旅してマドモアゼル

Heart of Yogaを人生のコンパスに
ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

ピアノとヨガと私

2016-11-19 | Yoga & Healthy & Beauty
空。

晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、雪の日も、嵐の日もある。

人生も同じ。

いつも晴れの日ばかりじゃない。

嫌だな、辛いな、楽しくないな、寂しいな、悲しいな

そんな気持ちになる日があって当たり前


昨日観てきた映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』で、穏やかな微笑みを浮かべながら、人生を軽やかに生きているように見えるピアノ教師シーモア・バーンスタインさんにも、辛い過去や苦しい時期があったことが、本人の口から語られていました。
そして、人生とはそういうものだと。
「喜びも調和(ハーモニー)も不協和音もある。それが人生だ。避けて通れない」のだと言うことを。

50歳で現役のコンサート・ピアニストとしての活動に終止符を打って、その後はピアノ教師として、美しい音楽を伝授していくことに人生を捧げてきたシーモアさん。

音楽と、その音楽を奏でるピアノに向けられる愛情に満ちた言葉、自身の生徒たちとの対話の一つひとつに、私の中の閉じた扉が抵抗もなくゆっくりと開いていく。
スクリーンから流れてくる、美しい音楽の調べに心が震える。

「ピアノは人間と似ている。製造方法は同じでも、同じものは出来ない」

一人ひとり異なるヨガを伝えるハートオブヨガのよう…そう思った。

「音楽という芸術は完全に予測可能だ。音楽は不変だから。音楽に取り組むと、秩序という安心感を得られる。調和があり、予測も可能なら、コントロールも可能だ」

「自分と音楽とのつながりを感じる度、いつも同じ答えに行きつく、普遍的な秩序だ。音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる手段なのだ」

まるでヨガ哲学の一節のようなシーモアさんの言葉は、私には衝撃に近かった。

『ピアノの響板は生きている』というシーモアさんの言葉に、自宅のリビングの片隅で、調律されることもなく、ひっそりと眠っているアップライトピアノが頭に浮かんだ。
私の人生の半分以上、いや、4分の3くらいになる、いつでも私の傍にあったピアノなのに。
そしてつい1年前まで、私の両手はピアノの鍵盤と一緒だったのに。


今から11年前の秋、学生時代以来、20年近くご無沙汰していたピアノにもう一度向かってみようと、レッスンを再開した時に買った一冊の本がある。

『心で弾くピアノ』というタイトルと目次の内容に惹かれて買ったんだけれど、その著者がセイモア(シーモア)・バーンスタイン!
この本は、当時の私にとって、まさにバイブルのような本だった。

演奏会の前には、暗譜がとぶかもしれないという恐怖に襲われ、強い緊張を毎回感じていたというシーモアさん。
私も大人になってピアノを再開した時に感じたのは、やはり暗譜がとんでしまうのではないか…という恐怖だった。
子供の頃はそんなことは夢にも思ったことなかったのに。
そして実際、数年前の発表会で、弾いている途中で頭の中の楽譜が真っ白になって、暗譜を忘れた経験をした。
プロでなくても、スポットライトを浴びたステージ上で、鍵盤に置いた指が止まる、という状態には恐慌を来す。
頭の中で澱みなく流れていた譜面が不意に真っ白になって、次の音が全くわからなくなるという恐怖。

でも、そんな風に緊張するのが当たり前なのだ、それが大人のピアニストとして普通なのだと、シーモアさんは映画の中で言っていた。
だから、この本の中には『暗譜』という章があって、その章には暗譜の方法だけでなく、『度忘れ』という項目もある。
さらにシーモアさん自身も無縁ではなかった『あがること』についての章には、映画の中でも話していた女優サラ・ベルナールの逸話も書かれている。
開演前、楽屋の前で若い女優にサインを求められたサラ・ベルナールが、サインに動揺を抑えてサインに応えた時、その高い演技力をもってしても、わずかな手の震えを隠すことが出来なかった。それを見た若い女優が「緊張なさっているようですね。私は上演前でも全然あがらないんですけど」と言ってきたことに、サラ・ベルナールはこう言葉を返した。
「貴女だってあがるようになるわよ、演技を勉強したあかつきにはね」

子供の時にあがらないのは当たり前。
この時が自分のベストな状態だった、と思うのは違う。
ピアノを学び、練習して、技術が上がるほど、ステージ上での緊張は増すもの。

映画でも、このサラ・ベルナールの話をしたのは、この映画が俳優イーサン・ホークによるドキュメンタリー映画だからかもしれない。
イーサン・ホークもまた、俳優、脚本家、映画監督、演出家、小説家と多彩なキャリアを築きながら、人生の折り返しを迎えて、このままでいいのかと自問自答し悩んだ。
その時に出会ったのが、80代のピアノ教師シーモア・バーンスタインだった。
シーモアに自分の悩みを打ち明け、話しているうちに安心感に包まれ、救われたとイーサンは言う。
その後、シーモアのピアノにも魅了され、彼はシーモアと彼のピアノの魅力をもっと多くの人に伝えたいと、ドキュメンタリーを撮ることを決めた。

そう。そのおかげで、私も本の中でしか知らなかったシーモア・バーンスタインに、彼の音楽に、触れることが出来た。

シーモアさんの言葉は、ピアニストや演奏家でなくても、音楽が好きな人なら、誰でも心に響くだろうし、そうでない誰かの心にも何かを残すと思う。

「音楽家としての自分と普段の自分を深いレベルで一体化させることが出来ると、やがて音楽と人生は相互に作用し、果てしない充実感に満たされる」

1年前、これからの人生をヨガとヨガティーチャーを中心に置くために、これ以上ピアノを続けることは出来ないと、私はピアノを絶つことを決めた。

でも、ヨガを続けるために、ピアノは本当に邪魔なものだったの?

自分とピアノが生む音に耳を傾け、今この瞬間の音楽だけを感じる時間
ヨガで自分の呼吸に耳を傾け、今ここにいる自分自身を感じる時間

ヨガを始める前から、私は音楽をピアノを通して、『ヨガ』をしていたのではないだろうか。

シーモアさんが自分の生徒に呼吸をさせているシーンがある。
「ここにある横隔膜を意識して。思いきり息を吐いて。吐ききって。吐ききったら息を吸って」

シーモアさんの「Exhale」「Inhale」を聞いていると、ヨガかと勘違いしそうで(笑)
そして、シーモアさんは、呼吸が浅い演奏家が多いことを指摘していた。

そして、私自身すっかり忘れていたけれど、バイブルだった彼の本の中には、『感情』という章の中に『呼吸』という項目がある。



この章は呼吸からさらに肉体、筋肉の調整にまで話が繋がる。
筋肉の使い方については、私の先生もよく指摘してたなぁ…

そういえば。
ヨガを始めてしばらく経って、ヨガが私の生活の一部になった頃だったか、私が弾く音や演奏が変わってきたことを先生に指摘してもらった記憶がある。

呼吸。
筋肉の調整。

私の中では、ヨガとピアノは別物だった。だから、ヨガをライフワークにしようと決めた時に、ピアノを手放すことにした。


だけど…


ピアノを弾くこと
ヨガをすること

私にはどちらも同じことだったんだなぁ…

映画の中で、シーモアさんが弾くシューベルトの幻想曲を聴きながら、涙が止まらなかった。

またピアノを弾こう。
調律もしなくちゃね。



初心者のために。
私に一番必要な本かも。

メルボルンの旅 出発から到着まで

2016-11-06 | 旅のよもやま話
もう11月ですねー

ハロウィーンも終わって、クリスマスを迎えるシーズン!

メルボルンで迎えたハロウィーンは、一番のお祭りであるメルボルンカップの真っ只中と被っているからか、それとも街の雰囲気のせいなのか、渋谷のようなお祭り騒ぎもなく、穏やかな感じで終わった気がします。
スカルの全身タイツやメイクをした人を何人か見かけたけれど、どちらかと言うと、メルボルンカップのために華やかな帽子を被って、ドレスアップした女性たちの姿をたくさん見かけました。

メルボルンカップいいねー!
11/1が当日なんだけど、祝日になるんだよ?
競馬があるから祝日になるってすごくない?
日本で言うなら、有馬記念の日を祝日にします!というようなもんですよ。
そして、そのメルボルンカップのために、女性たちが素敵な帽子をオーダーして、その帽子を入れた六角形の箱とドレスを手にメルボルンにやってくるの。
私がメルボルンに到着した日も、ホテルに向かうミニバスの中でそんな人たちを見かけて、最初は「結婚式のドレスとかかな?」なんて思ったけど、そうじゃない。
こんな風にワクワクする華やかなイベントって素敵!
私も昔、競馬に夢中になっていたことがあって、その時のワクワク感を思い出しちゃった!
泊まったホテルでも、朝エレベーターに乗り合わせた紳士とご挨拶した時に、「いやぁ今日のレースが気になるよー」と言うのを聞いて、楽しんでるなぁ良いなぁって。

でも、今までお洒落をして競馬に行くとかなかったから、一生のうちに一度でもいいから、メルボルンカップのために特注の帽子を作って、フレミントン競馬場に行ってみたいー(*´∀`)

ええ、私、ミーハーですから(笑)

とはいえ、一人だけで行くのは気がひけるから、こういうお祭りに気持ちよく乗ってくれて、一緒にお洒落もして楽しんでくれる友だちと行きたいなー♪
パートナーならなおさら良いけど…
わざわざ海外へ競馬を観に行く、なんて男の人はいないよね( ̄▽ ̄;)

………。


今回は、たまたま出走時間に通りかかったフェデレーションスクエアで、メルボルンカップを観戦。



こういう雰囲気も好き。
賭けていなくても競馬の雰囲気は好き。


話が前後しちゃったけれど、10月27日夜のクアラルンプール行きAir Asiaで羽田を出発。

初めての羽田国際空港。



しかしねー

二人でクアラルンプール経由でメルボルンに行く予定だったんだけどねー


┐(-。-;)┌


海外を旅される皆さま
パスポートの有効期限には気を付けましょう。
特にアジア圏は6ヶ月とかないと入国出来ない所多いよね。
今回あらためて勉強になったけど。
うっかりすると高い勉強代になりますよ…


というわけで…

私ひとりでAir Asiaに乗って、翌朝マレーシアに入国。


クアラルンプールのKLIA2。
LCC専用空港として2014年にオープンしたばかりの国際空港。
オープンして2年過ぎたばかりだからかな、明るくてとても綺麗。

カフェやレストランもいろいろあるけど、ヘルシーなオーガニックレストランで朝食。




一人旅は慣れてるけど、一人旅の予定じゃなかったのに、予想外のことでいきなり一人になると、すぐに頭が切り替わらないよね。ボーッとするよね。しかも朝だしね。余計にね。



数時間のトランジットを経て、いざメルボルンへ!

しかし、この出国ゲートから搭乗口までが思っていた以上に遠かった!

途中で、手荷物検査も済んだから、搭乗口に行くまでスタバでのんびり~♪

していたら、搭乗口に行く直前に、最後にもう一回手荷物検査が!
手荷物検査は終わったし~♪なんて思ってミネラルウォーター買っちゃってたから慌てて半分飲んだけど、飲みきれなくて残りをトイレで捨てたよね…

セキュリティしっかりしててありがたいけど。

メルボルンに着いたのは夜。
あらかじめネットで予約しておいたSkybusで市内へ。
QRコードのチケットをピッと係員が読み取るだけ。
サザンクロス駅から、それぞれのホテルへ向かうミニバスに乗り換えて、ホテルに着いたのは23時ちょっと前。

遅く到着しても、ちゃんとベルボーイが飛んできて、荷物を持ってくれる。

フロントのスタッフも日本語で「おはようございます」と爽やか。
いや、今は「こんばんは」だろー(笑)
と突っこむ余裕はなかったね。疲れすぎて。
チェックイン中に「メルボルンでの予定は?」って聞かれたけど、頭がぼーっとしてて「今はノープラン」みたいに答えちゃったら、「え?!何もないの?」って笑われた。
そりゃそうだよね。メルボルンまで、はるばる日本から来たのにね。
しかも、ヤラバレーのワイナリーとか、ペニンシュラ温泉とか、ヨガとか予定はちゃんとあったんだけど、出発前のアクシデント?で、そういうプランが一度吹き飛んじゃったからね(笑)

一刻も早く部屋に行って、早く荷解きして、お風呂に入って、さっさと寝たかったわ…

でも、お部屋に入ったら、ちょっとテンション上がったよ

部屋のドアを開けると、まずはリビング


隣の部屋はベッドルーム

なんかね、枕を自分仕様にオーダーしてアレンジ出来るらしいんだけど、すでにあったフカフカ枕で十分満足出来たから、頼まなかった。
でも今思うと、せっかくのサービス、受けてみれば良かったかも…

ベッドの上に掛けられた絵画が浮世絵なんだけど、これは日本人客へのおもてなしなのかな。


広々したバスルーム


Bourke通りに面したお部屋。
トラムが通る音が聞こえるけれど、特に気になることもなく静かなエリア。

それより、歴史ある素敵なホテルに泊まったのに、部屋以外の写真を撮ってないことに、帰ってきてから気づいたよね。
素敵な朝食も撮ってない。

部屋以外の写真は、エレベーターの横にあった、このホテルに泊まったセレブリティたちのリスト。


うん、スターの顔ぶれに歴史をあらためて感じるわー( 〃▽〃)



これから少しずつになるかもだけど、メルボルンの旅レポをアップしまーす。