシがバイパス手術を受けたのは12月4日。
手術中に片肺がしぼんだせいか、ドレーンがなかなかクリアにならず、白血球のカウントも下がらなくて、
やっと退院したのは9日目の12日(通常は5日目。)クリスマスの夜に鼻血がとまらなくて救急センターに
駆け込んだし、お正月早々に胸が痛いと言い出して救急車を呼んだり。胸痛のときは血栓が疑われて、
X線やCTスキャンで異常なしとわかるまで救急センターで7時間も過ごしたもので、2人とも風邪をもらっ
て帰って来てダウン。カレシは肺炎を起こしかけて処方された抗生物質の副作用の味覚障害で食べ物
が喉を通らなくなって、ワタシは少しでも何とか食べてもらわなければと熱を押しての大奮闘。買い物に
行ったスーパーの床にヘタッと座り込んでしまいたかったときもあって、今でも2人で振り返っては「あれ
が一番辛い時期だったね」。でも、これだけのことがあって、2人分月々7500円の医療保険料で私たち
が負担した費用は(収入が多すぎて医薬品保険が適用されない)薬代と救急車の出動料(8千円)だけ。
州の医療制度にはみんないつも不満たらたらだけど、いざ患者になってみるとつくづくありがたいと思う。

その後のカレシの回復は仰天するくらいの目覚しさで、手術から7ヵ月経った今では心停止して死にかけ
た人には見えないし、傷痕を見なければ心臓の手術をしたなんて信じてもらえないくらいの元気さ。これ
も退院後のフォローと生活指導の体制が充実していて、かかりつけの家庭医も薬局も検査ラボもみんな
徒歩3分圏内にあって、リハビリ運動にはマンション 内に住人専用のジムがあって、ウォーキング運動
にはニューウェスト中に坂道があって、常に食品の栄養成分表をチェックしてコレステロールやナトリウ
ムに注意したり土曜日の夜ごとに1週間分の薬をオーガナイズしたりと世話を焼いてくれる奥さんがい
て・・・ほんと、カレシよりも幸運な心臓患者っていないと思うよ。

ということで、半年中断を余儀なくされたワタシの芝居脚本は書き始めてから1年半でやっと劇作家セン
ターに提出。こっちの方面でも信じられないようなエピソードがたくさんあるんだけど、長くなるから次の
更新までお預けにしておこう。ごぶさたしていた1年と10ヵ月は何か慌しくて波乱が多かった。これから
は元の極楽とんぼに戻って、新ブログでは書ききれないことをぼちぼちと饒舌に書いて行こうっと。

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