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ルイスと映画泥棒

中国・韓国映画を中心に毎日観た映画の感想を記録。おすすめ度を☆で採点、☆四つ以上は必見の映画。

田子坊

2008年05月21日 | 上海
 上海の新名所を紹介、その名は「田子坊」。中国語でティェンズファン。
古い住宅地の街並みをレトロな小径に、小粋なブティックやギャラリー、カフェなどが点在する一画だ。一つずつの店鋪はとても小さいがおしゃれだ。その中心部にあるカフェ「コミューン」で休憩、カプチーノを頂く。ここはオーストラリア人がオーナーのカフェレストランだが、手づくり感覚の雰囲気がなかなかいい。
 この田子坊はまだ増殖中だ。中心部は外国人観光客も多いが、少し奧に入ると工事現場が至るところにあった。古い住宅を店鋪に改装している。雑多な雰囲気のこのあたりは、地元の中国人ばかりで、道端でマージャンをしていたりしてちょっと怖いかも。写真を撮るのもちょっとはばかられる。

四川大地震

2008年05月16日 | 上海
四川大地震から4日目。

死者は5000人から7000人、12000人、19500人と報道され、なんと今日の新聞では推定50000人にのぼるという。地震のエネルギーは阪神大地震の30倍という。まさに歴史に残る災害である。
迅速な救援と二次災害に対し、万全の対策を願うばかりだ。昨日は日本の救援部隊を中国が受け入れ、その第一陣が成田を発ったというニュースを観た。従来では考えられない中国側の対応だ。

1976年7月28日に中国では「唐山大地震」という悲劇があった。この時の死者は24万人と言われている。後にマイナーな「中国大地震」という映画で知ったのだが、その規模は今回の地震と比べても解るはず。極端な報道規制の為、海外ではあまり知られていない。インターネットの普及や観光客の受け入れが進んだ今、情報は防ぎようもない。また、オリンピックをまじかに控えた中国としては、不謹慎な言い方だが、この悲劇を利用もできる。チベットの人権問題は、中国にとって頭の痛い問題だったが、この地震報道で吹き飛んでしまったのも事実である。

救援を素直に受け入れ、これを機に「開かれた中国」をアピールし、人権問題にも柔軟な対応をしてほしいと思う。

唐山地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

唐山地震(とうざんじしん)とは1976年7月28日3時42分(現地時間、UTC+8)に、中国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュード7.8の直下型地震である。市街地を北北東から南南西に走る断層に沿って大きな水平右ずれが発生し、激震によって当時中国有数の工業都市であった唐山市は壊滅状態となった。

この地震による死者は公式記録によれば242,419人を数え、これは20世紀最大の被害である。日本人も火力発電所建設のために派遣されていた日立製作所の社員3人が犠牲になった。

中国では1975年2月4日に起きた海城地震の直前に予報を出して被害を大幅に減らす事に成功しており唐山付近で地震が起きる可能性が高い事もわかっていたが、今回は予報を出せず地震予知の難しさを知らしめた。

当時中国は文化大革命の真っ只中であり、政府は「自力で立ち直る」と外国からの援助を拒否した。このことが犠牲者の拡大をもたらした一因だといわれている。また、政府の方針により被害実態の多くが伏せられたとも言われ、死者の数についても非公式には60万から80万人、もしくはそれ以上とも言われている。

唐山市への影響

唐山市ではこの地震によって14万8000人が亡くなり重傷者は8万人以上と被害は市民の21.2%に達し、住宅の全壊率は94%だった。これによって再建がほぼ一段落するまでの約10年間、外国人の立ち入りが制限されていた。現在は抗震記念館が設けられて倒壊した建物や断層の一部が地震遺跡として保存されている。2006年7月28日、中国共産党は唐山市で30周年記念大会を開催、およそ700人が出席して「唐山抗震記念碑」に献花などを行ったと発表した。



写真は外灘3号・7階のレストラン「ニューーハイツ」5月12日撮影。まさにこの時間に地震は起きた。

上海から帰国

2008年05月15日 | 上海
昨日、上海から帰国しました。

今回の旅行で一番の大事件は、なんといっても5月12日発生した「四川地震」。12日は上海に着き、南京西路にある事務所で打ち合わせ、その後外灘3号・7階にあるカフェで休憩。その後、浦東の金茂大厦・展望台へいき、新天地で夕食。8時頃、ホテルに帰って、テレビを付け、始めて地震を知った。
 どこのテレビもニュースは地震のことばかり。地震の規模が解らず、場所が四川で死者は5000人。香港も揺れたと言っていたが上海は気づかなかった。
 15日、帰りの飛行場で偶然、四川の成都から来た人に合い、体験談を聞く。彼はホテルで地震に遭遇した。5階だったが、建物が崩れると思ったが何とか大丈夫で、外に非難したという。地震が過ぎてホテルに戻っても、危険なので部屋には入れてくれなくて、川沿いで一夜を過ごしたらしい。翌日荷物を取りにいくと、宿泊代はしっかり請求されたと怒っていた。彼によると、成都でビルが倒壊したのを観たのは1箇所だけだったそうである。この時の情報、死者1.2000人。

 中国のテレビ報道では、映像を観る限り、悲惨さは感じられなかった。温家宝首相が指揮のもと、救助、救援活動が速やかに行われている様子ばかりを報じていた。オリンピックを前に、思いもよらぬ地震で、またぞろ世界の注目を集めることになった中国。

 サイクロンの被害に対し、世界各国の救援にビザも出さないミャンマー政府の対応には呆れかえるが、中国も対面や面子優先でなく、被災者優先で対応してほしいものだ。

 写真は、浦東の完成まじかの森ビル。5月12日撮影。


12日より上海

2008年05月10日 | 上海
12日(月)より上海。
ブログは事務所で書いているので、明日から帰国する14日までお休みです。

中部国際空港(通称セントレア)に朝7時10分までに行かねばならない。名古屋市の東の方なので、「藤が丘」から直通バスで行くのが便利である。所要時間1時間ちょっと。逆算すると朝5時40分のバスに乗らねばならない。起きるのは5時だ。

セントレア出発は9時15分、時差マイナス1時間、上海着は10時半あたり。13時に上海人民友好協会訪問、15時に世博事務協調局だから、13日、14日は自由になれるはず。

お腹を壊さぬように行ってきま~す。

上海のアートスポット

2008年05月02日 | 上海
 上海はいま現代アートが盛んである。街にはアート・ギャラリーが多く、活気がある。そして、工場の跡を現代アートが楽しめるギャラリーに生まれ変わっているところが多い。
 その象徴的な場所が「蘇河芸術」(スオホーイーシュー)だ。
蘇州川のほとりに立つこの建物は製粉工場だった。6階建ての工場内部が改装され、ギャラリー・イベントホールに生まれ変わっている。赤れんが建物の2~4階は現代アートを展示するギャラリーで、絵画や彫刻、写真等様々なジャンルの作品を紹介している。5階は各種発表会、記者会見、大型の作品のアート展が催されるイベントホールだ。そして6階は「西餐庁」というイタリアンレストランになっている。

 そして、もう一つは、「莫千山路」(モオガンシャンルー) だ。
紡績工場として使われていた20棟の建物内に130以上のテナントがあり、フランスやイタリアなど外国人の経営する画廊のほか、カフェやアンティークショップもある。場所は上海駅の西側、蘇州河を対岸だ。

 最近人気のおしゃれスポット「同楽坊」。
2006年9月にオープンしたこの場所は、アートギャラリーやレストラン・ショップが集まる娯楽施設だ。現在オープンしている店鋪は文化を創造、発信する個性豊かなテナントばかり。これからの文化の発信源となりそうな同楽坊を観ておきたい。

 以上、3カ所は今回必ずチェックしたいスポットだ。

今回のホテルは、この3カ所の中心にあるホテルだ。ホテル自体はB級(たぶん最低、期待できな
い)だが、地の利だけは良いのが救いだ。

写真は外灘3号にある「上海ギャラリー・オブ.アート」

上海の吉野屋

2008年03月08日 | 上海
上海で吉野屋を見つけた。

場所は、一番賑やかな南京東路。外観は日本と同じだが、メニューはこちらの方が多彩だ。

鶏、豚、卵?丼があり、セットメニューもあるようだ。

残念ながら、人はまばら。人気は今ひとつか。