極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

ブサカワとはみったくなしめんこと見つけたり

2011年09月17日 | 今日の風の吹きまわし
土曜日。雨模様なのか、曇り空なのか、どっちでも寝ぼけ眼にはどんより。ちゃんと寝ているの
に眠い。季節の変わり目は体調を崩しやすいというけど、なんか今ひとつすっきりしないのは急
に気候が変わったからなのかなあ。でも、別に体調が良くないというわけはなくて、寝足りなくて、
やたらとおなかが空くというだけの話。ストレス食いしているような感じもするけど、自分の一部
が自分のものではないような、心の中にざわざわと風が吹いてさざ波が立っているような気分。
何なんだろうなあ、いったい・・・。

ひょっとしたら9月だからかな。正確には9月11日が巡って来る月だからなのか。自分自身に直
接の被害があったわけではないのに、いつも1日中つかみどころがなくて、だからやり場もない
怒りと悲しみでめちゃくちゃに涙もろくなってしまう。ある意味で、「アメリカがなんたらかんたらだ
から」と言い切れる人が羨ましくなる。まあ、年齢的に涙もろくなるのは必然なのかもしれないけ
ど、悲しみの涙は静かに流れるからまだいいとして、怒りの涙は、ほんと、すごいストレスになる。
感情によって涙の化学成分が異なるそうだけど、だとすると怒りの涙には有毒成分が満ち溢れ
ているんだろうな。だったら、泣くことで毒を体の外へ流すのがいいということか。

あんがい、悲しみは時間の流れによって癒されることはあっても、やりどころのない正体不明の
怒りはいつまでも昇華せずに心の奥の奥に燃えさしのように居すわるということか。自分が「自
分」という人間を一番良く知っているつもりで、実は自分にとって一番わかりにくいものかもしれ
ないな。他人が考えていることや感じていることを察するより、自分が何を考え、何を感じている
かを把握する方が難しいと思うことが多い。だからこそ、何かにつけて「んっとにワタシって何を
考えてたんだか」という場面が出てくるんだろうな。やれやれ、人間てのはほんっとに厄介な動
物だなあ。ま、何がどうなんだかよくわからないけど、何となく調子っ外れなのはやっぱり季節の
変わり目のせいだということにしておこうっと。「もの思う秋」というし・・・。

きのう、「ダサい」はもうダサいのかなと考えていたら、小町に『ダサいに替わる表現は何です
か』という質問があって、「ダサい」はもう廃れ言葉だったんだとわかった。ワタシが日本にいた
頃にはなかった言葉だから、さっと流行ってさっと廃れたのかもしれない。じゃあ、何といったら
いいのか。『現代用語の基礎知識』も『Imidas』も買わなくなって久しいし、日常を日本語で暮ら
していないので最新の「日本語」を話す人との接触もないから、流行語の変遷にもすっかり疎く
なった感じ。最近は服装などで「イタイ」という表現をよく見るけど、「イケてない」ともいうのかな
と思っていたら、どうやら今どきの若者は「ない」と言うらしい。「ない」となったら、「イケてない」
から来たのか、「ありえない」から来たのかはわからないけど、ダサいとかイタイというのはそれ
でも「感想」を表現していたのに対して、「ない」は問答無用の全面否定。なんだか寒々とした感
じがするなあ。

それにしても、ワタシがかろうじて覚えている「大きいことはいいことだ」の高度経済成長時代の
流行語に比べると、バブルがはじけてこの方の流行語は人やものについて否定的なものが多く
て、ポジティブな語感のものが出て来なくなったような印象を受けるんだけど、実際にはどうなん
だろうな。(まあ、道産子のワタシの日本語はカナダに来てから覚えた「標準日本語」だから、元
から微妙なズレがあるのかもしれないけど。)同時に感情表現が過激化し、生理感覚が過敏化
しつつあるような印象も受けるけど、ま、そのあたりは外の遠く離れたところから部外者的な目
で見ているからそう見えるだけなのかもしれないな。日常語の英語でさえ流行り廃りについて行
くのがめんどうなのに、めったに翻訳原稿に出てこない今どき日本語の流行り廃りにまで気を配
るのは季節に関係なくすごく疲れそう。

そうそう、ずっと「ブサカワ」という言葉の意味がわからなかったんだけど、その形容詞の典型例
らしい犬の画像を見て、やっとわかった!「みったくなしめんこ」の平成標準語版だったのか。な
あんだ、そう言ってくれたらどんな感じかがすぐにわかったのに。まあ、ところ変われば言葉変
わる、時代変われば言葉変わるってところかな。変わるのは言葉だけではなくて、それを使う人
間も時代やところと共に変わる。じゃあ、ところも時代も変わったワタシは何語人・・・?