旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

第11回  抜 ~ missing ~

2008-11-24 | 円熟途上エッセイ「桃色の独り言」
昔と比べて、今の私はうっかり「ミス」することが増えたような気がする。まあミスといっても、仕事上でさほど大きな問題になるようなミスではなく、大抵は事前にそのミスに気づくのでトラブルになったことなどないのだが、それでも「なんか最近ポカしてんなあ」と我ながらつくづく思うのだ。
だが、数年前の私だったら、そんな自分を許せなかっただろう。現代人に多い病「うつ病」にかかってしまう以前の私だったなら。

前のエッセイで、2年ほど百貨店に勤めていた話をしたが、その後、今の職場に転職し、「販売員」とは違う「事務職」についた私は、まるで絵に描いたような、社内でバリバリと働く「キャリアウーマン」(と当時は言っていた)を目指そうと心に誓った。「キャリアアップ」という言葉が一つのブームのようにもなっている時代だった。
男性に負けるもんか!とばかりに遮二無二働いていた私の様子を見ていた同じ部署の先輩(男性)が、ある日こんなことを言った。
「○○(私の名前)はどこか角張ってるんだよな、弾力のある丸い部分がないというか。どこかに無理がきたら、パキッと折れちゃうんじゃないか」
今は人事課長をやっている彼の言葉に、当時は何を言ってんだとばかりに「折れたりなんかしませんよー」と笑って返した私。それから何年も経ってから、その言葉が現実のものになるなんて思ってもみなかった。

たしかに、当時の私は常に力が入りっぱなしだったような気がする。力を抜くことを知らなかった、とも言える。
といっても、力を抜く時はしっかり抜いていたようだが。
カナダ旅行に行った時の写真を見た先輩(これも男性だ)がこんなことを言った。
「いい顔してるなあ。どうしてこういう顔が職場でも出来ないんだ?」
と言われても、旅の写真に写っている笑顔の私と、職場で同僚たちに見せている自分の顔がどう違うかなど分かるわけもない。このときも、旅行の時と仕事の時と同じ表情をしている方がおかしいじゃないかと思って、そのまま聞き流した。
そのときから数年後、うつ病の診断が下される直前の私は、職場でいったいどんな表情をしていたのだろう。

約半年。私は仕事から完全に抜けた。初期の頃は魂まで抜けてしまったような気さえしていた。
私の中から「喜怒哀楽」の「哀」だけを残してそれ以外の感情がごそっと抜けていた。
通院や投薬を続けながら、失った感情を取り戻し、自分自身を取り戻して完治するまでに半年かかった。
そして私が職場を空けていた半年の間、後事を託された同僚たちは大変だったかもしれないが、それでも、私がいなくても職場に大きな変化はなかったことに気づかされたとき、私の中で何かがまたポロリと落ちた。

組織の中の仕事はチームワークだ。もちろん個人で裁量すべきこともある。だが、一人では手に余ってしまう時、一人で抱えても、自分一人がただ苦しむだけで何の得にもならない。もういっぱいいっぱいの自分の手をちょっと抜いて、一人で抱えきれないものを誰かに託したっていいじゃないか。
仕事でミスしたことを悔やんでも仕方ない、大きなミスにしろ小さなミスにしろ、次から気をつけようと前向きに心がければ済むことだ。それでも誰かがおかしてしまったミスはみんなでフォローすればいい。
反対にミスすることを恐れて萎縮して、何も出来なくなるほうが不健康じゃないか。

別に自分のうっかりミスを正当化しようっていうわけじゃないけれど(笑)、でも、私は自分を自分で追い込むようなことはしない。どこかがちょっぴり抜けていたとしても、心にだけはいつも余裕を作っておきたい。
その余裕がなせるのか、今の私は自分で言うのもなんだけれど、ほんとによく笑っていると思う。
笑いの栓がスポンと抜けちゃっているんだな、きっと。



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堺さんの主演ドラマをオンタイムで観ようと思ってたのに
すっかり記憶から抜けていた管理人です。

録画予約はしておいたのでこれから観ますけども

ほんっとに最近忘れっぽくてやんなっちゃうよ