23年10月29日:聖霊降臨後第22主日
エレミヤ31:31~34,ローマ3:19~28,ヨハネ8:31~34
「主の祈り⑯主の祈りとジャズ」
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
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わたしたちはこれまで、主の祈りについて、幾つかの観点から考えてきました。本日はそのシリーズの最終回として、音楽という観点からそれを眺めてみたいと思います。
ところで、この世にキリスト教音楽と呼べるものがあるとすれば、それは祈りの言葉に曲を付けたものであると言えます。特に、古代とか中世のキリスト教音楽は、教会で行われたミサあるいは礼拝の中から生まれました。キリスト教は他宗教から「お前のところは歌う宗教」だとあざけられたくらい、言葉を音楽にしてしまうのが好きでした。だから祈祷の言葉をぶつぶつ唱えるよりは歌ってしまえということになったのがキリスト教で、歌にあふれた宗教になったのでした。
もちろん、ルールはありました。それは、歌詞は聖書の言葉に限るということでした。聖書から言葉が選ばれ、それに曲が付けられる。それも一つや二つではありませんでした。そういうのであふれかえっているのが礼拝でした。
具体例をあげてみます。ここの教会はルーテル教会ですが、礼拝式文という印刷物が用意されていて、出席者はそれを見ながら始めます。最初すぐに「グロリア」が五線譜付きで出てきます。その中にある言葉は、救い主誕生の夜、天使が歌ったというルカ福音書2章14節の言葉から取られています。
もうひとつ、9頁に楽譜付きの「ヌンク・ディミティス」がありますが、これも救い主の誕生を祝う「シメオンの歌」というルカ2章の言葉が記されています。なおそれらの言葉を見て分かることは、内容は祈りの言葉だということです。つまり、聖書にある祈りの言葉に曲が付いて、それを礼拝に来る人たちが一緒に歌うというのが、そもそものキリスト教音楽だったのでした。
ところで、観察眼の鋭い人はこんな質問をするかも知れません。「この中(式文11頁)には主の祈りもありますが、それには楽譜がありません。なぜですか?」。この質問はもっともです。主の祈りの言葉はマタイ福音書6章9節以下から取られているからで、それならこれにも曲があるはずだと思うのは当然だからです。(なお、その左隣りの教会の祈りに楽譜がないのは、それが聖書の言葉ではないからです)。主の祈りはれっきとした聖書の言葉なのに、それは歌わないというのは変だ。その指摘はまったく正しいのです。
さて、この問題を考えるためには、歴史を千年から千五百年ほどさかのぼらなければなりません。なぜなら大昔のキリスト教は主の祈りをものすごく特別扱いしていたからです。そのため教会は、主の祈りを一般大衆の目から隠していました。ただ洗礼を受ける人には教えましたが、受洗後はそれを他人に教えることは厳禁とされました。そこまで㊙扱いをすれば、その祈りの神秘性が深まると考えたのでしょうか。でも、人間もそうですが、特別扱いしすぎるとかえって問題も生まれます。なお、主の祈りは聖書に書かれているのだから㊙は保てないのではないかと思う人もいるかも知れません。けれども当時の聖書はラテン語でした。一般大衆で読める人は誰もいませんでした。
しかし、宗教改革が起きると、様子が変わりました。なぜなら、ルターは、自国民なら読めるドイツ語で聖書を翻訳したからです。それて、彼は主の祈りの㊙扱いをやめさせました。だから、主の祈りも歌われる環境が整ったのですが、主の祈りは歌わない・唱えるのみという千年以上もの慣習は意外と頑固で、今に至るまで変わっていない。これが指摘に対する返事なのです。
けれども20世紀になると、新しい風が吹き始めたという感じになりました。その風を起こしたのは、デューク・エリントンでした。ジャズが好きな人なら誰でも知っているジャズ界の大御所ですが、彼がニューヨークのカーネギーホールで「主の祈り」というジャズを演奏し大喝采を浴びたからです。
さて、その話を聞いた日本のキリスト教の人たちは、エリントンの主の祈りを日本の讃美歌に入れようと思い立ちました。けれども、それはジャズではないか。猛反対する人たちもいたことでしょう。しかし、「讃美歌21」という新しい本に掲載されました。「ジャズが日本の讃美歌に!」びっくり仰天の大事件でした。
けれども、エリントンと日本との深い縁を知る人なら、反応は別だったはずです。なぜなら、彼が1964年に来日して公演している最中に新潟地震が起きました。すると彼は予定していたすべての公演をキャンセルして、被災者救援のためのチャリティーコンサートを東京で開催し、集めたお金を新潟に届けたのがデューク・エリントンだったからです。
ジェームス・バーダマンというアメリカの音楽評論家は、エリントンのコンサートに来る聴衆は全員白人だったが、彼は自分の黒人性を失うことなく、彼の率いるオーケストラは、黒人の怒り、悲しみ、喜びをミックスして表現していたと書いています。
またバーダマンは、こうも書いています。「(黒人が多く住む)アメリカ南部のスピリットに触れたければ、安酒場で繰り広げられる土曜の夜の音楽と、教会に響きわたる日曜の朝の音楽に耳を傾けることだ」。前日は酒場でジャズに耳を傾けていた人たちと、日曜日に教会で歌う人たちは、同じ人たちなのだというのです。デューク・エリンエリントンの「主の祈り」にもその背景があるのだと想像しながら歌うのもお勧めかもしれません。
なお、エリントンのこの歌で言い添えたいことは、このジャズの讃美歌は子どもたちととても相性が良いと言うことです。それを私は熊本の教会にいた時に身をもって体験しました。実はこの歌は「こどもさんびか」にも載っているのです。今の日本の子どもたちはジャズのリズムをすっかり身につけています。20年後、30年後、さらにその先の讃美歌の在り方を考える人は、ぜひ参考にしていただければと思うものです。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭 義)
次回11月5日 全聖徒主日(召天者記念礼拝)
説教題:「 若返りのうす 」
説教者:白髭 義牧師
エレミヤ31:31~34,ローマ3:19~28,ヨハネ8:31~34
「主の祈り⑯主の祈りとジャズ」
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
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わたしたちはこれまで、主の祈りについて、幾つかの観点から考えてきました。本日はそのシリーズの最終回として、音楽という観点からそれを眺めてみたいと思います。
ところで、この世にキリスト教音楽と呼べるものがあるとすれば、それは祈りの言葉に曲を付けたものであると言えます。特に、古代とか中世のキリスト教音楽は、教会で行われたミサあるいは礼拝の中から生まれました。キリスト教は他宗教から「お前のところは歌う宗教」だとあざけられたくらい、言葉を音楽にしてしまうのが好きでした。だから祈祷の言葉をぶつぶつ唱えるよりは歌ってしまえということになったのがキリスト教で、歌にあふれた宗教になったのでした。
もちろん、ルールはありました。それは、歌詞は聖書の言葉に限るということでした。聖書から言葉が選ばれ、それに曲が付けられる。それも一つや二つではありませんでした。そういうのであふれかえっているのが礼拝でした。
具体例をあげてみます。ここの教会はルーテル教会ですが、礼拝式文という印刷物が用意されていて、出席者はそれを見ながら始めます。最初すぐに「グロリア」が五線譜付きで出てきます。その中にある言葉は、救い主誕生の夜、天使が歌ったというルカ福音書2章14節の言葉から取られています。
もうひとつ、9頁に楽譜付きの「ヌンク・ディミティス」がありますが、これも救い主の誕生を祝う「シメオンの歌」というルカ2章の言葉が記されています。なおそれらの言葉を見て分かることは、内容は祈りの言葉だということです。つまり、聖書にある祈りの言葉に曲が付いて、それを礼拝に来る人たちが一緒に歌うというのが、そもそものキリスト教音楽だったのでした。
ところで、観察眼の鋭い人はこんな質問をするかも知れません。「この中(式文11頁)には主の祈りもありますが、それには楽譜がありません。なぜですか?」。この質問はもっともです。主の祈りの言葉はマタイ福音書6章9節以下から取られているからで、それならこれにも曲があるはずだと思うのは当然だからです。(なお、その左隣りの教会の祈りに楽譜がないのは、それが聖書の言葉ではないからです)。主の祈りはれっきとした聖書の言葉なのに、それは歌わないというのは変だ。その指摘はまったく正しいのです。
さて、この問題を考えるためには、歴史を千年から千五百年ほどさかのぼらなければなりません。なぜなら大昔のキリスト教は主の祈りをものすごく特別扱いしていたからです。そのため教会は、主の祈りを一般大衆の目から隠していました。ただ洗礼を受ける人には教えましたが、受洗後はそれを他人に教えることは厳禁とされました。そこまで㊙扱いをすれば、その祈りの神秘性が深まると考えたのでしょうか。でも、人間もそうですが、特別扱いしすぎるとかえって問題も生まれます。なお、主の祈りは聖書に書かれているのだから㊙は保てないのではないかと思う人もいるかも知れません。けれども当時の聖書はラテン語でした。一般大衆で読める人は誰もいませんでした。
しかし、宗教改革が起きると、様子が変わりました。なぜなら、ルターは、自国民なら読めるドイツ語で聖書を翻訳したからです。それて、彼は主の祈りの㊙扱いをやめさせました。だから、主の祈りも歌われる環境が整ったのですが、主の祈りは歌わない・唱えるのみという千年以上もの慣習は意外と頑固で、今に至るまで変わっていない。これが指摘に対する返事なのです。
けれども20世紀になると、新しい風が吹き始めたという感じになりました。その風を起こしたのは、デューク・エリントンでした。ジャズが好きな人なら誰でも知っているジャズ界の大御所ですが、彼がニューヨークのカーネギーホールで「主の祈り」というジャズを演奏し大喝采を浴びたからです。
さて、その話を聞いた日本のキリスト教の人たちは、エリントンの主の祈りを日本の讃美歌に入れようと思い立ちました。けれども、それはジャズではないか。猛反対する人たちもいたことでしょう。しかし、「讃美歌21」という新しい本に掲載されました。「ジャズが日本の讃美歌に!」びっくり仰天の大事件でした。
けれども、エリントンと日本との深い縁を知る人なら、反応は別だったはずです。なぜなら、彼が1964年に来日して公演している最中に新潟地震が起きました。すると彼は予定していたすべての公演をキャンセルして、被災者救援のためのチャリティーコンサートを東京で開催し、集めたお金を新潟に届けたのがデューク・エリントンだったからです。
ジェームス・バーダマンというアメリカの音楽評論家は、エリントンのコンサートに来る聴衆は全員白人だったが、彼は自分の黒人性を失うことなく、彼の率いるオーケストラは、黒人の怒り、悲しみ、喜びをミックスして表現していたと書いています。
またバーダマンは、こうも書いています。「(黒人が多く住む)アメリカ南部のスピリットに触れたければ、安酒場で繰り広げられる土曜の夜の音楽と、教会に響きわたる日曜の朝の音楽に耳を傾けることだ」。前日は酒場でジャズに耳を傾けていた人たちと、日曜日に教会で歌う人たちは、同じ人たちなのだというのです。デューク・エリンエリントンの「主の祈り」にもその背景があるのだと想像しながら歌うのもお勧めかもしれません。
なお、エリントンのこの歌で言い添えたいことは、このジャズの讃美歌は子どもたちととても相性が良いと言うことです。それを私は熊本の教会にいた時に身をもって体験しました。実はこの歌は「こどもさんびか」にも載っているのです。今の日本の子どもたちはジャズのリズムをすっかり身につけています。20年後、30年後、さらにその先の讃美歌の在り方を考える人は、ぜひ参考にしていただければと思うものです。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭 義)
次回11月5日 全聖徒主日(召天者記念礼拝)
説教題:「 若返りのうす 」
説教者:白髭 義牧師